ヨハネ福音書 20:1〜18 「主イエスに従えない時に、思い出すべきは」
まず、タイトルの聖書箇所を祈りながら読みましょう。
それから、下のコラムを読みましょう。
最後に、ここから発見したことや教えられたことを感謝して祈りましょう
十二弟子も顔負け
マグダラのマリアは、かつて「7つの悪霊」に取り憑かれていて、なかなか治らない病気や精神的な痛みで苦しんでいました。しかし、イエスによって癒され、その苦悩から解放された時、マリアはまったく別人のように変えられました。その表情は平安と喜びに満ち、希望にあふれていたことでしょう。
彼女にとっての一番の大きな変化は、十二人の弟子たちも顔負けの「女弟子」としてイエスにつき従い、献身的に仕えるその姿でした。「私にはもうイエス様しかいない」という、暗闇の中でようやく見つけた希望の光から絶対に離れない、という覚悟がものすごかったのです。
どこにでもついていく人
マグダラのマリアは、イエスの二回目のガリラヤ地方の宣教旅行に付き従いました。自分の財産をもってイエス一行に捧げて仕えました。
彼女は、十字架の上にいたイエスが息を引き取るまで、十字架の足元から苦悶するそのお方の姿を見上げていました。イエスの遺体をアリマタヤのヨセフが十字架から取り降ろす時も、その場で見届けました。
イエスが納められた墓に、最初に行ったのはマグダラのマリアでした。彼女は安息日が明けた「朝早くまだ暗いうちに」(20・1)、その遺体を見守るために危険を覚悟で墓に行きました。
彼女は、イエスが不正な裁判で有罪にされ、四十回近い鞭打ちを受け、極刑の十字架で処刑され、苦しみ続けるその姿を最後まで見届けました。しかし、彼女の信仰の火はまったく消えることはありませんでした。
ついにマグダラのマリアは、墓の前で復活したイエスに最初に会いました。そしてその直後、復活したイエスの知らせを他の弟子たちに証言するために遣わされた最初の人となりました。聖霊が地上に降ってからのその後の生涯、彼女は復活の主の喜びを伝える福音宣教者として仕え抜いたのです。
芯が強く、まったくぶれない
私たちは、マグダラのマリアの真っ直ぐにイエスに従う、芯が強くぶれないその姿に驚かされます。いったい何が、マグダラのマリアの信仰をそこまで強くしたのでしょうか。
それは彼女が、主イエスに出会う前の自分がどういう状態だったかを決して忘れなかったからです。イエス以前の、マリアのそれまでの荒れ果てた生活、こじれた人間関係へのあきらめと怒り、過去のトラウマと傷への悲しみと孤独、将来に対する不安と恐れ、自分自身を好きになれず自暴自棄になっていた悲しみ。多くの周りの人たちを傷つけたことへの罪悪感と苦しみ。それらの暗闇のすべてから解放された感謝の気持ちが、あまりにも大きすぎたのです。
私はどうだったか
あなたのイエスと出会う前はどのような暗闇に苦しんでいましたか。そして、イエスと出会ってから今日まで、どのような光の人生を歩んできたでしょうか。今日までのすべてはイエス・キリストの恵みであり、あなた自身から出たものは何一つありません。
今日、イエスがあなたの人生をどれほど大きく変えてくださったか、静かに思い起こし、ゆっくりと思い巡らしなさい。あなたの感謝は数えきれない程のはずです。その感謝こそが、すべてをおいて、イエスに従うための飢え渇きとなるのです。もっと思い起こしなさい。もっと飢え渇くのです。そうすれば、聖霊があなたに注がれ、イエスに従い通すための爆発的な力となるのです。
イエスこそ、あなたが人生の全てを捧げるのに唯一、ふさわしいお方なのです。
「イエス様、私の人生を大きく変えてくださったことを感謝します。あなたが行きたいところへ連れて行ってください。最後まで従い通す聖霊の力で満たしてください」。