詠んで 呼ばれて 呼びかけて《短歌・日記》
空は曇り 町と同じく白いから
きみに呼ばれて 桜と気づく
先日にバイクで走っていたとき、視界に桃色がかすめたので見に行くと、早咲きで有名な河津桜でした。
短歌にしたときは自分の中で言語化できていなかったのですが、空と町が白い中で、色のあるものとして桜を認識したのが、まるで人に呼ばれたみたいだなと。
先週あたりから推敲中の話に手を加え始めたのですが、物語を動かし始めると「あれはどうだったかな?」や「これは詰めが足りない」というのが出てきます。
ざっくり私の制作過程は下記の流れでして、だいたい1と2、および4と5を行ったり来たりします。
1:書きたいテーマを決めて世界観や流れをおおまかに作る
2:初稿を完成させる
3:通して読んで疑問点などを書きだす
4:制作メモで疑問点の解消および掘り下げ
5:初稿をベースに第2稿を作る
6:問題なければ第2稿を最終稿とする
始めから文句のつけようがない完成度にできたらと思いつつ、形にして現れた影の部分、つまり描けてないところが気になるとかがありまして、最悪いくらでも時間をかけられてしまうと。
とはいえ、こうして「やってます」というアピールをしても虚しいばかりですから、来月末にはどうにかしたいと思っています。
公募に出すつもりなら締切に合わせて期限を設けるわけですが、今のところ自分が形にしたいだけな気もして、投稿する形式などを考えるのが億劫だったりします。
自分だけの物語から、だれかの物語にもなればいいと願いながら、そのまま自己満足で終わってもいいような。
たぶんそう思うのは私が始めて長編にした、自分にとって「書かずにはいられなかった話」のリメイク作品なのも関係あるかもしれません。
何ヶ月も同じ作品と向き合って生活と溶け合ってしまい、もはや離れるのが難しいのは事実ですし、きっと最終稿ができたら寂しさに泣くでしょう。
ですから「完成させたい」と「完成させたくない」の相反する思考に揺れているわけで、半分くらいは正気を失っているのかなと。
それでも完成させるであろうことは、ぼんやりとですが信じています。
なんでしょうね。
呼ばれた、とするのは怪談やホラーですけれど、書いてて自分の中にあるものが言語化されたとき、そんな気分になったりします。
こちらからも呼びかけ、戻ってきたものを文字にしていくうち、何者かと対話しているようにも思えたり。
なかなかにヤバいですね。
こんな感じの精神状態が完成するまで続くことでしょう。
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