つよくてニューゲーム
【文字数:約1,600文字】
先日にフォローしている方が ↓ のイラストを投稿していた。
『転生したらスライムだった件』という作品の主人公、スライムのリムルを描いたもので、サムネイルのスライム状態から記事を開けば、人間態が隣に立っているという上手い構成だ。
それをきっかけとして、アニメの『転生したらスライムだった件』を動画サイトで観返した。
内容としては通り魔に刺されて死亡した男が、異世界でスライムに生まれ変わる、つまり転生して活躍するというもので、「異世界転生」などと呼ばれる作品群の1つに数えられる。
この異世界転生は、事情に詳しくない私でも作品数が爆発的に増えたことを知っており、ある公募では「異世界転生」のジャンルで応募したが最後、内容に関わらず選外になるという噂があった。
転生するのは同作のように人間以外である場合も多く、剣だったり蜘蛛だったりすることもある。
また、生きたまま異世界へ行く「異世界転移」のジャンルと並び、昨今におけるファンタジー小説の双璧を成している、というのが個人的な見解だ。
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雑に括ると「異世界モノ」と呼ばれる作品は、主人公が何らかの特技を有しており、基本的に敵と戦って苦戦することがない。
そのため読者というか視聴者は安心して観ていられる。これを時代劇の「水戸黄門」に例える場合もあるし、現代ドラマだと「相棒」が近いのではなかろうか。
様々なトラブルや問題が起こっても、最終的には主人公が解決してくれるので、読者や視聴者は少ないストレスで接することができる。
「パト〇ッシュ、僕はもう疲れて眠いんだ」の状態にあるとき、わざわざストレスのかかる行為をしたくない。
余裕のなさを裏づけるように、「異世界モノ」と呼ばれる作品は増え続け、何度も死んで生き返ったり、強いまま現世に帰ったりする作品もあるようだ。
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作品において主人公の死は、基本的に物語の終わりを意味する。
別の登場人物に引き継がれたりする場合もあるけれど、文字のみで構成された小説で別人を書き分けるには、文体を変えるなどの工夫が求められる。
そもそも「読む」という行為が、能動的で苦痛だと言われかねない現状だから、葛藤などのない楽しい話が続く作品は、時代の要請によるものかもしれない。
書き手としても「ぼくのかんがえた、さいきょうのおはなし」という感覚だろうから、書いてて楽しそうだと思う。
読み手と書き手の双方が楽しい、win - win な作品だからこそ今後も流行は続くだろう。
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ただ、私は個人で楽しむならともかく、作品としての「異世界モノ」を書ける気がしない。
もちろん主人公は生きている必要があるので、大なり小なり都合の良い作為が織りこまれるのは、おそらく作品が生まれ持つ宿命ではなかろうか。
だとしても苦労なく問題や課題を退け、優雅にお茶を飲んだりする話を、たぶん私は書けない。
作家には作品の出発点となる感情があると、どこかで見聞きした。
私の場合は「痛み」や「悲しみ」が元になっている場合が多く、終わりはハッピーエンドにするとしても、そこまでに至る過程で私自身が泣いている。
少し前に『地図と拳』の作者、小川 哲さんもラジオで話していたと思うけれど、フィクションだからこそ書けるものがあるはずで、私の場合は始めての長編において、死んだ友人が死なずに生きる話を書いた。
今となっては酷い出来だと恥ずかしくなる一方で、楽しいばかりの話では長編にすることもできなかっただろう。
苦痛の少ない物語が流行るのは需要があるからだろうし、わざわざ疲労した体で筋トレをしたいドMはいないはずだ。
正直に言って、書くのはツラい。あっぱらぱーになってシュガー on ハニーな話にすれば、きっと楽しいに違いない。
でもそれは私の望むものではないし、どうせ後悔するなら傷の少ないほうを選びたい。
私は転生できると思いながら、無様に生きているわけではないのだから。
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