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セネカに学ぶ★忙しいが口癖になっていないだろうか?

お題の通り、いつも「忙しい、忙しい!」と時間に追われていないだろうか?

現代人の多くは、そんな人が多いのではないかと思う。

書いて字のごとく、忙しいとは心を亡くすこと。

ちょっと厳しいことを言うようだが、忙しさに流されている間に、命を生きることなくご臨終になってしまう。


古代の賢者も、大昔から教えてくれていた。古代ローマ、ストア派の哲学者セネカをご存じだろうか?

セネカも、彼自身の著書「生の短さについて」の中で時間の使い方の重要性を教えてくれている。

この本は、約2000年前に書かれた名著である。



多忙に追われている者たちの心は今なお幼稚であるのに、彼らの心を老年が不意に驚かせる。先が見えなかったため、用意も防備もないままに達した老年である。彼らは突然、思いもかけぬうちに老年に陥る。老年が日々近づいていることに気が付かなかったのである。



なにも、老後の準備をしましょうよ! と言っているわけではない。

日常の雑事や、目先の娯楽に忙殺されている間にすぐ老年は来てしまいますよ。

その時に真実の薫りを感じて探求しようと思っても、残された時間は僅かですよと言う事である。

しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。


りんご探偵🍎の記事を読んで真理の薫りを感じた方は、軌道修正しましょうよという話である。

やれ会議の資料作らなきゃ!
やれ子供の受験がもうすぐだ!
やれ小室さんがポニーテールになってるぞ!
やれ緊急事態宣言あけたから、誰と飲みに行こうかな……
スマホゲームで、宝石だかブロックだか必死で消してる間に、死は容赦なく迫っている。

ほとんどの人は本当に必要な事に全く時間を使っていない。

では一体何が、一番必要な事なのだろうか?

家族の幸せの為に、一生懸命働く事?

愛する人と、幸せな時間を過ごすこと?

健康の為に、ジョギングする事?

子供を立派に育てる事?

親に恩返しする事?

社会に貢献する事?

ぜ~~~~~~んぶ違う!
全然、的外れ!


すべての人間の中で唯一、英知のために時間を使う人だけが閑暇の人であり、生きている人なのである。

なにを差し置いてでも、
大切にしなければならないのは、
自分自身と向き合うこと。

自分とは、なんぞや? 
本当の自分とは、なんなのだ?と言うことを見つめること。

それをしろと、セネカも言っているのである。

自分と向き合うのは思いのほか、時間とエネルギーが必要だ。

片手間に、できる事ではない。

だからこそ、意図的に自分と向き合う時間を作るべきなのだ。

そうでなければ、セネカの言う通り、幼稚な心のまま老年を迎える事になる。

私がいつも言っている、夢から脱出するとは、
本当の自分を知る事と同義語なのである。

本当の自分ってなんだろう?
今自分だと思っている自分って、本当は違うのだろうか?
そんな問いを自分とすべきなのである。

なんの意味もなさそうな
なんの見返りもなさそうな
この問いが、この世で最も重要な問いだと感じて欲しい。

時間はもちろん欲しいけど……そうは言っても、「生活があるから仕事を辞めるなんて出来る訳ないよ」と思ったそこのあなた……

ではもし、鬼に「仕事を辞めないと両方の目玉をくり貫くぞ〜!」と言われたらどうする?←自分で書いてて笑っちゃったけど……


ほらね、そうでしょ。出来る訳ないとあなたが思ってるだけなんだよ!

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