手にしたがその手間想いに気が怯みダストシュートに送るチョコ菓子
明日はバレンタインデー。
100円ショップやスーパーでは手作りキットや菓子の材料が並び、SNSは菓子のレシピが溢れている。そんなこの時期に私は思い出す人がいる。
以前、一緒に仕事をした脳外科の医師は、
「俺はチョコはいらないぞ、受け取らないからな」と毎年宣言し、本当に受け取らなかった。
別に楽だから良いのだが、少しもやっとする。
でも、今になり分かるのだ。
コロナ禍で他人との関わり方が変化して、家族やより親密な人と他人との線引きがシビアになった。手作りの物をあげるいただくはとても親密な行為だ。今や信頼できる相手以外はハードルが高い行為なのだ。
しかし、我々は『手間をかける事』が価値ある事と考える呪いにかかっているので、2月はチョコレートを溶かし混ぜて型にはめる。そしてラッピングしてばら撒くのだ。
『手間』って何なのだろう。
それは他人に押し付けるものではなく、
他人に期待するものでもなく
ただ自分と自分の大切な人モノコトに愛情を寄せる事なのだと思う。
告白のための贈り物はそれにはあたらない。
それは目的が相手の関心を自分に向かわせる事だからだ。
今の気持ちは、その想いは何から発して向かうところは何処なのか、自分の胎を覗いてみると違うモノが見えてくるかもしれない。