スマホケースがナイロン製
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ランニング用に使っているスマートフォンケースが傷んできたので、せっかくならと新しいものを購入した。
ヘッダー画像左が今までのケースで、少し大きい右のが新調したものだ。
ただし走っているときに必要なのかと聞かれれば、「それなりに」と弱気な答えしか出てこない。
近年は手首につけるスマートウォッチも普及しているけれど、私には腕時計を失くすという才能がある。
しかも手首の蒸れや擦れが気になるようになって、同ウォッチを使うことができない。
走るのに邪魔な板を持ち運び、わざわざラジオや音楽を聴くのは愚かだと思うし、レジの人にも「マジで買うの?」みたいな顔をされた気がする。
それでもスマートフォン用のケースを使う理由は、付けた姿がカッコイイからだ。(個人の見解です)
見た目が肩に付ける盾みたいだし、「俺のターン!」と心の中で叫べば遊戯王の気分が味わえる。
あるいは前の記事で書いた携帯用ライトを一緒に持てば、それはもう現代のジェ〇イと言っても過言ではない。(やっぱり個人の見解です)
そうした想像は3割くらいが冗談であるにせよ、スマートフォンを持ち歩く理由が他にもある。
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以前ランニング中に当て逃げをされたことがあって、幸いケガはしなかったものの、そのときの警戒心が今も維持されている。
他には知人がバイクでの引ったくり被害に遭遇したこともあり、なるべく外を歩く際には連絡手段を用意しておきたい。
さらに時間を巻き戻せば、2011年3月11日の震災があった日、私は外出中だった。
関東においては大規模な被害がなかったと記憶しているけれど、移動の手段を失った人々が歩いて帰宅する光景は、今なお鮮明に思い出せる。
つまるところ私は心配性なのだろう。
震災時には電話がつながらず、webも表示できないだろうからスマートフォンは「ただの板」と化す。
それでも精神的な安心を与えてくれるのは確かだし、ライトやカメラなどの機能は何かと役に立つ。
国土地理院が提供する地図のダウンロードサービス、もしくはスクリーンショットを使って自宅や職場といった身近な場所について、おおまかに把握できるようにしておくのも良さそうだ。
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もしもに備えたところで空振りに終わる可能性が高い。
ただ、安全・安心という言葉が確実なものでないことは、近年とくに意識させられた。
自分だけで何でもできるわけがなく、たぶん何もできない可能性が高い。
それでも意識の隅には置いて日々を暮らしたい。
気分だけはジェ〇イのつもりで。