『ロックマンエグゼ』と糸井重里から想像した未来のインターネット
『ロックマンエグゼ アドバンスドコレクション』発表
6月28日のニンテンドーダイレクト・ミニで『ロックマンエグゼ アドバンスドコレクション』が発表された。
『ロックマンエグゼ』とは、数あるロックマンシリーズのうちのひとつとして2001年に誕生したGBA(ゲームボーイアドバンス)用のゲームである。
私はロックマンには疎く友達の家ですこし遊んだことがある程度だったのだけど、パッと見のデザイン、さらには実際にプレイしてみての絶妙な難易度からはじまる間口の広さに魅了され、その世界にのめりこんでいく。
それにしても思春期に好きだったゲーム、今でもトレーラーを見るとあのときの情熱が蘇るからすごい。そして大人になって昔みたいにどっぷりと浸る力がなくなった私にとっては、サブスク含め音楽を手軽に聴けてしまう便利な世の中が最高にありがたい。寝ながら流すことで、いまだに枕もとにゲームボーイなのだ。泣く。
実況動画とかVtuberとか、そういうビッグウェーブには乗れてないのだけど、やっぱり音楽は偉大だなぁ。体験が浮かぶもんなぁ。
糸井重里著『インターネット的』との出会い
幼い私が未来のインターネットを想像するきっかけとなったもの。ゲームなら『ロックマンエグゼ』、本なら糸井重里さんの『インターネット的』(確認してみると、新書版が発売されたのはちょうど2001年のことらしい)。
今も思っている。『ロックマンエグゼ』に夢中になった後、『インターネット的』に出会えたのは、幸運だったと(私の順番はこうだった)。
なぜか?
文庫版『インターネット的』のあとがきによると、この本は文庫化されるまでの十年あまりもの間、ほとんどの人に読まれなかったという。その理由を糸井さんは、ずばり、こう書いている。
思えば、PCを手に入れるのがまわりの友達より遅かった私にとって、インターネットは想像するだけの世界で……メディアはこれを「人々に幸せな未来をもたらす」と騒ぎ立て、刺激的な「物語」として語る。
子供の私でもそうした「時代のうねり」を感じ、その場にいることができない現実を歯がゆく思っていた。『ロックマンエグゼ』で見た光景を、自分も味わいたい。そう願ってやまなかった。
そんな中、糸井さんの以下のような姿勢は、私を落ちつかせる「くすり」になったのだ。
未来のインターネット、未来のわたし
『ロックマンエグゼ』で描かれたネットワーク社会に、我々はまだ追いついていない。もしかしたら、追いつくことはなく、多少……あるいはまったく違う道を歩むのかもしれない。
『インターネット的』が文庫化してからさらに十年近くが経った現在も、多くの人が「十年後のインターネットはどうなっている?」と想像している。私はそのことを考えるたびに、糸井さんの言葉を思い出し、深呼吸をする。
未来のことは誰にもわからない。ただできるのは、いまを楽しんで、精いっぱい生きること。そのためにも、『ロックマンエグゼ アドバンスドコレクション』を心待ちにしている。
ああ、早く発売されないかなー。