『普段』ってなんだろう
雨が本降りになる前に、すこしお散歩。
昨日、今日と雨。
4月でこんなにも降るって珍しい。
普段、あまり見かけないカタツムリ。
カラカラに乾燥しているココで、これだけ雨が降ると、こんなにも出てくるの?
乾燥する地域なのにカタツムリがココまで繁殖するんだ。わたしはカタツムリって白いイメージだから、黒いとスッと受け入れられない…
恵みの雨。気持ちいいのかな?
歩いてて、よけるのが大変なくらいの数だった。
カタツムリにとって、人間も歩いていないし、自転車も走っていないし、踏まれることもないからパラダイスなのかもしれない。
(それでもいくつか潰れていたけれど…)
普段、こんなにもたくさんどこにいるんだろう?
普段、カラカラの川がかなり増水している。
普段、カサカサの緑が潤いのある緑色している。
普段、走り回っているリスはいない。
土の下に穴掘って暮らしているけれど、大丈夫なのかな。
普段、そんなにゴミもないこの辺り。
掃除してくれている人たちもお休みなんだろう。
歩いていると使い捨てのゴム手袋、マスク、Amazonから届く段ボールが捨てられている。今までは見たことがなかったゴミの種類。そして、なぜかコロナビールがいくつか落ちていた…
なんだか、ちょっと心が痛い…
コロナビール生産中止のニュースは見ました。
そして拾いたいけれど、やはり素手で触れるのは怖くて、拾えなかった。。ごめんなさい。。みんな捨てないで。
普段、全米では治安がまだ良い方のこの街も、強盗などが増え、治安が悪化している。
普段、たくさんの子供たちで賑わっている公園は、入り口が封鎖されている。
普段、子供たちも飲んでいた水飲み場も、カバーがかけられている。
(数日前の晴れた日に撮った)
普段、ゴミ捨て場に持っていくゴミ。
専用ゴミ箱が配られ、ゴミ捨て場は使わず、各家のドア前に18時から20時までに出すことになった。
みんなが触れるゴミ捨て場の扉の取手などに触れずに済むことは少し安心だし、ラクはラクだけれど、回収してくれる人が感染しないか心配。
今日は若い女性が回収してくれた。
なんだか感謝の気持ちと、申し訳ない気持ちで複雑…
たくさん使った『普段』という言葉。
普段ってなんなんだろう。
コロナ前の『普段』は、もう普段じゃなくなった。
あの頃の『普段』に戻るものと、戻らないものがあると思っている。
きっとこれからはコロナと共に生きていくんだろうという覚悟と、コロナ前にはもう戻らないというどこか締め付けられるような想いと、これを乗り越えたあとの世界への希望と、ちょっと毎日心が忙しいね。
とても冷静であたたかい希望に満ち溢れるときもあれば、確実な形が見えない未来にやっぱり不安を感じるときもある。
でも、それでいいんだ。
そんな自分の心をあたたかく手で包み込みながら、雨の中を家族で散歩し、雨の音を聴き、風を感じ、どんなときも変わらない木々を眺め、帰って来てからは冷えた足を温めるためにみんなでお風呂で足湯。今までにない「非日常」を体感しつつ、でもこれが本来の姿の「日常」なんじゃないかって思ったり。
そんな中、
7歳息子の言葉。
「お母さん、コロナもいいことあるよね。だってコロナのおかげで、お父さんがおうちにいてくれるじゃん。うれしいね。」
なんかね、泣きそうになっちゃった。
『普段』仕事も遅いし、出張で不在が多いお父さん。でも今は毎日寝る前に、お父さんと絵本を読むのが日課になってきている。
コロナ前の『普段』。
戻らなくてもいいなぁって思うこともあったりするんだよね。
今日のわたしの心はこんなかんじでした。
ちょっと最近、がんばって奮い立たせていたかもしれないな。
外への意識を内側へ戻し、心の声とつながろう。