氷点下32度の私たちは|prologue
カナダ、北緯63度、氷点下32度。
一面、白銀の世界。
部屋からは、ひらひら動くオーロラが見えた。
冬は朝11時前まで暗く、午後3時半には再び日が沈む。
夏は日付が変わる午前0時頃になっても明るい。
ダグラスは私のことを、陽の光を浴びた雪のように明るいと言った。
よく笑い、よく話し、時々芸術的だと。
自分でもギョッとする。
そんなこと、今まで一度だって言われたことなかった。
「明るい」なんて、私とは真逆の言葉だ。
『表情が読めない』
『結婚しなさそう』
『クール』
——— そう言われて生きてきた。
日本では、感情は必ずしも要らなかった。
同調圧力の強い画一的な社会で、言葉が持つ意味はとても正確だった。口にする言葉を間違えなければ、大抵のことは相手に伝わった。心の中でどう考えているかはさておき、伝えたいことは伝わった。お互いに認識の違いがあっても、誤差の範囲内だ。感情や表情で意味を補う必要はなかった。
それが、遠い地で過ごしてみるとどうだろう。
異なる文化を持ち寄った私たちは、怯えながら雪を積み上げて新しい自分を作っていった。
いちから、相手に伝わるように、感情をたっぷり混ぜて。
嬉しさも、悲しさも、怒りも、恐れも、戸惑いだって、構わずごちゃ混ぜだ。
私はあの極北の地で、全く別人格だった。
あれは、あの地にしかいない私だ。
皆も。
あそこにしかいない人が、たくさんいた。
氷点下32度の私たちは ———