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7歳5歳の二児の母。 育児ブログ「りんごの時間。」は9年目突入。 ブログの話、家族の…

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7歳5歳の二児の母。 育児ブログ「りんごの時間。」は9年目突入。 ブログの話、家族の話、昔の話。 ブログでは敬遠しがちだった『役に立たないこと』をメインに書いていきたいと思います。 ■ブログはこちら➡https://www.ringo-time.com/

最近の記事

私のために漬物を漬けてくれる人はもういない

ぬか床生活を始めた。 丁寧な暮らしらしさ溢れる響きだが、なんてことはない、ジップロックを用いて冷蔵庫で漬けるという大変お手軽なぬか床生活である。 『発酵食品は腸環境を整える』ということを聞き、慢性的な頑固に長年悩んできた身としては「じゃぁ、やってみようかな」と思い至った次第である。 ぬか床はこれで二度目の挑戦。 一度本格的なぬか床とやらに憧れ挑戦し、見事に腐らせてしまった過去のある私としては、冷蔵庫で作ることが出来、飽きたら冷凍して休むことも出来るという手軽さは魅力で

    • 自由時間はあるけど自由はない

      休校・休園生活が終わり、日常が戻ってきてから2ヶ月ほど経過した。 休校が明けてすぐの頃は、「子どもが幼稚園と学校に行ってくれるって素晴らしい。生活に芯があるって素晴らしい。自分の時間があるって素晴らしい!」と生活リズムが整ったことに感激していた私なのだが。 この生活に慣れるにつれ、段々と疲れてくるようになった。 自分があんなに望んでいた一人で過ごす時間がこんなにたくさんあるのに、何に疲れているのだろう。 大して疲れるようなこともしていないはずなのに、なんでこんなに毎日

      • 母親は完璧じゃなくていい

        頼れる親が近くにいるわけでもなく、夫の帰宅が早いわけでもなく。 私は土日を除き、常に一人で育児をしていた。 自分一人に対して幼い子どもが二人。 その中でも、娘2歳、息子0歳の時期が群を抜いて何が何だかわからぬ慌ただしさだったように思う。 己を分身させるわけにもいかず(出来ることならしたかったが)、どうやっても物理的に子どもの対応が不可能なときが多々あった。どう考えても手が足りないときが。 『上の子を優先するべし』 そう色んな人に言われていたし、実際子ども達を見てい

        • 「ママのご飯が好き」にプレッシャーを感じてしまうときがある

          私は恐らく、料理は不得意ではないと思う。 かといって、作るのが好きかと問われて「はいっ!!」と元気よく答えられるほどではない。得意=好き、では決してない。 日々のご飯作りに関しては面倒で面倒で誰かに代わってもらえるなら代わって欲しいと毎日思っている。 一方、クリスマスやおせちといったイベントごとの料理に関しては、達成感を味わえることもあり楽しんでやっているのもまた事実。そういった料理に関してはやりたくてやっている。 割と得意なものも、「自分がやりたいかどうか」という気

        私のために漬物を漬けてくれる人はもういない

          娘のフォローはしても口出しはしない。

          娘の誇るべき性格は『ぶれない』ところだと思う。 自分がいいと思ったらいい。人と同じことであるよりも「自分がどう思うか」で動く節がある。 それゆえ、友達とベッタリ過ごすことよりも、自分がやりたいことを重きにおいて動きがちであるので、いわゆる女子らしい交友関係は築けていないようにも感じるのだが… それにもきっとメリットはあるはずなので、私から娘に対しあれこれ言わないでおこうと思う。 さて、話は先日noteに書いた『宿題にめいっぱい赤を入れられた』件である。 ここまで訂正

          娘のフォローはしても口出しはしない。

          日常が始まったらお酒を飲みたい気持ちが無くなった

          自粛期間中の私に間違いなく新しく出来た習慣と言えば『一人で酒を飲む』ことだと思う。 飲み会に行くのは楽しいから好きだけど、酒は決して強くはないし、飲むとすぐ頭が痛くなるし、家でまで飲みたいとは思わない。 というのが今までの私であった。 それでも出産前は家でもたまに飲むことはあったのだが、出産後は物理的に飲めなくなり、その後はアルコールとは縁遠い生活を送ってきた。 娘の入園後、数年ぶりの『飲み会』というものがあり、そこで楽しさを思い出したわけだが、同時に体が全くアルコー

          日常が始まったらお酒を飲みたい気持ちが無くなった

          字をキレイに書かなければいけない理由を子どもに上手く説明できない

          我が家には今年小学生になった娘がいる。 コロナ休校により、学校で一度も授業を受けてもないうちから大量に宿題が出され、その上一回目に提出した宿題には赤がめいっぱい入れられてしまったことで次の宿題は丁寧に取り組むことを余儀なくされてしまい、母親が教える側になってしまったことで取り組みがスムーズにいかなくなり困惑している、というような内容を以前noteに記録した。 存在が恨めしい、と思いながらどうにかこなした娘の宿題。 前回よりも丁寧に書くように伝えたし、娘も消しゴムで何度も

          字をキレイに書かなければいけない理由を子どもに上手く説明できない

          宿題の存在が恨めしい。

          我が家には今年新一年生になった娘がいる。 と言っても、まだ授業すらしていない。 授業すらしていないのに。 先日の登校日に、山ほど宿題を持ち帰ってきた。 既に学びをスタートさせている小学2年生以上の学生に比べたら少ないとは思う。 それでも私は中々驚愕した。 プリント国語・算数各12枚分(両面6枚)。 ドリル国語24ページ分、算数13ページ分。 国語の教科書の音読。 あさがおを育てる、並びに観察日記。 その他、指定の動画を見たり、音楽を聴いたり、ストレッチをす

