掌編小説:ししむら #冷蔵庫企画【1828文字】
※多少グロテスクなものを想像させる表現があります。苦手な方はお気を付けください。
何年も連絡をとっていなかった友人から、突然夕食に招かれた。
【主人が出張に行っちゃって寂しいから、一緒に夕食でもどう?】
無機質な画面に表示されたメッセージからは、何の感情も読み取れず、いささか急すぎる誘いに戸惑いはしたものの、だからといって断る理由もなく、私は友人の家に行くことにした。
「久しぶり~。元気だった?」
明るい水色のブラウスに紺色のエプロンをつけて、友人は出迎えてくれた。この人は、こんな声だったか。
「うん、元気だよ。久しぶり。お招きありがとう。急にどうしたの?」
何気なく聞いてみる。私一人だけ突然夕食に招かれて、多少の不自然さは拭えない。
「いいお肉が手に入ったんだけど、主人が急に出張になっちゃって。一人じゃ食べきれないから、誰か誘おうと思って。久しぶりに顔も見たかったし。なんか、困ることでもあった?」
「いや、全然、困ることなんてないよ。私も久しぶりに会いたかったから、ありがとう」
友人は、にこやかで穏やかで明るい。言っていることには何の矛盾もないのに、この妙に緊張した空気は何だろう。
「すぐできるから、待っていて。あとソースをかければ完成なの」
掃除の行き届いた清潔な廊下。リビングに入ると肉を焼いた香ばしい匂いが充満している。窓にかかる少女趣味なレースのカーテン。いかにも友人の好みらしく設えられた部屋。キッチンをチラッと見て、ぎょっとした。普通の家庭用冷蔵庫の横に、業務用のような巨大な冷蔵庫がある。
「す、すごい大きい冷蔵庫があるんだね」
ソースを煮詰めていた友人の手が止まる。
「そうなの、ホームパーティが好きでよく人が集まるから」
棒読みのような早口の口調で言われ、一瞬ぞっとする。ホームパーティ好きというわりに、その巨大な冷蔵庫は新品のようにきれいだ。
友人はすぐに笑顔になり「さ、座って座って」と明るく言う。
私は変な空気を和ませたくて話題をふる。
「ご主人、出張ってどこに行ったの?」
「やだ、『ご主人』だなんて、堅苦しいわね。あの人とは、あなただって高校からの付き合いじゃない」
そうなのだ。友人夫婦は、高校時代の同級生だ。
「出張はね、北海道って言っていたわ」
思わずどきりとして友人の顔を見る。三日月みたいに口角をあげた笑顔の友人。
「北海道はね、今ラベンダーが見頃なんですって。そうそう、先週も出張で北海道に行っていたのよ。仕事すっぽかして、観光してたりしてね」
友人がフフっと笑いながら話すのを聞いて、私は動悸がする。何をどこまで知っているんだ?
席につくと、かわいいギンガムチェックのランチョンマットが敷かれていて、パンとサラダと、ピッチャーにスライスされたレモンを浮かべた氷水が用意されていた。そこへ友人が、白い皿に乗った分厚いステーキ肉を運んでくる。
「はい。おまたせしました。どうぞ、召し上がれ」
焼き加減はレアで、半透明の赤い肉汁が滴っている。その上から、ワインで煮たのか、赤いソースがかかっている。牛肉、というよりラム肉のような、ジビエのような匂い。今まで嗅いだことのない匂い。
友人は自分のステーキ肉も用意して、向いの席につく。グラスに水を二人分注いで、私に一つ渡すと
「いただきまーす」
明るく言って、器用にナイフとフォークを使って肉を切り、一口食べた。赤く脂っぽい肉汁が唇を濡らしている。
「美味しいわ。あなたも、熱いうちにどうぞ」
「あ、うん。いただきます」
肉にナイフを入れた途端、口の中が酸っぱくなる感覚がして手が止まる。妙な胸騒ぎが止まらない。
「どうしたの? 食べてよ」
張りつけたような笑顔の友人が見つめてくる。
私は、ナイフで肉を小さく切り、どうにか一切れ口に入れた。ラム肉のような匂いの奥に鉄錆のような味がする。今まで食べたことのない味。
胃に気持ち悪いものがこみ上げる。口の中で肉を咀嚼する。肉汁が溢れるたび、吐き気が襲う。飲み込めない。胃液が逆流するみたいに、胸焼けがする。
相変わらず、ピエロのマスクのような笑顔で肉を食べ続ける友人。
聞くに聞けない……
怖くて聞けない……
ねえ、ご主人、本当はどこに行ったの?
ご主人と私の関係、どこまで知っているの?
ねえ……これ、何の肉なの?
「あ、そうだ」と独り言のようにつぶやいて席を立つ友人。キッチンで何かしている。一瞬キラッと鋭い何かが反射したように見えた。
私は、いざというときのために用意しておいた無色透明の薬液を急いで友人のグラスに注ぐ。
キッチンから巨大な冷蔵庫がブオーンとモーターを鳴らした。
《おわり》