資本論「D」の解明ーあるいは構造闘争論
価値形態論の第一章「商品」第三節「価値形態または交換価値」は、A.B.C.D.の四部分に分かれる。Aが「簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態」で、Bが「全体的な、または展開された価値形態」で、Cが「一般的価値形態」。私見では、Cで貨幣が成立し、話は一段落する。そのあとの、奇妙というか、弁証法の「平仄」からして違和感を感じてしまう、D「貨幣形態」がある。マルクスの書き方では、Dで「貨幣」という表現になっている。本小論では、この筆者が感じた「奇妙さ」を解明し、「D」というローマ字の謎―柄谷行人にも「Dの研究」という論があるが(失礼、実は未見である)―にも迫るものである。
結論からいえば、「D」は、商品がA→B→Cと時系列に沿って順調に弁証法的発展を遂げ、Cでいったんアウフヘーベンされたあと、更に「クリナーメン(偏差、ずれ)」して現れたものである。Aが即自、Bが対自、Cが即かつ対自である。商品は、「C」即ち、その一般的価値形態‐資本論記述上のリンネル‐で、すでに貨幣である。Dでは商品はCと同じ一般的価値形態であり、その身体が金(ゴールド)になっただけで、ここで商品発展史の展開から、社会史発展の展開へと、別のテーマのお話(物語、つまり弁証法)へと話がずれているのである。これが奇妙であり、この「ずれ」こそがクリナーメンである。つまり、話の軸がずれ、別の話になっている。商品発展史としては、「リンネル」と「金」は等価、同次元である。江戸期日本においては「米」が貨幣であったし、古代中国では「タカラガイ」のところもあった。リンネルはこのようにれっきとした貨幣であり、金身体と比べ、本質的に少しも変わらない。なんなら、現代においては金はすでに貨幣でない。現代日本では貨幣は白銅や銅やアルミや紙、あるいは電子マネーになっている。だから、商品発展史ではC「リンネル」とD「金」は同レベルであり、別のテーマ(社会史的話題)に変化している。あるいは、Dは社会史発展史上の即自的段階なのであろうか?これは、マルクスに続いて記述をする諸氏に任せたい。
この、商品発展史から社会史発展史への「ずれ」を、筆者はクリナーメンと見做した。そもそもクリナーメンとは、デモクリトスの「平行落下する諸原子」のあいだにエピクロスが設定した、「わりこみ」「寄り道」である。原子の平行落下は、「自然」的現象である。これはデモクリトスの世界観である。それに対して、エピクロスの世界観によって挿入されたクリナーメンはすぐれて「人間」的な、あるいは「社会」的な現象である。まさしく、学校の帰りに児童がする「寄り道」そのものである。これはたとえ話でなく、ほんまにそのままそうである。ロボットならば、プログラムに無い限り寄り道はしないであろう。
別の例えをしよう。平行落下する諸原子とは、『漢書』(『史記』より『漢書』がふさわしかろう、後述 )のなかの諸個人の諸「列伝」である。漢書の目次をみれば、縦書きで70本分並んでいる。そのなかで、諸個人は自らの人生を各自貫徹している。これが、「原子の平行落下」である。しかし、漢朝は歴史が比較的短く、凝縮しているので、その70本の列伝の中を他の諸個人が出たり入ったりしている。甲の列伝中に乙が現れ、乙の中に丙が、といった具合に。この「個人=原子」の寄り道がクリナーメンであろう。まさしく社会的人間的現象である。なんとなれば、人間はあるいは商品交換のため、あるいは王を倒す政治的密談のため、あるいは孤独を紛らわすために、寄り集まり・離れ、他人の人生に介入するからである。この平行線に、横向きに介入、つまりクリナーメンする様は、図示すれば「あみだくじ」である。個人が、はじめまっすぐに進んでいるのに、自己意識ゆえに他人に惹かれ・道を逸れ・交わり・また進み・逸れ。行きつく先は、阿弥陀如来のみ知る別世界である。人生はベルトコンベアーのようにはいかない、とは本当である。クリナーメンの効用についてもっと言えば、学校帰りの寄り道で、寄った先の売店の自販機でジュースを買おうとし、財布から硬貨を取り出して自販機を見たら、100円か思たのに140円や。舌打ちしながらもう一度財布を取り出し、入り口に投入し、チャリンチャリン言い、取り出して風吹く中、飲む。まさに「地理学(空間活動の解明)」「現象学(生活の記述)」的なクリナーメン(空間介入:ある場所の時間系列に対する、よその空間からの割り込み。順調に発展する農民社会に遊牧民が侵入するようなもの)が入りまくりの光景で、この雑多さこそが、「現実」の「実相」である。しかし、混乱しているに見えて、実は理屈が通っている。