卵巣嚢腫を抱えて
こんにちは
私の普段の姿は20代OLなのですが、実はこの度卵巣腫瘍を取り除く手術を受けました。
自分の病気が発覚した時に、体験記的なブログとかがとても参考になって勇気づけられたので、自分の記録と誰かのためになればいいなと思って、ここに記します。
また、つらつらと書き連ねていたらとても長くなってしまったので、重要なところは太字にしました。お急ぎの方は太字部分のみ読んで頂ければと思います。
(私はお医者さんではないので、ここに書いてあること全てが医学的に正しいとは限りません。あくまで体験記としてご参考になればと思っています。辛い時はきちんとお医者さんに相談してくださいね。)
目次
①病気に気づいたきっかけ(初期)
②救急車を呼ぶことについて
③夜間救急にて
④泌尿器科での発覚
⑤産婦人科にて
⑥初めてのMRI
⑦再びの産婦人科
⑧病院の選び方
⑨いざ入院!とその前に
⑩今度こそ!初めての入院生活と手術
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小さいころから風邪で学校を休んだことがなく、入社してからも体調不良で休暇を取得したことがないほど、健康だけには自信がある人間でした。
-----病気に気づいたきっかけ(初期)-----
そんな私が病気に気づいたのは、2020年の10月。
前の月に、ある朝起きると尿意があるのに尿が出ない…いわゆる尿閉という症状になったことがあって、結構しんどかったのですが、その時は5~6時間経過すると普通に尿が出るようになって、「あー、疲れてたのかな~」くらいに思っていました。(ちなみにこの日は休日だったので、休日外来に行ったもののなんの処置もしてもらえず、膀胱炎用の抗生物質を処方されて終わりました。唯一のヒントとして、お医者さんに「婦人科系や精神に起因する可能性もあるので一度大きな病院に言ったほうが~」と言われていたのですが、まさか卵巣に病気があるとは思いもよらず、通常通り尿も出るようになったので「様子見てみよ~」で終わってしまったのでした。)
しかし、10月のとある土曜日。ディズニーランドに出かけて、その夜、元バイト先の飲み会がありました。1年ぶりに再会する元彼もいる飲み会だったので、正直、神経が昂っていたことが影響したのかしないのか(笑)アルコールも摂取していた結果、またしても尿閉になってしまいました。
正直、飲み会の中盤から冷や汗が止まらず、尿意を感じてお手洗いに行くのに尿が出ない…めちゃくちゃしんどかったです。
元彼がいるだけでも平常心ではないのに(実際飲み会自体はとっても楽しかった!笑)体調にも影響がでてきて、だんだん我慢する辛さだけではなくて下腹部が張って痛くなってきて、どうにかなってしまいそうだった…けど、元彼もいる、男性もたくさんいるのに尿が出ないとは言い出せない…解散後、乗換駅で一人になった瞬間に駅のトイレに駆け込みました。
最悪なのは土曜日の夜だったということ。平日より終電は早いわ(そもそも電車に乗って帰れる気もしなかったけれど)当然病院もやっていない。普段は好んで駅のトイレに行くことはないのですが、個室で苦しみながら友達にLINEして、挙句救急車を呼ぶことにしました。
-----救急車を呼ぶことについて-----
救急車を呼ぶことも、乗ることも初めてで、にもかかわらず意識はしっかりしていて、救急車を呼んでいいのか躊躇っていたけれど、結果的に呼んでよかったです。むしろもっと早く呼べばよかったかもしれない。尿意を我慢しすぎると腎臓とか?別の臓器に影響が出る可能性もある、とネットで読みました。
みなさん、多少躊躇いがあっても、適切な交通手段がないとか、どこの病院なら受け入れてくれるのかわからないとか、とにかく辛いときは救急車を呼びましょう。搬送中に「自分で救急車に乗り込める程度には意識もはっきりしていながら、救急車を呼んでもいいのか」と救急隊の方に聞きましたが、全く問題ないし、自分で救急車に乗り込む人も多いとおっしゃっていました。
-----夜間救急にて-----
病院についたものの、(コロナの影響から)熱を測らされ、お医者さんが下りてくるのを待ち…という時間が続き、地獄のように感じました。
