#1「考える」という事が分からない

ビジネスマンとして仕事をしていると、上司や先輩から言われること。それは「自分で考えて、行動しなさい」「あなたの考えは何?」「あなたはどうしたらいいと思う?」という風に、自分の「考え」を問われること。

ビジネスというのは、他人と差別化し、付加価値を発揮する事が本質であると捉えるならば、自分で「考える」という先輩からの助言になんの異論も反論もなく、当然のことである。

ただし、この「考える」という行為が、曲者であり、私のビジネス人生において、頭を悩ませる。

なぜなら、「考える」という行為が、結局何をしたら「考える」という事になるのがが全く分からなかったからである。
故に、仕事をしていても「自分の考えや意見を作り切れない」「会議や人と議論していても、自分の意見を言えない」「会議の議論についていけない(先輩たちが何を言っているのか分からない)」など、周囲の人たちが普通に行っている行為が、自分には理解できず、とても苦しんだ。今まで自分が生きてきた世界とは違うルールの世界に迷い込んだ錯覚に陥ったくらいである。

若かりし頃、周囲の人は普通に「考える」ことができ、自分は「考える」ことができない人間=頭の悪い人間と捉え、本当に絶望した。学校での勉強やテストではそれなりの結果を残してきた人生の中で、社会人になって、全く通用しないと感じ、挫折を感じたものである。(当時の自分の本音としては、やっぱり都会の人は頭がいいんだな。田舎者の自分には分からない世界があるんだな。。。とあきらめにも似た気持ちを抱いていた記憶がある)

今となれば、「考える」という行為は、スキル的な話であり、後天的にいくらでも身に着けられる一種の「お作法」であると自分は信じているのであるが、若かりし頃の自分は職場の周囲との比較の中で「頭が悪い」「使えない人間」と自己嫌悪に陥り、モチベーションが下がり、仕事をやめようと思った事もあった。

しかし、最近仕事上、マネイジメントを任されるようになって、若い子達と仕事をしていると、実は自分だけではなく、多くの人が同じ悩みを持っていることに気づかされた。

▶若い子の「考える」というお作法に向き合うスタンス
①学生時代から「考える」というお作法が身についている層
②学生時代には「考える」というお作法は身についていないが、社会人になって、努力によって身に着けられた層
③学生時代には「考える」というお作法は身についていないが、社会人になって、努力はしているが、うまく身に着けられない層(やり方がよくない)
④学生時代には「考える」というお作法は身についていないが、「考える」という行為は、後天的に身に着けられるものであると思っているものの、行動に移していない層
⑤学生時代には「考える」というお作法は身についておらず、かつ「考える」という行為は、先天的なものであると思い、「考える」という事をあきらめている層

私の「考えるお作法」という定義は、今後の記事にて記述させて頂く予定ではあるが、私としては、このビジネスにおける「考えるお作法」というのは、何か小難しいフレームワークや理論という事ではなく、小学校からでもできる、身に着けられるスキルであると考えている(できるできないという事よりも、知るか知らないかという要素も大きい)。またそのスキルが小学校から学べるとしたら、より子供が自律的に、自分の考えをもとに、自分の人生を豊かにしていけるのではないかと思っている。

そういう世界を実現する為には、子ども自身のスキルUPはもちろんの事、学校の先生、親も含めて、今までの日本の教育の課題感を明確にし、アップデートする必要があると感じている。


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