この理屈が、生活の・空間の論理であり、クリナーメンの分析でそれは明らかになるであろう。例外だらけの現実―「現象」の背後に、調和のとれた「本質」を見出そうとするのは実は転倒で、「現象」こそが「実相」であり、現象の奥にあると見えた「本質」(「精神」や「理念」)の方が、実は「仮象」なんであろう。曼荼羅なり地図なりの、世界を単純化して示した「参考書」は、現実を換骨奪胎している。やはり、現実の世界こそが「実相」である。実に、空間の・時間の(じつは「時間」とは世界の「中心」で、「全体」が「空間」である)、微細な個々の点の入り乱れに至るまで、空間(その中心は時間)の法則‐弁証法‐は貫徹しており、阿弥陀様は取りこぼすところがない。この全てのクリナーメンを押さえ、全空間・時間を余すところなく記述することは可能である(「完全世界史・完全地理誌」)。もっとも、世界は「自己意識構造」(「サルトル全集」表紙イラストのウロボロス)でできているから、完全誌を読んでいる自分がいる時点で、その完全誌は書き替えられる。世界史・世界地理のなかに「例外」はなく、むしろ例外にこそ神仏が宿る。そして寄り道が王の道や。
クリナーメンについて、続ける。
時系列的発展史の一類型として、「近代政治革命」をあげよう。それは、1789年、パリで始まった、一連のフランス連続革命である。これの即自が、バスチーユ攻撃や国民公会に彩られる、初期の大革命である。対自は、どうであろう。未研究であるが、二月革命であろうか?あるいはナポレオン一世の独裁か。そして即かつ対自、つまり革命の完成形態が、筆者はこれを「プロレタリアート独裁」と見てよいのではないか、と思うがパリコミューンであろう。そしてわれらがパリジェンヌ、箱入り娘のレヴォルシオーヌはここでクリナーメンを始める、つまり遍歴する。ビルドゥングスロマン(成長物語)のはじまりや。彼女はやがて、ロシアに行き、モンゴルに赴き、中国にたどり着き、ベトナムを経て、カンボジアでひとたび旅を終える。このユーラシア大陸での空間移動、長いクリナーメンはパリジェンヌが広い世界を見るためにあった。その途上、世界各所でそれぞれの土地における弁証法が始まっているので、彼女の所業は複雑を極め、世界史曼荼羅を構成する。その大事なスピンオフとして、キューバやイランの物語も語られよう。
イランと言ったが、あの革命についても、当時は「イスラーム革命は、マルクス史観を越えている」と解説されたが、そんなことはない。フランス・ロシア・中国・イランの諸革命は、一つのテーマに貫かれている。「近代化」である。そもそも、フランス革命以来の全ての革命は、社会主義革命ではない。近代革命、つまり資本主義革命である。一方、エンゲルスやレーニンではなく、マルクスが唱えた「革命」は近代自体を終わらせる、「後近代革命」[1]である。近代革命は、近代化であるから別にイデオロギーとしての「社会主義」には拘泥しない。資本主義がテーマである。その近代化=資本主義化のイデオロギーは、フランス革命のころは西欧近代思想・人権とかであり、ロシア・中国革命ではイデオロギーとしての「社会主義」であり、イラン革命ではイスラーム教シーア派であったわけである。ここで大事なもの、テーマは「近代化」「資本主義化」である。つまり、ロシア革命は「国家資本主義」であるし、ホメイニ師のイランも、アメリカへの従属を拒否する、民族あるいは国家資本主義である。このように、ロシア革命もイラン革命も、フランス革命と同じ近代革命であり、つまり同じ構造の、それぞれ違った「位相」である。各革命内部の、要素と要素の間の関係構造はそれぞれ同じで、その模型をぐしゃとゆがめれば、見た目の形は変わっても、「構造」は変わらない。もちろん、フランスから見ればイランがゆがんでいるが、イランから見ればフランスがゆがんでいる。結局おなじ「近代構造」や (これは構造主義理論に基づく)。
また、あとで述べるが、この革命嬢の遍歴の前半:パリ篇は「階級闘争」であり、後半:ユーラシア篇を筆者は「構造闘争」と名付ける。ただし、両者は排他的な対立はせず、構造闘争は内側に階級闘争を含む。世界史「全体」が構造闘争、その「中心」が階級闘争である。この「全体」と「中心」の関係構造は、最も重要なので、別に詳述する。少しだけいうと、外郭としての「全体」の中に、内郭の「中心」がある図は、集合論の「ベン図」である。外郭に斜線が引かれ、内郭に対向斜線が引かれる。内郭には両斜線が交わっており、二重性をもつ。哲学的世界観上の「客体」はこの外郭、「主体」は内郭である。量子力学の「観測系」も外郭、「観測者」は内郭。またおそらく資本論価値形態論「価値」は外郭で、「使用価値」は内郭である。ハイデガーは、ここを逆転させようとしたのではないか?