そのころにはリアルに妊娠6~7か月くらいの妊婦さんと同じくらいにはお腹が出て(張って)いました。結構パンパンで、指でお腹を押してもへこまないくらい。
お医者さんが来てからは、(膀胱の尿量を確認するために)エコーをするのが通例のようでしたが、お腹の張りをみて即導尿してくれることになりました。
結果、950mlという信じられない量の尿が排出され、ちょースッキリ!しました。(一般的な女性の膀胱容量は300~500mlだそう)
がしかし、ここでエコーをしていれば卵巣の異常にはもっと早く気づけたのでした…。
処置が終わったのは夜1時半頃、当然終電はないので6000円ほどかけてタクシーで家に着いたのでした。この時ばかりは、痛い出費だったけれど辛さが解消された喜びのほうが大きくて、タクシー代も苦ではありませんでした。
-----泌尿器科での発覚-----
過去の症状からして、膀胱や排尿の障害だと思っていたので、まずは泌尿器科にかかりました。
と思っていたのですが、9月の尿閉後に一度泌尿器科にかかったものの、膀胱炎を疑われて、様子を見るように言われてたことを今思い出しました。。
しかし、さすがに救急車で運ばれたのでもう一度確認してほしい、と10月半ば頃に、再度泌尿器科にかかったのでした。
流れ的には、第一回尿閉→休日診療→泌尿器科→第二回尿閉→救急車→泌尿器科(イマココ)です。
その泌尿器科でエコーをしてもらったところ、卵巣に腫瘍があると発覚し、産婦人科への紹介状を書いてもらいました。
泌尿器科では、「良性か悪性かは五分五分ですね」と言われたので「あ、私死ぬのかな…こんなに元気なんだけどな…」みたいなことを思って、またしても友人にLINEをした記憶があります。
-----産婦人科にて-----
泌尿器科に行ったのが土曜日、しかし私は病気が気になりすぎて、紹介状を握りしめて月曜日には産婦人科に行っていました。
地域では人気の産婦人科で、午後の診察開始時刻(15時)に行ったのに、予約なしだと一番最後(つまり19時前)まで待たされました。4時間の間に1人くらい入れられるのでは?と思ったのですが、ルールなので仕方ありません。待ちました。
そこで改めて、「卵巣嚢腫」という病名を伝えられました。大きさおよそ13cm。卵巣って、通常は2~3cmらしいので大きい部類に入るようです。そこまで大きくなっても、生理は周期通りに来ていたし、不正出血もなかったので、案外気づかないものなんだな~と思いました。(しかし今思えば、いわゆる性交痛というものがあったような気がしないでもないです…ただ当時は、そのパートナーが刷新された頃だったので、お相手の大きさの問題かと思い込んでましたwww)
産婦人科の先生には、エコーの輝度(という単語があるらしい)的に、さらさらした水のように見えることや、年齢的にまだ若いことなどを鑑みると、良性でしょうと言われました。ただし、この大きさだと手術は免れないだろうとも伝えられました。(悪性の場合は、水溶物ではなく物が詰まっていることが多く、輝度というものが異なってみえるらしいです。素人的には、色々ググってみたものの、自分のエコー写真がどちらに相当するのか判断できませんでした。)
その後、さらに判別を明確にすべく、MRIの受診と入院先の検討を言い渡されてその日は終わりました。
-----初めてのMRI-----
そんなこんなで、翌週あたりにはMRIを受けに行っていました。冒頭の通り、風邪すらほぼ引かない健康体だったので点滴をしたことすらなかったのですが、MRIでは造影剤というものを使用するために、人生初の点滴をしました。感想は…終始違和感がありました(笑)
MRI自体は、噂通り結構うるさくて、結構狭くて、いい気分ではなかったです。ただ痛いわけでもなく、検査か~っていう感じでした。(語彙力)
-----再びの産婦人科-----
1週間ほどするとMRIの結果が出るので、再度産婦人科を受診しました。MRIではエコーより鮮明に腫瘍の様子がわかるらしいのですが、素人にはやはりその違いはわかりませんでした(笑)
ただ、MRIの結果からもおそらく良性、とは言われたので(「絶対大丈夫」とか「絶対良性です」とは絶対に言ってくれない)少しは安心。しかしやはり手術は必要なので、病院を検討します。
