【同じことを言われてるのに、どうしてパートナーだと腹が立つの?ー蓄積感情をケアするセルフ・コンパッション①ー】
みなさんもありませんか?
友人に言われたことと同じことを
言われてるのに、
どうしてパートナーだと腹が立つの?
どうして一番近しい人に、
NVCを用いるのが一番難しいの?
みなさんは近しい関係性の人に、
どんな態度を取られたら、
どんな言葉を言われたら、
『感情の地雷スイッチ』が入りますか?
今日はNVCジャパンフェスの後藤ゆうこさん・後藤剛さんのセッション、
【蓄積感情をケアするセルフ・コンパッション 〜共に歓びがある人生を歩むために〜】
からの学びをアウトプットしていきますね。
冒頭に書いた問い。
★近しい関係性の人にどんな態度を取られたら、
どんな言葉を言われたら、
【感情の地雷のスイッチ】が入るか?
わたしの場合は、パートナーと何かの話題についてわたしの中にある考えや意見・感覚を声に出したとき・・・
「いや、それは違うやろ。」
という言葉を最初に言われると、
その瞬間に心がぎゅっと縮こまり、
肩に力が入り、体温が下がるような感覚。。
自分が小さくなるような、
頭の上から押さえ付けられるような感覚になる。
自分の声は大したことがない…
わたしは頭がよくないから意見を言っても意味がない、なんの役にも立たない…
笑われる…
バカにされる…
言っても傷つくだけだ…
自分を下げ、自分の命や声に価値がないような気持ちになる。
「お前はあれこれ言うな。」
「なに言ってるかわからん。」
わたしにはそんな風に聞こえるんだけど、
相手はそんなことは一言も言っていない。
「いや、それは違うやろ。」と言っただけで、彼は彼の中にあるものを伝えようとしているだけかもしれない。
これって知り合ってから18年くらい経つけど、友人→恋人→夫と関係性は変わりつつも、ずっとあった言葉。でも出会った頃はそんなこと気にもなっていなかった。
でもそれが数年してだんだん「悲しみ」になりシュン…となるようになった。自分の中にあるものを話すことを止まることがあった。
また数年経ち、繰り返されているうちに今度は批判されるような「怖さ」になっていった。声を出さないという感覚から、あまり声が出せないような感覚になった。
そして、それがさらに「怒り」となってきているのを感じた。その言葉がくるかも…!と身構えるようになり、きた瞬間に「はぁ。。やっぱりまたきた…」とゲンナリしたり、イラッとするようになっていった。
すると、今までは自分に対して落ち込んでいたことが、相手への非難に変わっていく。
「どうしていつも否定から入るの?」
「なんでまずは『それもいいね!』って相手を受け止めないの?」
「いつも自分が正しいと思っているの?」
「なんでそんな上からなの?」
いつからか「シュン…」が「ゲンナリ」「イラ…」になり、はぁーとため息をついて「もう何も言いたくないわ」ってなっていった。
《どうしてそうなるのか??》
それは【蓄積感情】というものがあるそう。
過去の経験で感じたことで身体の中に蓄積したもの。
繰り返されるパターンのうんざり感、
その背後には共感されない古傷。
人は無意識のレベルで、
昔の関係性と今の関係性が区別できないらしく、
過去の関係性を投影していたりするそう。
(わたしの場合も、パートナーとの関係だけでなく、もっと小さい頃から自分の声を出すのが難しい子だったから、過去の関係性をパートナーに投影しているのか。)
後藤夫妻が伝えているは、
【IFS(内的家族システム)】
というアメリカで発達しているセラピーのひとつ。
複数の感情は、自分の中にある『副人格(パーツと呼ぶ)』で構成されている。
人は、自分の中のいろんな人と喋っている。
自分の中でもいろんな自分の人格が対立をしていたり、入れ替わったりしている。
それは、相手にも同じことが起こっていたりする。
自分の内側は、
『大きな家族(内なるチーム)』
のようなもの。
心は副人格であるパーツから成り立っていて、
IFSではそのチームを「理解」し、「対話」し、「共感」をするというプロセスを踏む。
自分のいろんな部分を認識する。
そのいろんな部分にそれぞれ「何を必要としているんだろう?」と探求する。
人は生まれた時から内側に複数のパーツがあり、だんだん育っていく上で、
「こわい」
「びっくり」
「混乱」
のような経験をする。
その経験をしたとき、
その傷を守るための『防衛チーム』が出てくる。
小さい頃から大人になった今でも、できてるふりをしたり、自分の正しさを主張したりしたことはありませんか?それは『防衛チーム』が自分を守ろうとしている。
こうして傷を負ったチームと共に、
その傷を防衛してくれるチームも増えていく。
生き伸びるためにスキルを身につけていくんです。
しかし、防衛チームがあまりにも増えすぎて、頑張りすぎると、本来持っている自分の輝きが溢れるスペースがない状態になっていくことがある。
こうして大人になり、人は人と出会って、
恋に落ちて結婚するんだけれど、
お互いに傷ついた経験があって、
お互いにその防衛チームを持ちながら、
一緒に生活をしていくことになる。
すると、その生活の中で、
夫婦間で対立や喧嘩が起きたときに、
相手を責めたり、
自分を責めたり、
開き直ったり、
威圧する、
ことが起こるんだけど、これは防衛チームが働いて、古傷を守っているんです。
本当は「恥」を感じていたり、「孤独」や「寂しさ」「悲しみ」を感じていたりする。だけど、『目に見える相手の振る舞い』から攻撃をしてしまう。その内側では必死で傷ついたものを守っている。
自分の中でいろんな感情のパーツが、
孤独…
悲しい…
寂しい…
聴いてほしい…
受け止めてほしい…
わかり合いたい…
つながりたい…
といろんなことを言っている。
しかし、目に見えるところを攻撃し、
「相手を変えたい!」
というようなエネルギーで出てしまう。
そうなると、相手もわたし(自分)と距離を取りたくなってしまう。。
どこかで孤独だったり、恥を感じているとき、
相手がそのことに気がついてくれてそこをケアをしてくれるだろう、それを求めてしまうのが、親密な関係。
自分の中の小さな人は、
自分を受け止めてくれそうで、
「受け止めてくれなさそうな」相手に惹かれる。
この人といられたら
自分は居場所を感じられるんじゃないか、
幸せに感じられるんじゃないか、
と、無意識の中で物語を完了させようとしている。
「完了させたい何かを相手が持っている」
という無意識の中で引き合わされる。
ここを埋めてほしい…
この部分が欲しい…
と求めているんだけど、
そこに気づかれることなく、
「表面上」で揉めている。
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今日はココまで。
みなさんはパートナーや恋人に対して、
心当たりはありますか?
個人的には、
自分を受け止めてくれそうで、
「受け止めてくれなさそうな」相手に惹かれる。
「完了させたい何かを相手が持っている」
という無意識の中で引き合わされる。
というところに、何かとても深いものを感じています。探求したいな。
パートナーと揉めている人、
それは自分自身かもしれないし、
周りにそんな人がいるかもしれない。
でもそれは蓄積感情が関係していて、
表面上で揉めているのかもしれない。
この蓄積感情(古傷)のワークをセッションの中でしたんだけど、これがとても興味深かった。
次回、恥ずかしいけれど赤裸々に書いちゃおうかと思います。
では、相手の何か同じ振る舞いや言葉で自分の感情の地雷を踏んでいる(踏まれているような気持ちになる)時があるか、みなさんも心で思い出してみてくださいね♡
今日もハートルフルな一日を♡
また明日ココで♡