名前を初めて呼ぶとき
嬉しいと思ったことは、嬉しいうちに。
嬉しいことはすぐに忘れてしまうから。
先日の新米パパさんのお話の続き。
お名前が決まったっていうお話し。
本当にタイミングのいいことに、「名前決まったら教えてくださいね」と言っていて、ちょうど、お名前を聞けて、写真もいっぱい見せてもらえた。
見るだけで、口角が上がって、手の先、足の先がポカポカして、本当に幸せな気持ちになる。どの写真も、本当にかわいかった。いっぱいの愛情に包まれている。(同じような寝顔がいっぱいあるのは、やっぱり一人目、って思い出しては、クスっと笑ってしまう)
名前決まる経緯も嬉しそうに事細かにお話ししてくれた。
そう言えば、初めてワンちゃんを家に連れて帰ってきて、名前を決めたとき、決めたけど、呼ぶのがとても恥ずかしかった自分のことを思い出した。そして、それは自分の娘にも同じだった。自分で名前を付けておきながら、その名前で、そこにあるその存在に、その名前を呼びかけるのが、とってもくすぐったいような、照れくさいような、そんな自分だったことを思い出した。そして恥ずかしかったから、そのつけた名前をちょっと茶化したあだ名で呼んで、自分を落ち着かせていた(笑)
そして、それは、その新米パパさんも同じのようだった。
「まだ、呼ぶのなんか慣れないんですよね」嬉しそうに、恥ずかしそうに、そして前と同じく、目をキラキラさせて、そう話してくれた。
自分の名前って、今となっては当たり前のように「私は○○です」と名乗っているけれど、最初、その名前を付けてくれたのは、両親だったんだなあと、自分が子供出来たとき、そしてさらにさかのぼって、記憶にはないけれど、自分が初めて、名前を呼ばれたときに思いが飛んで行った。
今では、すっかり赤ちゃんじゃなくなってしまった自分の子供たちのことが、タイムスリップしたように思い出せる。
時間の概念が次元を超える、とどこかで聞いたことのあることは、このことにも通じるかもしれない。
新米パパさんは、出産に立ち会ったそうだ。そして、立ち合いながら、何もできな歯がゆさを感じたと言っていた。女の人ってすごいなあと思ったって言っていた。
新米パパさん「立ち会ってるけど、何もできないんですよ」
私「奥さんの意識飛んでいても、心の中では、どこかで旦那さんがそばにいてくれてるっていうだけで、きっと、伝わっていますよ」
その立ち会ったときのお話をしてくれる、その瞳もキラキラキラキラ輝いていた。そんな風に思ってくれる男性が、こうして目の前にいることが素敵だなと思った。
そして、自分も、そんな中、この肉体を与えてもらったんだとふと思った。
新米パパさんとお話しした後の帰り道、本当にいろんなことが、心に浮かんできた。
人との出会いって、全部全部、きっと必然。私に、何かに気づきなさいと言ってくれている。
落ち込むときも、嬉しい時も、人生いろんな感情を味わう。
だけど、今、この嬉しいって感じたこの気持ちだけは、すぐに、アウトプットしておきたい!
家に帰ってやるべきことをサクサク終えて、こうして書くことで、思い出せる。一つの体験は、二重にも三重にも、喜びを膨らませてくれる。
一つ一つの出会いに、ありがとうございます。
*こんな風に発信するきっかけになったスタエフ、そしてそこで出会ったすべての人たちに、ありがとうございます。
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