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見るこころ

季節がめぐり、落ち葉が朽ち若葉が芽吹く。人間もしかり。順番がまわってくる。

やりたいことがあまりやれない人生だった。何かに足をつかまれていて、自由に歩けないという感覚。しかたがない。これまではそうだった。これからは・・・あと何年あるか。少し違う道を歩きたい。


この年になって(56歳)、毎日の生活を共にするパートナーを得るのはかなり難しいと感じている。出会いの場所はネット上にもあり、同じような思いの人がたくさんいる。既婚の友達はひとりがいい、というが、ひとりがいいと言えるほど二人でいることの面倒くささを、私は味わいたいのだ。この人といたい、この人のそばにいたい、と思える人なら、私は今からでも成長できると確信している。


毎日見る景色は精神に影響するそうだ。毎日使う道具もそう。台所で、古い皮むき器を使っている。湯呑み茶碗や箸、それから鉛筆や櫛、日常の風景の中に入ってくる置物や壁掛けだけではなく、日々使うものもいいものがいい、と。一緒に暮らす人も同じだろうと思う。やはりいい人がいい。意味があいまいなようだが、ひとことで言うとやはりそういうことだ。いい人、いい物。それは、一つの幸福だろう。


昔の古い新聞の切り抜きが取ってあって、時々読み返す。吉田秀和や加藤周一の連載、それから同じ欄に週替わりで文章を載せた各界の著名人。その文章をネット上に残したいと思うのだが、全部コピーしたら著作権に触れるだろうか。新聞社に聞いてみようと思う。とてもいい文なのだ。たくさんの人に読んで欲しいと思う文だ。


いい文と言えば、白洲正子、武満徹、黒田恭一。決して難しい言葉を使わない。まわりくどくない。シンプルでいて深い。それは、その人の心の中から出てくるものだろうと思う。絵と同じように、どう見るかなのだ。表わす技術より、見るこころ。

次は絵のことを書こう。

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