          宿題の存在が恨めしい。

          私が今高校生だったら9月入学を望んでいただろうか…を考えてみた

          先日noteとメインブログに9月入学の件について書いたところ、想像以上に見ていただけており、またTwitterへたくさんのご意見が寄せられている。 それだけ、子を持つ親として気になる話題なのだろう、と思うと同時に、頂く様々な考えを見ているうちに少々冷静になってきている私もいる。 「いや、どう考えてもこんな不満が爆発するような理不尽なことはしないよな…。だって、既にこんなに不安や不満が飛び交っているんだもの…」 入学時期がどうなるかはさておき、最低限学年が分断されるような

          私が今高校生だったら9月入学を望んでいただろうか…を考えてみた

          9月入学は反対です。2015年8月生まれの息子を持つ母の気持ち。

          我が家には、2013年9月生まれの娘と、2015年8月生まれの息子がいる。 学年で言うと、娘は小学校一年生、息子は年中さんだ。 ところが、これが覆されそうな議論が今まさにされているではないか。 来年の9月で、娘が2年生に、息子が1年生になる、という議論だ。 えっ。 ちょっと待って。 来年の9月に息子が1年生!???? 年長さんは?年長さんにはなれないの!?? この案を目にしてからというもの、不安で仕方がない日々を過ごしている。 9月入学に変更される場合、その

          9月入学は反対です。2015年8月生まれの息子を持つ母の気持ち。

          他者と比較する環境がないって生きやすい

          家族以外の誰とも会わない日々が続いている。 先月上旬くらいまでは公園に行ったタイミングで会ったママ友とちょっと立ち話したりもあったけど、最近はその公園に行くことも無くなってしまった。 元々さほど社交的というわけでもない娘、お友達に会いたいとも公園に行きたいとも言うこともなく、家での時間をそれなりに満喫して過ごしているように見受けられる。その弟も同様。 二人で毎日楽しそうに遊ぶ姿を見て、「まぁ、楽しそうだしいっか」と思えているのは今の生活においての救いである。 こんなに

          他者と比較する環境がないって生きやすい

          「わからないことや困っていることはないですか」

          今日学校の先生から近況確認の電話がかかってきた。 健康状態の確認等を一通り終えた後、最後にこう聞かれた。 「何かわからないことや困っていることはありませんか?」 そう聞かれ、パッと思い浮かばないことに自分自身驚いた。 「まだ学校が始まってもいないので…何がわからないのかわからないです」 そう答えるので精いっぱいだった。 そう、何もわからない。 辛うじて新一年生となる娘と私が今の段階でわかっていることは、同じ幼稚園の子がクラスに3名いたこと、娘の席が窓側だったこと

          「わからないことや困っていることはないですか」

          あぁ、外食したい。

          もういい子ぶるのはやめよう。 「生活の中に楽しみを見出していこう」と前向きに語ってはいるが、実際は結構ギリギリの精神状態で生活している。 こんな事態なのにまだ遊びに出歩いている人がいるという情報が目に入るたび「お前らはアホなのか、理解する脳が退化してしまったか」と罵声を浴びせたい気持ちにかられてしまう。 自粛してるこっちがバカみたいじゃないか、と投げやりな気持ちにもなるけど、だからといって自暴自棄になってはいけない。 粛々と家で過ごすことが子ども達との日常を守る術なの

          あぁ、外食したい。

          非日常と日常の逆転によって価値観が変わっていくのを肌で感じる日々

          ビックリした。 4月がもう半分終わってた。 なんもしてない、ビックリするくらい何もしてない。完全に『失われた4月』である。 しかし、この『失われた日々』がとてもGW明けまでで終わるとは到底思えず、失われた春、失われた夏、失われた2020年と、どんどん長引いていくであろうことは既に覚悟している。 なんとも恐ろしい事態である。 例え、緊急事態宣言が解除されたとしても「じゃ、今日からいつも通りに!」というわけにもいかないところがまた怖い。季節外れのインフルエンザに罹ってし

          非日常と日常の逆転によって価値観が変わっていくのを肌で感じる日々

          未来の些細な楽しみを糧に生きている

          コロナ禍において、色々な予定を中止にせざるを得ない状況が続いている。 元来インドア派な性分がゆえ、家で過ごす時間そのものに関しては思いのほか心地よさを感じてはいるものの、とはいえ楽しみにしていたこと全て諦めなければいけない現状に満足しているのかというと決してそんなことはなく。 卒園式や謝恩会から始まり(出来ることなら謝恩会は短縮バージョンではなく普通にやってみたかった)、週末のお出かけ、外食、飲み会、連休中の帰省や旅行、普通の入学式、新しく始まる娘の小学校生活。 全て『

          未来の些細な楽しみを糧に生きている

          家にいる時間が長くなるにつれ『こだわり』が無くなっていくのを感じる

          育児を営むにつれ「これはまだ早いかな」「これはやらせたいな、やらせたくないな」「習慣化させたいな、させたくないな」なんていう理想というか指針というか、言ってしまえば『欲』のようなものが生まれてきたのだろう。 これまでの我が家は恐らくお堅い方針だったと思う。 テレビは長時間見せたくない。 スマホの類はまだやらせたくない。 YouTubeはまだ早い。 この辺りの基準と言うのは家庭によって大きく異なる部分で、全然気にしていないご家庭もあれば全面的に禁止にしているところもあ

          家にいる時間が長くなるにつれ『こだわり』が無くなっていくのを感じる