顔も名前も知らない誰かのために生きること
『あれは閃光、ぼくらの心中』 竹宮ゆゆこ 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約1,600文字
・あらすじ
ずっとピアノを弾いてきた嶋 幸紀、15歳。
12月末の年の暮れ、嶋は試験での失敗を理由に家を出た。
しかしあてのない逃避行の末に追いかけられ、崖から転落してしまう。
もうダメかと思った嶋を助けたのは、美しいホストの青年。
この出会いが2人の今を壊し、未来を照らす閃光になるとは、このとき知る由もない。
・レビュー
本作を読み始めてすぐ、ある人を私は思い出した。
主人公の嶋には弟がいて、兄である彼は家出がバレないようアリバイ作りを命じ、その理由を次のように話す。
嶋は目だけではなく頭も悪く、返す気がないのに弟から自転車を借り、神奈川県の葉山から横浜に向かおうとして、なぜか町田へと辿り着く。
そこでヤンキーから追われた末に出会ったのが25歳のホスト、弥勒だった。
先の兄発言や弥勒との出会いにより、私の頭の中に浮かべた嶋の姿にある人がダブってしまう。
ある人も外国で困っていたときに現地の青年に助けられ、それから今も続く長い付き合いになっているそうな。
たまたま手に取った本作が、ある人の人生を模倣しているとは、まさか知る由もなかった。
◇
嶋の家出は終わりの決められた旅であり、両親と不仲というわけでもないので、いつか連れ戻されることが決まっている。
凪良ゆう『流浪の月』において、未成年だった主人公を自宅にかくまったことで、大学生の佐伯文は逮捕されてしまう。
現実に家族から逃げるため、SNSで泊めてくれる人を探す未成年などがいて、それは俗に「神待ち」などと呼ばれる。
あえてタイトルは挙げないけれど題材にした作品を知っており、本作を読みながら不幸な結末になるのではと心配した。
だが、嶋が案内されたのは人が暮らしているとは思えないほど汚い部屋、汚部屋と書いて「おへや」、「おべや」と呼ばれるものだった。
そもそも弥勒が酔った勢いで嶋を連れ帰った時点で、少々おかしな奴だとは感じており、酔いが醒めて追い出そうとするも、結局は2人で暮らし始めてしまう。
背景にとある約束があるとはいえ、弥勒は嶋との生活を通して、何かしらの希望を得たいと考えていたのだろう。
◇
すべてを投げ出して逃げ出す嶋の行動は、一般的な15歳が取り得るとは考えにくい。
けれどもしも嶋のように、自分を構成してきたピアノが失われたとき、私も彼と同じような行動に出ないとも限らない。いや、限らなかった。
私もまた終わりを考えない旅に出ていたから、嶋のことを愚かだと笑えない。
そして酔った勢いながら、弥勒が嶋に手を差し伸べたように、純粋な親切心とは別の理由で人を助けたいと思うときがある。
たとえそれが利己的な理由であっても、相手にとって差し伸べられた手の温かさは変わらない。
こうしてnoteに文章を書くことも自分のためであるけれど、作品に登場するオンラインゲーム「めぐりあいユニバース」のように、誰かに見つけて欲しいと思っている面があるのは否定できない。
すべてから逃げ出そうとした嶋でさえ、通りすがりの酔っ払いホスト、弥勒に助けを求めたのだから。
◇
本作におけるもう1人の主人公、弥勒が15歳だったときにある事件が起きた。
それから10年後、自分の目の前に現れた15歳の嶋を助けようとするのは偶然で、あるいは必然だったのかもしれない。
私が本作を読んで思い出した、ある人との出会いは偶然であり、外国で助けられたという青年との出会いもまた同じだ。
生物としての人間は自分のために生きている。
けれども不思議な縁が、いつの間にやら絡まってくるあたり、本作の2人のように人生の奇妙さを思わずにはいられない。
その続きを見届けられるか、それもまた偶然あるいは必然によって決まっているのだろうけれど。
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