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雑記:校正も楽しい。

最近記事でも書いたけれど、私は、小説を書くことじたいを書く目的として書いている。その先の何かを手に入れるための手段として書くのではなく、自分と向き合って、自分を解放するために書いている。少なくとも、自分ではそう思っている。

だから、書き始めると、ばあーーー!と書き進む。最初。テーマを決めていたとしても、登場人物から入るとしても、妄想を描写するにしても、最初は勢いが良い。

登場人物から入るとしても、登場人物たちの動きは速い。饒舌だし、やりたい放題だ。ようやく放たれた野生動物みたい。追いかけて必死に描写するから、勢いが良い。それは、物語のスピード感ということではなくて、私から溢れるスピードが速いという感じ。

そんな書き方をするものだから、あとから読み直すと、誤字脱字や漢字間違いはもちろん、日本語として成り立っていないことも多い。一人称で書いているのに主語がズレていたり、句読点がなく何十文字も続いていたり、とにかく日本語がおかしい。

私は、勢いにまかせて溢れる言葉を書き連ねるような、自分と向き合う時間も大好きなのだけれど、この、書き終えたおかしな文章を読み返して、直していく時間も大好きなのだ。

推敲、といえるほど、より良い文章にするために練っているわけではない。校正といった感じかもしれない。日本語としておかしなところを見つけて直していく。これは、自分と向き合う作業ではなくて、日本語や言葉と向き合う作業になる。実は曖昧なまま覚えていた熟語があったり、意味を誤用していたものもある。これを知るのが、また楽しいのだ。

例えば今日は、会得と取得と修得と習得について調べた。私は「会得」と書いていたのだけれど、調べた結果「取得」が正しいとわかった。

消化と昇華については、まだ悩んでいるところがある。どちらの日本語がより私の言いたいこととして使用するのが正しいのか。難しいが、おもしろい。

勢い良く書いて、じっくり直して、また勢い良く書いて、じっくり直す。そうやって私の文章は少しずつ物語になっていく。その過程は、どの部分も楽しいし、勉強になることばかりだな、と改めて思った日でした。

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