【先生たちが本当に自分を大事にして幸せにならないと、子供たちにも提供できない。】
今日は、NVCフェスでの渋谷聡子さんのセッションのことをアウトプットします。
しょっぱなの質問、
「学校・教育について、なんとかしたこと、モヤモヤしていること、気になっていることはなんですか?」
もう即、手をあげたくなるような質問でした。
対話を取り入れる教育現場:
社会に適合する時代から、共に創造していく時代へ。
その前に、渋谷さんの14000人ほどいいねをされた、この投稿を読んで欲しい。
読まれました?
まず読んでくださいね♡
いや、ほんとに読んでください!笑
ここに全てが詰まっています。
(あれ?じゃあもう書くことは何もないんじゃね??と思ったのですが、やはり書きますよ。笑)
—————————————
タイトル:
【対立を超えた共感、その先の共創へ ~ 対話から未来を創る学校の挑戦】
一人一人がみんな力があるのに組織となった途端、なかなか力が出せない。
分断していたところの境界線を超えていく。
NVCという名前は出していないけれど、学校や教育のコミュニケーションの土台としてのOSとこれからなっていくだろう。
学校教育も今変わろうとしている。
でも変わろうとしているだけど、なかなか変われない。
現場の先生たちも苦しんでいる。
どうやって変わったらいいのかっていうところを模索している。
① 適合の時代
いかに、うまく社会に適合できるか?させるか?が基準だった。
外側に評価軸、他人軸。
外に求められる軸に自分を合わせていけるか。
→比較、競争、勝ち負け、他者評価・承認が自ずと出てくる。
何を獲得したか、所有したかが大事な時代だった。
これが悪いわけではない。
成長していくためにはとても大事だった。
でも今はもう正解がない時代。
過剰適用してしまっていた。
② 創造の時代
「じゃあ、自分はどうしたいの・・・?」
自分が満たされているかどうか?
自己承認の時代。
③ 共創造の時代
10年前と同じ資料を今も使っていらっしゃる渋谷さん。でも10年前はやはり適合させなきゃいけないんだ、資料を出さないでくれ、と言われることもあったそう。
でも数年前からだんだんと変わってきて、今は資料を出してくれ、使ってくれと言われている。そして、特にコロナ後には「③共創造の時代」について話してくれと言われるようになったそう。
でもなかなか適合を大事にしてきた先生たち、社会の構造は変わらないし、変えられない、現場は揺れている。
学校は転換期だけど、どうしたらいいかわからない。
「対話を学校で導入したいけど、どうしたらいいかわからない」と直接教育委員会などから依頼が来るようになった。
学校という場が子供達にとってどんな体験として、大人になっていくのか、というのを一人一人が考えていく時代。
出る杭は打たれる。
それなら表現することよりも回避する。
今までは適合するしかなかった。
文科省の新学習要項に、
【主体的・対話的で深い学び】
という文脈が入った。
対話の前に『主体』と入っているところ、『協調性』ではないというところ。
「まず自分はどうしたいの?」
自分のことがわからないと対立も対話もできない。
《対話の分類》
① 自己内省型
自分の内側にあるものを内省(NVCだと自己共感)して、感じているものを他者と分かち合う。
② 相互理解・共創造型
対立軸を超えて深い理解、繋がり合うことは、決してやわらかなことだけではなくて、『痛み』や『恐れ』もある。
多様なニーズが満たされる第三の道。
(これを子供たちも実践しているそう。)
③ 社会・世界との対話
社会の課題を自分自身と対話をする。
当事者の一人であるという意識。
自ら未来を創ろう実践。
(※「日野市」は市で取り組んでいるそう!引っ越したい!笑)
京都の葵小学校(公立の学校)でも2017年から取り入れている。
先生たちにまずは体験してもらう。
深い対話をしていくと、組織の痛みとか隠れていた対立がたくさん出てくる。
生徒とも実践。
保護者とも実践。(感動!)
学校の掲示板に「ニーズ」という言葉。
【誰にとっても自慢できる学校とは?自分たちでどんな学校にしていきたいの?】
という問いかけに「ニーズ」という言葉が出てくる。生徒たちの中でも「ニーズ」という言葉が自然になっていること。ニーズで会話をしている。
(すっごい希望だー!)
「給食を選べる」
「喧嘩が少ない」
「夢を持てる」
と書いてあって、↑これは【手段】。
じゃあ、どんなニーズが満たされたらいいの??
見えてきたニーズは??
『自分で選ぶこと』
『平和』
『挑戦』
と、深いところにあるニーズを自然と考えられる文化になっている。
特に子供達には『自分で選ぶ』というところに熱いニーズがある。
(親がAかBかどっち?って聞いても、親がAがいいと思っていたら、Bを子供が選んだ時に「本当にそっちでいいの?」と言う、という例があったんやけど、あまりにも日常にありすぎて、気をつけたい!笑)
この葵小学校で行われた、
【真の自分を見つけよう】
という対話の授業には全国から200人近くの先生たちが視察。
その中で授業をするというのは決して簡単なことではないんだけれど、子供たちから何が出てきても、先生たちがちゃんとすべて拾う、先生たちがその覚悟をしている。
(希望。。。泣ける。。。その授業の内容も素敵でした。。。)
そして、この取り組みは、文科省の賞を受賞。
東大で表彰式が行われ、先生たちはすごく誇らしい顔で、たくさん写真を取っていたそう。
渋谷さん自身は、結果は「先生たちや子供達の表情がすべて」なんだけど、この表彰式の先生たちの誇らしい顔を見て、先生たちも承認の場が本当になくて、でもこうして想いを込めて取り組んできた場が文科省や保護者に認められたこと。
それが先生たちの命を吹き返していったらいいなぁって改めて感じたそう。
(命を吹き返していったら・・・先生の気持ちにもなるし、生徒や親の気持ちにもなるし、忙しいわ、このセッション。笑 葵小学校の校長先生もこの場に参加をされていて、今までの失敗も語られていました。日本に帰ったら葵小学校の学区に住みたいな。京都で実家と近いし。笑)
でももちろんココまで取り組むのは稀で大変。
簡単ではない。
校長先生が、どうして対話を取り入れようと思ったのか?
——————————————-
子供一人一人が力はすごくある、能力もある、でもそれを集団の中で発揮するとなったときに、うまく発揮できない。それが学校や組織の一番のネックだと思った。
集団の中で自分の力を発揮することができれば、子供たちも幸せになれるし、先生たちの働き方も変わってくる。
その一人一人の力を発揮させるためには、「対話」だという仮説を立てた。それを探求して行こう、みんなで作って行こうというのが出発でした。
——————————————
そして、渋谷さんが伝えてくれたのは、校長先生が最初に取り組む時におっしゃった言葉。
——————————————
何より、先生たちに幸せになって欲しい。学校の先生たちはどこの学校も『子供のため!』という。だけど先生たちが本当に自分を大事にして幸せにならないと、子供たちにも提供できない。
——————————————
ハイ、もう限界です。
もう胸がいっぱいです。笑
録画を見返しているだけなのに。笑
(★ちなみに、「いろんな色の子供たちがこうして円になって対話をし、みんなで世界を彩っていけたらいいな」という想いを込めてタイトル写真を選んでいます。)
ということで、今日はこの辺で。
明日は学校の「べき」について書いていこうと思ってます。
先生たちがまず自分を大切にできる、それが学校に通う我が子に循環していく、そんな視点を意識してみる一日を過ごしたら、どんな世界に見えるだろう♡
では、また明日ココで♡
——————————————-
(追記:つづき書きました。)