なお、卵巣嚢腫の手術は腹腔鏡手術で実施され、腫瘍の中身を吸い出した後、腫瘍を覆う皮を取り出すのが一般的な手順のようです。
また腹腔鏡とは、開腹の必要がなく、数mm程度の傷跡が数か所残るだけで済み、低侵襲(痛みが少ない)なことが売りな一方で、お医者さん側には高い技術が求められることが特徴のようです。
ちなみに、悪性の場合には腫瘍の中身を体内で漏らしてしまうと大問題なので、開腹手術を行うこともあるようです。
-----病院の選び方-----
いきなり病院を決めろ、と言われても、素人には何が大切な観点なのかわからないし、どこの病院がいいのかわからないし、結構困りました。
私の家の近くには都立病院と私立の大学病院があったのですが、産婦人科の先生には都立病院を勧められました。(ちなみに産婦人科の先生はその大学病院出身で、指導医もなさっていました。)
都立病院を勧められた理由としては大きく以下の2点でした。
1.大学病院は手術までの待期期間が長い可能性が高い
2.大学病院の場合、研修医などの若手が手術を担当する可能性がある(当然指導医にあたる先生もオペには同席されます)
その他、私が看護師の友人などから得た情報は以下の通りでした。
1.都内の名医といえば圧倒的に順天堂の女医先生、ただし、先生の指名は基本的にできない、運よく女医先生に当たっても、半年待ちは覚悟しなければならない
2.腹腔鏡認定医という資格を持った先生がいる病院がいい(ただしこれについても、資格を持った先生がいても、必ずしも執刀医がその先生になるとは限らないようなので、そのあたりは要注意)
3.これは結果論ですが、病棟って結構古かったりすることも多いと思います。私が入院した病棟と手術棟は、めちゃくちゃきれいで新しくて、それは個人的にとてもよかったです。でも、きれいさよりもいい先生かどうかを優先すべきです。これは絶対。
4.窓が見える病室があるなら、そのほうがいい。私の病室は、窓は一応あるのですが全然外の景色が見えず、外光も全く入ってきませんでした。病院って6時起床21時半消灯とかいう信じられないくらい規則正しい生活が強いられるので、朝から光が入ってくるくらいの部屋のほうが気分がよかっただろうなと思います。特に出歩けない術後などは、窓が見える部屋のほうが気持ちが明るくなると思います。入院中ってただでさえ狭い空間に閉じ込められていて、毎日景色が変わらないので。ただし、これも3.同様重要なポイントではありません。特に卵巣嚢腫での腹腔鏡手術であれば長くても入院は1週間程度だと思うので、希望が通るのであれば、レベルの話です。
と、ここまで書いておきながら恐縮ですが、私自身は幸運なことに地元の総合病院で、知り合いの先生に手術をお願いすることができました。(一流の大学ご出身で、もちろん腹腔鏡認定医の資格もお持ちの方でした。)
やはり手術には知り合いのお医者さんがいると一番強いらしいです。
正直病院に通うために新幹線に乗らなければならず、多少は面倒な気持ちもありましたが、一生を懸けた(?)手術なので、信頼できる先生にお願いできるならそれが一番、と思いお願いさせていただきました。
ちなみにですが、大きい病院は紹介状を書いてもらっても、すぐに受診できるとは限りません。大体予約制なので、紹介状をgetしてから初診が1ヶ月後、とかになることもあるようです。(病状によるとは思いますが)
-----いざ入院!とその前に-----
いよいよ入院が1か月後に迫ったころ、またしてもやってきました。尿閉。
忘れたころにやってくるのです。私の統計によれば、ビタミンCやアルコールなどの利尿作用があるものを大量に摂取したり、寝る前に摂取するとダメなようでした。なので、寝る前にりんごとかイチゴを食べた日も翌朝結構危うかったです。
この尿閉はまたしても日曜の朝、という休日の出来事だったので、迷いつつも急患を見てくれる近所の病院を探しました。家にいたので救急車は呼ばなかったのですが、このコロナ禍ゆえに3軒目でやっと受け入れてもらえることが決まり「たらい回し」の恐怖を感じました。
尿閉について、自分の推測では腫瘍によって膀胱が圧迫されており、普段以上に膀胱の容量が少なくなっているのに、尿が溜まりすぎて…この先のロジックが思いつかずいつもここで止まるのですが、とにかく何かしら腫瘍が影響しているのでは?と思っていました。
