時代を間違える

全共闘世代には遅れた。ビートルズにも遅れた。遅れて生まれてしまった。江戸時代、あるいはヨーロッパの中世に生まれたかった、という気もある。

夕べ、東大全共闘のビデオを見た。出てきた人たちには、昔、職場で一緒だった人もいた。人生は、ほんとうに、いろいろだ。

「そのまま研究を続けていたらノーベル賞を取ったかもしれない」という言葉の持ついくつもの面を考える。
ノーベル賞に何の意味があるか、ということが一つ。
タラレバはナンセンス。
個人の自由。個人の選択。
「そのまま」ではいられなかった、いなかった、いないことを選んだその人のこころの中にあったもの…

生まれた時代が違ったらというのも意味がない仮定だろうが、生まれた時代が違ったら人生は全く違った物になっただろう。生まれた時代に必然的に、嫌でも規定されるものに人生は大きく影響される。人の意志や意欲がどうであれ。同じように、家族や土地にも影響される。それは仕方のないことか。それとも、時代や家族や土地の規定を超えた向こうで、自分が持って生まれたものを生かして生きる方法があるのだろうか。

あるという人たちがいる。



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