あぁ、外食したい。
もういい子ぶるのはやめよう。
「生活の中に楽しみを見出していこう」と前向きに語ってはいるが、実際は結構ギリギリの精神状態で生活している。
こんな事態なのにまだ遊びに出歩いている人がいるという情報が目に入るたび「お前らはアホなのか、理解する脳が退化してしまったか」と罵声を浴びせたい気持ちにかられてしまう。
自粛してるこっちがバカみたいじゃないか、と投げやりな気持ちにもなるけど、だからといって自暴自棄になってはいけない。
粛々と家で過ごすことが子ども達との日常を守る術なのだから。
せめて非日常となった日常を保とうと、守ろうと、日々必死なのだ。
「生活の中に楽しみを見出していこう」という目標を掲げなければ、私のチンケなハートなどすぐブロークンすることがわかっているからこそ、血眼になって些細な楽しめる事柄を探す日々である。
さてさて。
突然だが。自分の作るご飯に飽きてきた。
この悩みを抱えているご家庭は相当数いると思う。もう味の予想の出来る食事には飽きてきてしまったのだ。
そんなこともあって、たまのテイクアウトを今の心の拠り所にしている。今一番の楽しみは、なんといっても『食』なのだ。
コロナ太りも甘んじて受け入れる所存だ。しかたがない、それが一番の楽しみなのだから。ここで節制をしようと思えるほど私は出来た人間ではない。
そんな本日のお昼もテイクアウトを利用することにした。お正月に購入した福袋のお得な引換券を使う目的も兼ね、今日のランチは銀だことすることにし、みんなでニコニコ食べる団らんのひとときを想像しながら購入してきたのである。
しかし、帰ってきたら「おかえり~!」も「買ってきてくれてありがとう!」も「美味しそう~!」も無く、待ち受けていたのは号泣しすぎて癇癪を起している娘と、「さっきこんなことあってさ」と愚痴る夫であった。
途中までは娘の言い訳も、夫の愚痴も聞いた。
でも途中でプツンと、私の心の糸が見事に切れてしまった。
「今!それ!!聞きたくない!!!私は銀だこをみんなで楽しく食べたかっただけなの!!!」
癇癪起こす娘、愚痴る夫、切れる妻。
さすがは家族、似た者同士、どれも似たり寄ったりである。この中においての一番の被害者は息子ということになる。息子よ、ごめん。
しかし、もう、ただでさえ非日常の中どうにか楽しく過ごそうとこっちは右往左往しているのに、私の息抜きの時間であるテイクアウトランチまで乱されてはもう黙っていられない。
今泣かせるなよ、今泣くなよ。
私のイライラはピークに達してしまった。
しかも理由を聞いてみたら、私が良かれと思って買い直した縄跳びが使いにくかったのかうまく跳べず、それに娘が苛々したのが事の発端というではないか。
「しーちゃん17回しか跳べなくてさ、イライラして行動が荒くなっていたのに俺もプツンときて怒っちゃったんだよ」
って、夫よ、お前は何をしてんだって話だ。
17回『も』跳べたんだからめいっぱい誉めればいいじゃないか。
「しか」じゃないよ「も」だよ。
「まだ慣れない縄跳びなのに17回も跳べたなんてすごい!!」って言ってればこんなに癇癪起こして泣くようなこともなかったのに、そこで怒っちゃダメでしょうよ。
と考えれば考えるほど私まで苛々してしまい、癇癪泣きが止まらぬ娘の対応を夫に丸投げし、私は息子と二人で銀だこを食べ始めることにした。
あんなにテイクアウトランチを楽しみにしていたのに、苛々してるから食べるスピードも早くなり、あっという間に食べ終わってしまった。
違う、私がやりたかったのはこんなランチじゃない。
その後も私の悶々とした気持ちは中々収まらず(娘の悲鳴泣きも40分以上は続いた)、今日一日どんよりして過ごしてしまった。
夜になり今日を振り返る中で私が感じたこと。
どうにかこうにか過ごしている日常を、どうにかこうにか見出そうとしている楽しみを、阻止できたような理由で邪魔される。それが今一番の私の地雷なんだろう。
世が荒れている。でもせめて家は荒らしたくない。
今すぐにでも下方に向きそうなメンタルをギリギリのところでプラスに向けて過ごしているんだ、家庭の中に波を立てないで欲しい。
今は子どもに泣いて欲しくない。癇癪を起して欲しくない。怒りたくない。怒って欲しくない。
子どもだって今の日々にストレスを感じているはずだ。甘やかしだと思われてもいい、今はとにかく平穏に過ごしたい。
未だかつてにないくらいの平和主義者になっていることに気づいた。
そんな、自分がどうにかやっとの思いで守ってきた『平穏』を乱されたことに対し烈火の如く憤慨し、結果私が一番その『平穏』を乱しているという現状。それに気づいたとき、一番悲しくなった。
とにもかくにも。
こんな風にふとしたことで感情が爆発してしまう要因。
全ては「息抜きが上手くできない」ことに繋がると思う。
私は食べることに喜びを感じ、その喜びが息抜きの糧となり、『美味しい食事』に嬉しさや癒しを感じる民なのである。
自分で食事を作ることもさほど不得意なわけではないが、たまには自分じゃない誰かが作った美味しいご飯を味わいたい。毎日3食作るのは中々どうして辛い。お昼ご飯を作りながら夜ご飯のことを考え、夜ご飯を作りながら次の日の食事のことを考える日々にはもううんざりなのだ。
とはいえ、今も時々はテイクアウトも利用しているし、充分美味しいとは感じている。
でも違う、やっぱり違う。外で食べるのと息抜きの度合いが全然違う。その場で出来立てを食べたい。一番美味しい状態で食べたい。
立派なものじゃなくていい。もはやフードコートでいいのだ。
あぁ、外食したい。
我ながら、なんて食い意地の張った望みなのだろうと思うけども。外食がしたい。それが私の目下の望みである。
早く外食が出来る世が戻ってきますように…
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