世界の誰かの未来のために。#未来のためにできること
私には子供がいない。でも、東南アジアのある国に、成長を楽しみにしている少年がいる。私は少年に手紙を書いたり、折り紙を送ったり、日本の風景の象徴ともいえる満開の桜の写真を送ったりしている。彼からは、毎年、年々身長が伸び顔つきも少し大人びてきている写真が送られてくる。感謝の手紙とともに。
毎月定額の寄付を決まった子供に送り、その寄付から子供の教育の費用や、子供が住んでいる地域の清潔な水の確保、食料の確保、医療体制の確保などに使ってもらうチャリティに参加しているのだ。
私は自分の子供をあきらめた日から、世界のどこかにいる子供を支えたいと思った。自分の子供じゃなくても、血のつながりはなくても、きっと世界の子供たちの未来のためにできることがある。
「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「安全な水とトイレを世界中に」
日本にいたら、あまり身近には感じられないであろうこれらの目標が、少年の住んでいる地域には必要不可欠であることが生々しくレポートで届く。私ひとりの力だけではできることに限界がある。でも、きっと毎月の寄付は無駄じゃない。小さな力の積み重ねで、きっと未来は変わると思う。
最近、大阪地方裁判所が「同性婚を認めないのは憲法に違反していない」との判決をくだし、物議をかもした。そして「結婚は、男女が子を産み育てる関係を社会が保護するという目的で定着した制度」という発言が波紋を呼んだ。私はシスジェンダーの女で、結婚しているが、子供はいない。結婚が「子を産み育てる関係を社会が保護する目的」であるならば、私たちの夫婦も合憲ではなくなってしまう。でも、自分が産んだわけではない子供を、私はずっと支援している。これは、未来を作ることにつながっているのではないだろうか。誰かを愛し、一緒に未来をつくる。そのことに、性別も血のつながりも国境も、関係ないのだ。
SDGsでは「ジェンダー平等を実現しよう」との目標もある。そろそろ日本も、未来のために、古い結婚の価値観を変える時が来ているのではないかと思う。
私には子供がいない。でも、成長を見守っている少年がいる。私の小さな力でも、少しずつ少年の未来が変わると信じている。きっと未来とは、手の届くところ、目に見えるところにあるものだけではなく、もっと広いところにもあるのだ。少年から届く写真を見るたび、私の未来もまた確実に広がっている。