見出し画像

【映画】『スキャンダル』に学ぶジェンダー問題

メディアの帝王、FOXニュースを率いるロジャーエイルズが女性職員にセクハラで告発された事件を基にした映画です。

メイク担当の日系アメリカ人カズ・ヒロ氏の二度目のオスカー受賞でも話題になりましたね。

この映画で描かれていることがどれだけ事実に忠実であるのかは分かりません。
ただし、ここで描かれている「セクハラの構造」は非常にリアルで、別のジェンダー関連問題に当てはめてみても分かり易いです。
僕の感想は「やはりアメリカでもこういった構造があるんだな」というものでした。

まず、事件はグレッチェンカールソン(ニコールキッドマン)によるロジャーエイルズへの告発から始まります。そこで彼女は、彼女が期待したように仲間の支援が集まらないことを残念に思いながらも、長い間準備した法廷闘争に移っていきます。

この映画の主役3人の役割は明確です。 

1、まず告発者であるグレッチェンという先導者。
彼女がいなければ何も始まりません。長いこと準備して完璧な法廷戦略を練って挑んだからこそこの物語は生まれました。

2、そして次に、自身若手時代にセクハラを受けていたにも関わらず、若い後輩カイラが未だにかつての自分と同じような被害があることを知りともに戦うことを決めた人気キャスター、メーガンケリー(シャーリーズセロン)。
このシャーリーズセロンの演技がまあカッコよかった!

3、そして野心を抱く美貌の新人キャスター、カイラポシュピシル(マーゴットロビー)。
彼女は所謂狂言回しと言って良いでしょうか。
彼女にセクハラ行為を行うことで、年老いたロジャーエイルズが未だにこの馬鹿げた行為を続けていることを知ってメーガンも告発する側に回りますし、カイラの成功への野心とロジャーと彼の行為そのものに対する恐れや罪悪感の中で揺れ動き戸惑う彼女の表現は、二人の告発後にグレッチェンやケリーと対立する側に回る社内の女性たちの心情を想像させる効果もあります。

この映画を観て興味を持った人は、その構造を踏まえた上で、実社会における様々なセクハラ、ジェンダー問題について考えて欲しいです。

実際に日本でも話題になった事件と言えば、例えば伊藤詩織さんの事件や石川優実さんの告発や運動があるでしょう。
FacebookなどのSNSでニュース記事のコメント欄を読んでいる人は覚えがあると思います。

伊藤詩織さんや石川優実さんの場合にも、『スキャンダル』と同じく、セクハラ行為が彼女らの夢や希望と天秤にかけられてあたかもそれを主体的に選んだかのように錯覚させる仕組みがあります。
この錯覚はカイラがみたものであり、メーガンやグレッチェンも見たものかも知れません。
男性の権力者とセックスをすると仕事が得られる、という構造そのものが権力構造として出来上がっているのですが、そこにいる「被害者」は様々でしょう。

伊藤詩織さんや石川優実さんらの告発に非難の声をあげるのは、女性の立場が分からず権力を振るう側にいた男性だけではないでしょう。立場を同じくする筈の女性も告発を非難する側にまわるかも知れません。

そこには様々な人がいることでしょう。
同じような被害に遭いながらも我慢した人、そういう被害があることを知りながらも黙っていた人、自分はそういった経験がないからと言って秩序を保つために告発を嘘だと決め付ける人、さらには、そういった差別構造を積極的に利用した女性もいることでしょう。

彼女らの立場が様々なように、彼女らの心情もまた様々な筈。自分も声を上げたいけれどなかなかそうは出来ないという人もいるかと。そのような女性は、隠蔽する側に結果的に加担したと言えるかも知れません。
そのような罪悪感は複雑な心理状態となって顕れ、社会的に間違った行動に駆り立てるかも知れません。
この映画でもそのことが「女性が連帯し難い理由」として描かれています。

とはいえ、一番問題なのはいつも加害者であり、権力者です。
この映画を観て「なんで酷い話だ!」と思ったことでしょう。
しかし、世の中では、同じようなことが数限りなく起こっています。
日本でもそう。

伊藤詩織さんの事件で湧き上がるネット上のやり取りを見てください。
彼女の周囲に集まる応援者が、所謂左翼陣営だからと言ってこれを美人局、左翼の陰謀だと罵る人がいます(ジェンダー問題は左翼系だけの問題ではないので、三浦瑠璃が伊藤さんの著書を絶賛したように所謂右派系もそこにいるべきだったでしょう)。

石川優実さんの告発、運動で湧き上がるネット上のやり取りを見てください。
彼女が元グラビアアイドルだったからと言って、ある種の女性性を売り物にしていたのにも関わらずこのようなジェンダー問題で女性差別だと声をあげるのはけしからんと言った馬鹿げた書き込みをする人がいます(これは芸能人のプライバシーの問題と同じで、線引きの主体は本人にあるべきです)。

この映画は特に、普段セクハラやジェンダー問題と呼ばれるものについて考えることのない人に見て欲しいと思います。
この映画を観て、「酷い話だ!」と思った人は、是非現実の問題に当てはめてみて、考えてみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?