ABCDの一例をもうひとつ挙げよう。資本主義発展史である。従来、宇野派の段階論では、「重商主義‐自由主義‐帝国主義」の三段階論であった。筆者はここでは「A」という「第一夜」の前に「前夜」段階、「O」を置く。「前期」でなく、「前夜」。前期なら、三段階のうち即自段階(第一夜)であるが、その前日である。あとでの述べるが、近代の前にしばしばおかれる「近世」も、英語ではアーリーモダンで、訳語は「前期」とか「早期」とか曖昧極まりないが、決着をつけたい。近世は近代とは別のテーマであり、別の日であり、前期でなく前夜である。いや、ここで述べよう。つまり、「重商主義=近世」が前夜、「自由主義=近代前期」が即自、「帝国主義=近代中期」が対自、そして誰か言うたらええのに「資本主義の最後にして最高の発展段階」としての、「グローバル資本主義(新自由主義)=近代後期」が即かつ対自である。重商主義は、だから「前夜資本主義」と言えて、本質をいえば「資本主義前夜」であり、つまり「資本主義ではない」。「資本主義成立以前の別のテーマのなにか」おそらく、封建経済の即かつ対自であろう。ただし、筆者は経済史に詳しくないので、研究は専門化諸氏に任せたい。ここでは、ABCDがOABCになった。Oの研究は、またいづれ。
また、ABCDの一例をあげる。
「A:即自・古代」‐「B:対自・中世」‐「C:即かつ対自・近世」‐「D:後夜・近代」
そもそも時間軸に沿う発展史は、必ず・絶対に・きれいに、即自‐対自‐即かつ対自のABC段階を通過する、と筆者は考える。「現実」世界で、そんな「図式」が通用しないのは、ただ空間上に「クリナーメン」が吹き荒れるからである。しかし、現代地理学があきらかにするように、空間も偶然の世界でなく、時間と同じように必然が貫徹する。おそらく、空間展開も、歴史展開と同じく弁証法が貫徹すると思われる。横向きの、クリナーメンの弁証法である。これを「構造弁証法」と名付けよう。おそらく、原理はヘーゲル・マルクスの弁証法と同じもので、適用場所が違うだけであろう。世界の縦軸は「時間弁証法」もしくは「階級闘争」で、横軸は「空間弁証法」もしくは「構造闘争」である。ただこれは仮象で、ほんとうは別紙のベン図、筆者作成の「世界図」を見てもらいたい。「全体」の外郭が構造闘争であり、「中心」の内郭が階級闘争である。「すべての世界地理は構造闘争である」。ここで「世界史」と書かなかったのは、「歴史」は仮象で、実相は「地理」だからである。地理が世界の全体で、歴史がその中心である。別に述べるが、世界は言語であるならば、その全体は「フモール(冗談)」であり、中心は「イロニー(皮肉)」である。イロニー的世界論つまり、マルクスや表三郎は誤っており、「世界」の全体はフモール、つまり「笑い」なのである。もちろん、構造闘争はフモールと照応する。階級闘争はイロニーだから、マルクスはここに限定されているわけである。もっとも、単なる弁証法、つまり「時間弁証法」も、充分これだけで空間的含意をもっており、筆者がわざわざ「横軸」の「空間的弁証法」を持ちだしてきたのは、ただ世界史の現実理解の資にする、という点以上を出ないかもしれない。大ヘーゲル・マルクスの屋上に屋を重ねる形になり、識者の憤激を買うのを恐れるばかりだ。また「フモール」に気付かせていただいた点も、先学・柄谷行人氏に敬意を表したい。
話がずれたが、歴史発展論にもどそう。
そもそも、ルネサンス期の文人たちが世界史を「古代」「中世」「近世」に分けた。これは全く正しい。ちなみにこれは、「人類前史」の正確な三区分である。しかしその後、世界史は展開し、近代革命がおこった。これは、未曽有のテーマ変換・クリナーメンであり(また、なにかのアウフヘーベンでもあろう)、世界史は「後夜」つまり「D」・「近代」に入った。これを、西洋史に毒された人は、近世を「過度期」と見做し、ABCを「古代‐中世‐近代」と置くが、間違いである。東洋史や日本史では、「近世」段階は独立している。これは内藤湖南や宮崎市定など、日本人学者の世界史的な成果であろう。日本史においてはだれが「近世」概念を確立したのか、筆者は不勉強である。内藤・宮崎は筆者の古き杵柄、東洋史の碩学である。西洋史にも、「ルネサンスは中世の秋か、近代の春か」という議論があるが、いっそ「ルネサンス=近世」を、別扱いにして、「人類前史の即かつ対自(C)」とした方がよい。「近代」は、「人類前史の後夜(D)」であり、これを「人類中史」と名付けてもよい。といっても、人類前史全体の後半部分を、とくに取り上げてそう呼ぶのである(別紙参照)。もっと言えば、前近代=即自、近代=対自、後近代=即かつ対自、である。上で近代を人類中史と表現したが、言い方を変えれば、近代は人類史全体のなかの中世である。