そんな出来事に耐えながら入院準備をしていたのですが、入院準備でのポイントを書いておきます。
1.割りばしやスプーンは使い捨てが便利
手術翌日からお粥などが食べられたのですが、正直翌日はほぼ元気がありません。長期入院の場合はそうもいかないかもしれませんが、1週間程度なら使い捨てのカトラリー類が便利です。
2.ストローが便利
手術当日の夜や翌朝は、うがいをするにも洗面所まで行けません。(たった1mでも歩くのはきつい)ペットボトルと器を使ってうがいや歯ブラシをするのですが、その時ストローがあって私はよかったなぁと思った記憶があります。
3.制汗シートが便利
手術から数日間はお風呂に入れません。一応体拭きなどはあるのですが、術後は熱が出たりもするので1日1回の体拭きでは物足りなさがありました。そこで、持参した制汗シートが個人的には気分転換くらいにはなりました。
4.初日は耳栓があると便利
人間の適応能力はすごいもので、私の部屋にはめちゃくちゃいびきのうるさいおばあさまがいたのですが、数日もすればいびきがうるさくても寝れるようになっていました。(というより私自身手術で疲れていて、いびきを気にする余裕がない程度にぐったりだった)
しかし、個室じゃない限りは耳栓があると安心かなぁと思います。特に入院初日の夜など。私は海外旅行中に飛行機内で配られた耳栓が役立ちました。
-----今度こそ!初めての入院生活と手術-----
そんなわけで、ついに入院です。私の入院計画は6日間、2日目に手術でした。
良性だろうとわかってからは、どうせ入院しなければいけないなら、体験入院的な気分で楽しく(と言うと語弊がありますが)普段見られない世界を知ってみよう、くらいの気持ちでした。
1日目に家族同伴で手術についての説明があり、その後はなんやかんやして、シャワーを浴びて、夕食を食べて…などとやっているとあっという間に消灯時刻になりました。ちなみに前日夜21時までは食事制限はなかったので、私はフツーにお菓子を貪り食っていました。
2日目は、朝6時以降水すら飲めなかったので、もう一度シャワーを浴びて、呼び出し時刻までひたすら寝ていました。いびきおばあさまと、謎の虫(蚊のように耳元でブーンという羽音を響かせる最悪な虫)のせいで、耳栓はあれど夜は熟睡できなかったので、午前中の睡眠時間は結構よく眠れました。
そんなこんなで、お昼前に手術室に呼ばれました。手術室までの道のりって、既にストレッチャーに乗せられていて運ばれていく印象が強かったのですが、普通に歩いて手術室まで向かいました。
手術室の中に入ってからは、ドラマの映像を思い出しながら、実際にはこんな風になっているのか!とキョロキョロしてしまいました。
その後すぐに手術台の上に上がり、全身脱ぐように言われました。その後はおでこに眠りの深さを測る機械を装着され、肩にもなにかしらを装着され、鼻に酸素チューブを装着され、点滴から麻酔していきますね~という言葉を最後に記憶は途切れました。
気づけば2時間50分後、名前を呼ばれて一応意識が戻りました。3時間の予定と言われていたので(私は腫瘍が大きかったので、少し長くかかると聞いていました)目覚めたあとに手術時間を測る時計が目に入ってきて、2時間50分、おー予定通り!と思ったことと、執刀医の先生が待っていた父親になにやら説明していたような声の記憶はあるのですが、それ以外のことは何一つ覚えていません。
病室に戻ってからも、しばらくは寝ていました。2時間後くらいに起きた時には割とはっきりとした意識がありましたが、まだ水すら飲んではいけなかったので、痛み止めの点滴のみ追加してもらってまた寝ました。消灯時刻になって覚醒し、手術当日の夜は夜更かししたような記憶があります。
とにかく点滴と尿の管がつながっているので、基本動けませんでした。
翌朝、カロリーメイトのゼリーが朝食として出てきましたが、私にしては驚くほどに食欲がなく(一度に食べると吐き気を催す人もいると脅されて、なおさら食欲が減退しました)一口、二口飲んだ程度でまた寝ました。
朝10時頃、お手洗いまで歩けるかチェックののちに、尿管を抜いてもらえました。このあたりは人様のブログなどで流れを学んでいたので、進○ゼミでやったやつや!みたいな感じでした。
