その情報屋は信頼できるのか?
【文字数:約1,500文字】
noteでは記事に値段をつけて販売することができる。
正確には「読める権利を買う」とするのが適切だろうけれど、探してみると様々なアプローチで販売されており、解説に要した無料部分から、すでに怪しさの漂う記事をたまに見かける。
普段より書いている記事から信頼に足るとか、読んでみたいと思うなら購入するのが良いだろうし、無料で公開されている記事をサポートするのも一興だ。
私自身のことを書くと有料記事を買うよりも、内容が面白いと思ってサポートすることが、比率としては多い気がする。
それは有料記事だと、購入した後の部分に価値を見出せるか分からないためだ。
普段から相手の記事を読んでいるならともかく、有料の記事しかない人の何をもって、新たな信頼を培えばよいのだろう。
一方の無料記事ならば相手にとっては金銭を絡めない、どーでもいい内容なのに、私からすれば大収穫という場合もあるわけで。
俗に「投げ銭」と呼ばれる行為は、現実だと路上などで演奏する人や、大道芸を見せる人への寸志となる。
待ち合わせなどで長く見聴きして良いなと思ったら、少額でも投げ銭をするのが心の健康にも良いし、そうした文化は廃れて欲しくないと思っている。
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話を戻して有料記事を買うか否か。
手前みそラーメンながら、私が始めて有料で販売したのはマガジン「おたからさがし」にて、キノコを連続して扱った記事の1つだ。
世界をキノコ菌で埋め尽くす野望があるわけでなし、それまで通り無料で公開しても構わなかったけれど、このときは有料でも読みたい人がいるのか知りたくなった。
先日に投稿した自作『お姉さまと呼びなさい』の後編においては、有料と表示されることで反応が変わるかに興味があり、作品そのものは無料で読める謎な設定にしたため、「こいつ頭は大丈夫か?」と心配された。
どちらも情報あるいは作品を信頼してくださったおかげか、購入してくださる方が現れて大変に嬉しい。ホントダヨ。
生計を立てられるわけではないにせよ、その嬉しさと金銭の多寡とは関係が薄いように思うし、先に書いた「投げ銭」のような感覚で、相手にとって益があると分かった感じだろうか。
そうした人の存在は、とくに個人で創作をしている人間にとって精神の安定剤になり、モチベーションを与える脳内麻薬ともなり得る。
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結局のところ相手を信頼できるなら購入すればよいと、まったく中身のない結論に落ち着いてしまう。無料記事だから許してね!
ただ、現実において本を買うとき、私たちは「情報」を買っているわけで、その感覚が役に立つのではないだろうか。
本は作者を始めとした編集者、出版社などの手で作られる。それによって情報の信頼度は上がり、webのように消えることもない。
もちろんすべての本が信頼できるわけではないし、偏った表現によって認識が歪められる危険性もある。それでも個人のみが関わるものと違い、訂正や回収といった措置が取られやすい。
ちなみに私が本を買うときに値段を見るのは、今月に買う余裕があるかを判断するためで、金額を妥当だと考える基準そのものは広い。
「〇〇先生の新刊! こりゃ買わないほうが損やで!」
そうやって私の中のエセ関西人がさわぐので、本の消費税が10%になったのは未だに納得していない。本自体の値段も上がってるのホンマ殺生やわ。
誤用だと分かりつつ、人はパンのみにて生くるものにあらず。パンがなければケーキを~で打ち消される特効あり。君に決めた!
こうして益体のない文章を書いている人間も、日々の食事を摂らねば生きられない普通な存在なので、記事で儲けようとする姿勢そのものは応援しています。
内容がウソだったり転載だったりは犯罪ですけども。
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