この近代が、内部では上述のように、「自由主義‐帝国主義‐グローバル資本主義」と三段階に展開するわけである。ちなみに、宮崎は近世と近代の間に、画期的な変革があったことを充分認めつつも、近世のつぎの近代を「最近世」とも表現し、両者の連続性を示した。筆者はそれを受け継ぎつつも、断絶性を敢てより重視したい(ただし、最終的には、近世・近代のみならず、あらゆる時代の連続性を最重要視しなければならない)。歴史学には、世界全体史、あるいは西アジア地域史におけるイスラーム成立や、日本史における江戸期を「近代の始まり」と見る向きがある。これは、ここを見誤っているのである。つまり、近世には、「市民・大衆」の成立や、領土的・社会空間的な大統一や、「前夜資本主義」とも言い得る重商主義成立など、一見近代化とも見まがう諸現象がある。西洋史において、ルネサンスと近代化とが長く混同されてきたのも同じ現象である。これらを見ても、近世の、「プレ近代」であるという性格は、もっと探求されればならない。これが「前夜」の意味でもある。この連続性を過度に重視すれば、ムハンマドのヒジュラや、織田氏の足利将軍追放を、「近代革命」と認識してしまう。しかし、前夜(近世)から当日(近代)へは、あくまで「別の日」に至って「別のテーマに変更されている」わけであり、この断絶性を直視しなければならない。つまり、オスマン帝国の滅亡や明治維新を待ってはじめて近代に入る。ここで付言すれば、西アジアの「近代革命」がなにやら「しょぼい」が、それはここでは西アジア地域は、世界全体の「コインの裏側」という空間構造に位置付けられてしまっているからである。これも、世界史の横軸である。日本人は、とかく「近代化」を「よいもの」と思っているが、これは日本社会が列強と同じく、近代における「勝ち組」つまり「コインの表側」だからであり、世界の大半の現実が見えていない。大半の世界にとって、「近代化」とは、コインの裏側に回ること-つまり「負ける」ことであり、世界史全体を土台から支える苦役に従事するのである。これが、「植民地化」あるいはマルクスの言う「商品化」である[2]。
付記
書きそこねたが、世界史を一つと見て、その「即自」(レーニンの「正」、世阿弥の「序」)が「前近代」、
「対自」、「反」、「破」が近代、
「即かつ対自」、「合」、「急」が「後近代」つまり社会主義である。
そして、世阿弥で言うが、序と破を合わせて人類前史、急が人類後史である。
近代史は、
大革命からパリ・コミューンまでが自由主義時代で「序」、
パリ陥落からソビエト連邦滅亡までが帝国主義時代で「破」、
それから世界社会主義革命までが「急」、
である。
後近代にも歴史はある。
社会主義史である。
人類前史で政治が廃止されたので、
後史では、社会=人間=ことば=世界の廃止に向かう。これは、これらの実現・最終的な完成であり、歴史は終わる。
歴史は終わり、人類はニルヴァーナ(涅槃)に入り、成仏する。
ニルヴァーナ世界は、ウィトゲンシュタインの「語り得ぬ世界」であるから、わたしは口をつぐむ。
なお、人類が自己意識を持つまでが、世界史以前、純粋な自然、時間や空間の無い、モノ自体の世界であり、ある意味「序」。
500万年前ごろであろうか、人類の自己意識獲得が天地創造で、以降の現実歴史が「破」、
ニルヴァーナが「急」と言えるかも知れない。
(脚注)
[1] 後近代は、直訳すればつまり「ポストモダン」である。重要なのは、「近代後期」ではなくて、近代が終わった次の時代「後近代」だということである。この点、80年代に流行した「ポストモダン」論は曖昧であったし、あの議論はマルクス的とも言い得る後近代論とはあまり重ならない。私見では、後近代とは資本主義の終わった次、つまりまさしく「社会主義(なんなら共産主義)」時代のことである。
[2] 朝鮮や台湾は植民地化し、日本本国でもマイノリティ(少数民族や被差別民)や労働者は商品化する。これらを、統一的に「空間的商品化」と捉えたい。構造闘争史観の一例である。むしろ、ここでの用語は哲学的なものより、世界の実相である「地理」に揃え、労働力商品化をも「植民地化」と呼んでもいいかも知れない
臨夏