さすがに24時間寝たきりで、手術後だと起き上がることも一苦労(お腹に力が入らないので)立ち上がるにも一苦労(立ち眩みなど)で、ちょっと時間がかかったものの、点滴の棒を歩行器代わりに、無事お手洗いまでは到達できました。
そこから再度寝ていると、あっという間に昼食時間になりました。この時食したお粥と親子煮が、入院中で一番おいしかった記憶があります。
夜になると担当の先生も来てくれて、腫瘍の中身が600ccだったこと、事前の想定通りおそらくチョコレート嚢胞であるということ(正確な診断結果は病理検査後)を教えてくれました。
手術日含めて3日間は、熱が38度まで上がったり、一日中寝ていたり、起き上がりや歩行が辛くて痛み止めを服用していましたが、その後は急速に回復し、熱が下がるのと同時に痛みもだんだんとマシになってきました。
一方で、しばらくお通じがなく、腸を動かすためにも歩き回ってください!と看護師さんには言われていました。
そこで、渋々痛み止めを飲みながら院内を歩き回ると、お臍の傷跡から液体がしみだしていることに気づき、看護師さんに診てもらいました。すると、血の混ざった液体がドロッと流れでてくるのと同時に、そこそこグロテスクなお臍が現れました。想定外の姿に私は思わず目を背けてしまいましたが、看護師さんは動じず対応してくれたので、さすがはプロでした。(手術後ずっとテープでおおわれていたので、私にとってはこの時が初のお臍とのご対面)
ちなみにお臍はとりわけ液体が表出しやすいらしく、術部から液体が出てくるのはままあること、くらいな感じらしいです。
手術日から3日後、朝先生の診察があり、やっと入浴(シャワーのみ)が許可されました。私は速攻でシャワーを浴びて、この日もまた院内散歩をしました。
お臍が結構デベソっぽくなっているのは気になっていましたが、先生曰く手術時にお臍の底をぐっと上にあげたため、今はデベソっぽくなっているがそのうちもとに戻る、とのことでした。
そんなこんなで手術が終わって4日後、朝の採血結果に問題がないことを確認してもらったうえで、無事退院が決まりました。
退院数日前には、痛み止めを持ち帰りたいと看護師さんに伝えていましたが、退院日にもなると、痛み止めの必要性を感じない程度には回復していました。(それでも咳やくしゃみは傷口に響きます)
私は退院直前に、処方していただく薬の量を減らしました。持ち帰りの薬は、結構直前に再確認したほうがいいかもしれません。
未だ私自身の最終的な病理検査結果は出ていませんが、人生初の入院を通して感じたことを記しておきます。
・まずは、このコロナ禍にも関わらず、手術を予定通り受けられたことは幸運だったと思うし、お医者さんや看護師さんの努力と我慢の産物でもあると思うので、感謝したいです。
私自身、さすがに入院前にコロナにかかるわけにはいかないので、2週間ほどほぼ完全引きこもり生活をしていました。しかし、医療従事者の方々は、昨年の春頃以降ずっと解放的な気分で外出のできない生活を強いられているのだろうと思います。これは、コロナ病棟で働いていようがいまいが、です。ニュースなどで分かってはいたものの、自分自身の経験を通してこのことを強く実感しました。
仕事とはいえ、他人のために自分の楽しみを犠牲にするのは、心の折れることだと思います。
コロナの終息とともに、noマスクなど、罹患リスクの高い行動をとる人がいなくなることを願っています。
・看護師さんは、軽症若者にはさっぱりと対応する
これは不満ではなく、単純な感想です。悪しからず。
私にとって今回の入院は大きな出来事でしたが、病棟には当然悪性の腫瘍などを抱えた患者さんもいらっしゃいます。私自身は手術直後こそ面倒を見てもらえたものの、手術翌日の体拭きはセルフで任され、そのうち体温・血圧測定の回数も減ってきて(お散歩してたから?)軽いな~という感じでした。
それでもこうして今元気にしているので、問題はないのですが。
私の退院前日に、同室の隣人が急遽手術を言い渡されていました。
その方は手術経験が複数回あるようでしたが、さすがに手術を受けるとなれば、心の準備は必要だろうと思います。症状が重い方はもちろん、特にこの面会が禁止されたコロナ禍で、精神的に支えが必要な方にも、形式ばかりではなく、重点的な「看護」が行き渡るといいなと思いました。