わかったようで、わからない
『わかりやすさの罪』 武田砂鉄
読了レビューです。
文字数:約2,000文字
ネタバレ:一部あり
わかりやすく「本書は〇〇という内容です」と評したら罪になってしまうらしい。
それは冗談にせよ、表紙のシンプルな「わかりやすさ」で気楽に構えて読み始めると、ずぶずぶ足元が沈んで呼吸困難に陥るだろう。
同じ作者による『マチズモを削り取れ』を読んでおり、MCを務めるラジオの視聴などから人となりを把握したような気になっているから、本書の序文にもたじろがない。
この序文が大変に「わかりやすく」、本書を読む人が選別されるように思う。
全24章で語られる内容は多様ながら、それら1つずつを取り上げて考察したところで、まったく「わかりやすく」ない。
そもそもレビューというものが、本書の第3章「要約という行為」で語られる本の要約サービスに近いと考えている。
異なる点があるとすれば、レビューは読んだ人間の主観から構成されており、書き方や読み手にとっての重要度などから個性が生まれ、同じ作品でも同じレビュー内容にはならない。
ただし、文字数に制約がある場合はどうしても内容が似てくる。
第8章「人心を1分で話すな」では是枝宏和監督へのインタビュー記事から、次のような話を引用している。
短い言葉によって表現されるのが適切なものもあるので、制限として140字以上とする案には同意できないが、長いからこそ表現できるものがあることを経験上、私は知っている。
本作に「ヤバイ! おもろ!」とかのレビューが並んでいたら、本当は読んでいないサクラだと疑うべきで、まったくもって世知辛い。
だって、少なくとも本作は面白い内容ではないし、耳が痛い、活字なので正しくは目が痛い話ばかりだから。
第13章「「コード」にすがる」では、近年の音楽について、音楽ジャーナリストの柴那典『ヒットの法則』を紹介し、「過圧縮ポップ」が増えていると続く。
その項で取り上げられている前山田健一、ことヒャダインさんはラジオだったかで次のような趣旨の話をしていた。
「前奏なしで歌がすぐに始まり、とにかく印象に残る曲を作る」
それが自発的なものか、発注元からなのか記憶が定かでないけれど、ぼんやりとした昨今の潮流であるように感じている。
「わかりやすさ」で矢面に立たされやすく、加害者の代表にも思えるテレビメディアについても言及されており、詳細は省くけれど言っていないことを、さも言ったようにされた例が提示されている。
web、テレビ、新聞の3種類から1つのニュースについて知る場合、後者になるほど遅い代わりに量が増え、質も高まる傾向だ。
なのでwebで概要を知り、テレビで中継などを見て、新聞により補完するようにしており、手間はかかるけれど自身の血肉にできるような気がする。
もちろんすべてにおいて同じことはできないし、内容の性質からwebでしか取り上げていない話もある。
その場合、テレビと新聞からは排除された話になるので、あたかも存在していないかのようになってしまう。
よく複数のメディアから情報を取るのが大事と言われるのは、完全なメディアというもの自体が幻想という意味なのだろう。
もちろん本書も作者からの視点で語られたもので、すぐさまページを閉じる自由が読者には用意されている。
こんなものは意味のない言葉遊びだと切って捨てるのは楽だし、もしかしたら正解なのかもしれない。
ただ、少なくともこのレビューをここまで読んでいる人に限っては、数十ページくらい読んでから判断することを推奨したい。
目と耳に心地よい「わかりやすさ」が感覚器をにぶらせるのは事実だし、反対に特化したものは新しい表現とも言えるから、どちらも安易に切り捨ててはいけないと私は思うのだった。