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「かわいそう…」と言われるけれど、かわいそうかどうかはわたしが決めよう♡と心から思えた
父が他界してから戸惑ったことがある。
母は6年前に他界していて、わたしは今30代。
母も父も旅立ったこと、そんな自分を「かわいそう」だとはまったく思っていなかった。
それは、
人は常に、常に、常に、
その瞬間、その瞬間、その瞬間、
ベストを尽くしている
と思っているから。
母にとってはあの日がベストだった。
父にとってはついこの間のあの日がベストだった。
もうこの世でやり切ったから、
もう生き切ったから旅立ったの。
本当にそう思っている。
ただ、周りからの
「まだ30そこらで両親亡くして可哀想に。。」
という言葉に戸惑い動揺する自分がいた。
わたしはそう思っていなかったから。
「あ、そういう風に見られるんだ…」とも思った。
わたしが今学んでいるアーユルヴェーダという叡智。わたしは「Vata」という風の質がとても多い。風なのでそもそも境界線がなくて、だから共感力も高いそう。
でも、このVataが整っていないと、人の感情がまるで自分のことのように入り込んできて、相手の感情で心も体もパンパンになる。
今、父の他界のよって心身ともにVataが乱れているのを自覚している。
その分、周りからの声「まだ若いのに両親亡くして可哀想に…」という言葉とともに、それに乗せられる相手のエネルギーが自分の中にドドドドドーッて入ってくる。
その状態だとわたしは、
「そうか… 若いうちにもう両親を亡くして… わたし… 可哀想な人なんだ…」
「わたし… 苦労してる子なんだ…」
「そして、これからわたしはそんな風に見られてレッテル貼られて生きていくんだ…」
「わたし可哀想なんだ… ウェーーーーーーン… そんな風に見られるなんてイヤだよぉぉぉぉーー」
となった。
でもね、親はわたしたちに苦労させようなんて思っていなかった、わたしたちを早く置いていきたかったわけでもない。健康で元気でいられるならできるだけ長く一緒にいたかっただろうし、孫の成長も見たかったはずだよね。
そして、NVCを学んでいると、もちろんその周りの人たちの声・言葉の奥にも「思いやり」「愛」「サポートしたい」というニーズがあるのも聴こえてくるし、理解できる。ただ、整っていないとそれが素直に聴き取れず、受け止められないことがあるんだよね。
今、心が回復してきて思うのは、
「うん、周りがなんと言ったとしてもその言葉そのものではなく、それは優しさであり、愛であり、思いやり。それは本当にありがたくて、とてつもなくあたたかい。全身でそのあたたかいenergyを受け止めて、感じて、そして、実際にかわいそうかどうかを決めるのはわたしだから、どんな言葉をかけられても大丈夫♡」
ということ。
腹の底からそう思える。
こうしてひとつひとつ、丁寧に向き合う。
でも「心と向き合えー!」という強要ではなくで、できるときに。
それだけで十分なの。
今日もわたしに、家族に、周りの人たちに、世界に、感謝の気持ちでいっぱいだなぁ。
いつもいつもありがとう。
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ー2022年ー
音の瞑想・アーユルヴェーダ・NVCの叡智をもとにマインドヨガのインストラクターとして活動し始めます。(心専門で身体のヨガではないのです♡)
現在たくさんの人たちにたくさん伝えれるように、勉強しながら実体験を重ね、じっくりじっくりじっくり、進んでいます。
心が変われば、世界は変わる。
お楽しみに♡
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