【対立は戦うものでもなく、自分を押し付けるものでもない】
こちらは土曜日。
三日連続5時起きだったからか、遅めの朝ごはんのあと15時までわたしは爆睡。
旦那はゴルフ、息子はゲーム、娘はお絵かきや水道で遊びまくって洗面所ボトボト、濡れたパジャマが落ちている。そして、ホッチキスのシンのストックの箱がブチ撒けられていて、部屋を歩くのがマジ恐怖。。笑
今までわたしは「週末こそ家族で必ず一緒に何かをしなきゃいけない!」って思っていたんだけど(だから旦那のゴルフが理解できず、悲しくなることが多かった)、子供たちだって平日は学校だし、週末くらい思いっきり時間を気にせずにやりたいことがあるんだよね。
同じ空間でお互いの存在を感じながら、一人一人が好きなことをして過ごす休日も、だんだんすきになってきた。
ということで、わたしは旦那がゴルフの時は、爆睡するお休みの日としていて、好きなだけ寝るのがちょっと楽しみだったりする。(その分、平日ちょっと寝不足になっても子供が寝てからすきなことをしたりね。)
各々が満たしたいことがあるのだ。
それでいいじゃんね。
そしてそれぞれがやりたいことをたっぷりしたあと、夕方は自転車して、
そのままポキをテイクアウトして、『プペルブロードウェイのオンライン公演前編』を子供たちと一緒に観ました。英語だけど楽しかったみたいで、後編も楽しみーって言ってた♡
ということで子供たちも寝静まり、昼間爆睡してスッキリしたワタクシ。今日はNVCを20年以上伝えてきたリブのセッションをアウトプットしようと思う。
mediator(仲裁者、仲介者、調停者)のリブはたくさんの対立に関わってきている。コロナ前は世界中を飛び回っていたそう。
なんと、22冊の本を出している。すごすぎる。。
リブはスウェーデンの住んでいるんだけど、10年ほど前に小さな息子さんを連れて日本に行った時、スカンジナビア地方の文化圏と日本の対立への対応が似ていると発見したんだって。
(武士道のような、戦いのような、何か魂のようなものだと。ほぇー。急にスカンジナビア地方に親近感が湧くやんか。笑)
いろんな対立に関わる中でNVCに出会い、
【対立はただただ戦うものでもなく、自分を押し付けるものでもない。】
ということを知った、と。
ではでは、印象に残ったところ、アウトプットにしていきまっす!
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議論好きな人は、
あなたは間違っている、わたしは正しい
という考えが多い。
リブにとって頑固で支配的なイメージだった父。
でもその父の言動の奥にも美しいニーズがあるはずだ…と興味を持ち、共感的なやりとりにシフトをしただけで、父親が自分の内側に起こっていること、彼の願いを言ってくれたことに驚いたそう。
そこから「どちらが勝ち・負けか」というやりとりから変化が起きた。「ちょっと違った話し方で話そう」と言えるようになった。
そして、頑固で支配的というイメージは変わり、彼の中にある尊厳、優しさに繋がることができた。その時から亡くなるまでの2年間、それはリブにとってギフトのような時間だったと。
(そうして親子が繋がれたときを想像するだけで、泣けてくるんですけど。。)
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そして、ココで一つ目のワークに入った。
四つの問いかけに、自分自身が【対立】に対して持っているイメージや考えが、どこからやってきているかを知る。
おもしろいなぁー。
そんなこと考えたこともなかったし、問いかけられたこともなかった。
ただただ自分の内側からどんなことが湧き起こってくるかをそのまま書き留めるものだった。正しい間違っているはない。
わたしはこれを自分のサークルでみんなとやってみて、対立に対して自分の中に見えてきたものをシェアをしあった。
① 対立に関わってしまう人々はどんな人たちか?
自分が正しいと思っている、
正義感が強い、
プライドが高い、
認めてもらいたい人、などなど。
② 対立を対処する最善の方法とはなんだろう?
