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アカシアを抱える彼の娘は花も見ず時は駆け抜けほろ苦甘し
ミモザの季節である。
私が若い頃はあまり出回っていなかったので、昨今のもてはやされ方はSNSの影響だと思う。
ミモザとのファーストコンタクトは『空中アトリエ』という児童文学の中だった。主人公は自由な母を持つ女の子で、ある日晩ごはんの食材が無く、ママは飾ってあったアカシアの花を天ぷらにするシーンが印象的だった。
時は過ぎ20代前半、私はクリニックに勤務する看護師で往診に同行していた。伺ったのは寝たきりのお爺さんはいるが豊かで温かいお宅だった。天気の良い土曜日だった。奥様が帰り際に庭の見事なミモザを一抱え切って下さった。素敵な笑顔で飾ってちょうだいと。
今の私なら狂喜乱舞する大きな花束。
でも、その時の私はうれしくなかった。
その頃、私は夫と2人で安い2Kの住宅に住んでいた。鉄のドアをあけるとすぐシンクと一口コンロ、換気扇無し。ガス給湯器無し。お風呂は沸かす点火スイッチがベランダにある。
そんな住まいに不釣り合いなミモザ。
スクーター通勤では運べない大きな花束。
私はクリニックに戻ると残っていた事務職員に『貰ってください』と押し付ける様に渡した。
今は花を楽しむ余裕がある。
今年はコロナ禍でリース作りの集まりに参加できないのでスワッグを作ってみた。
銀葉アカシアとパールアカシアは花の大きさが違うのね。
花を楽しめなかった若い私に、頑張ったねぇと声をかける。あなたの頑張りの先に今の私がいるよ。この先はどんな私が待っているんだろうね。