共感、
つながりを感じる対話、
相手の視点を持つ、
話したいと思うまで物理的な距離を取る、などなど。
③ もし、対立に関わっているとき、わたしはどう感じる?
こわい、
見たくない、
居心地が悪い、
めんどくさい(これめっちゃ笑った!笑)、
相手の背景を理解したい、などなど。
④ もし、対立の中で、人々がわたしの心を読むことができたなら、読まれてしまったら、わたしは◯◯にちがいない、わたしにはこんなことが起こるにちがいない。
こわい、
私を理解してくれているのであればホッとする、
焦る!バレたくない!(笑)などなど。
これは極一部でもっとたくさん出てきたんだけど、そこには共通するものもあれば、それぞれが持つイメージもあり、
「なるほどー!」
「おもしろい!」
「確かにそれもあるかも!」
と、唸ったり、時には爆笑したり、学びや気づきがとっても豊か♡
やっぱりみんなでワークをするって大事だなぁ、やってて楽しいなぁ、すきだなぁーって改めて体感。しかも心がすでにオープンなメンバーなだけに、なにも躊躇うことなく、安心してなんでも言えるのがまたよい♡
「高め合うこと」が満たされている感じ♡
あー、みんなの存在が、、ありがたい。。
好きです。笑
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(つづき)
対立に関わる時、自分は『解決策』の一部でなく、『問題』の一部である、と思うこと。
わたしにはどんなことを与えられるだろうか?
どんなことを聴くことができるだろうか?
どんなことを受け取ることができるだろうか?
対立は【天秤】のイメージ。
対立があるとき、バランスが崩れている。
自分が間に入る時、重い方には何か塊のような【ジャッジメント】がある。
(おーわかるー。。子供たちの喧嘩で天秤の軽い方は妹、小さい方に肩を持とうとする。。でもそれは兄の方(重い方)には、「もう大きいんだから!」「兄なんだから!」というわたしの中のジャッジメントがある。。)
崩れているところに興味を持つと、そこには対処できる可能性がある。
(お兄ちゃんの言動の奥にも願いがある、そこに興味を持つと、また違う選択ができるよね。わたしもまず兄に注意するのがだーーーいぶ減ったんだよ!同じ命、同じだけ大切にしたい。)
子供の頃、私たちの生活というのは【自分】が中心。
自分の声を見けること、自分の場所を見つけることが中心なのである。
誰かからサポートを受けることができて、自分が広がることができたら、「わたしにはこういう能力があるんだ」って感じることができ、そうすると、一人称(自分だけ)の世界から、二人称、二人目の人を自分の世界に招き入れることができる。
例えば、子供に象の顔の絵を見せる。
「これはなに?」
「象の顔!」
と返事が来る。
次に、
「象の後ろに立っている人は何が見える?」
「象の顔!」
と答えることがある。
子供は一人称の世界。自分から見えているものと全員が同じものを見ていると思うことがある。そして、段々自分の世界を広げていくことができると、
「あぁ!わたしにはこんな風に見えてるけど、あなたにはそんな風に見えているんだね!」
と思えるようになる。
調停者として対立に関わっているときは、象を前から見ている人、もう一人は後ろから見ている人、のもう一歩も二歩も引いて、象の全体を見えるところから関わること。
こちらの人は顔が見えていないかもしれない、
こちらの人は尻尾が見えていないのかもしれない。
彼らが、それぞれが何が見えているのか、というのを知ること。
(兄と妹の喧嘩でも、その位置から関わりたいよね。)
大人でもストレスがかかってしまうと、私たちはすぐに4歳児に戻ってしまう。「わたしの見え方だけが大事、これが大事なのー!」となってしまうんです。
(ヒー!なるなるなる!わたしはワンオペがしんどくなったときに、夫に対してなります。笑 これからは、あ、4歳児に戻ってる…と気づくようにしたいと思います。笑)
では、今日はこの辺にしようかな。
親との対立や、子供たちの喧嘩、友人との対立、会社の中での対立、いろんなことを思い出しながら、明日の後編も楽しみにしててくださいね♡
また明日ココで♡
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(後日追記)
つづきを書きました♡