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たぶん100万回生きたら美桜みたいになるとしても
『100万回生きたきみ』七月隆文
読了レビューです。
文字数:約1,400文字 ネタバレ:一部あり
※敬称略
フォロ―している方が七月隆文の大ファン、あるいは親だと認識しているらしく、今月始めに出た新刊『天使の跳躍』にまつわるレビューの熱量が凄まじく、それがきっかけで手に取った。
この方は文章から心身に宿った国語力が漂い、このような人が心酔そして崇拝する方の作品とは、どんなものだろうと興味が湧いた。
結論から言えば、とても良かった。
ひさしぶりに一気読みをして、そうそう本を読む楽しさってコレだよ、と軽い頭痛をおぼえながら、せっかくなので文章にしたくなった。
私の国語力を彼の人と比べ、馴染みあるものに例えるなら三輪車とロードバイクであり、今まで読んできた本を積み上げたらラジオアンテナとスカイツリーくらい隔たりがあると思う。
それはもう生きてきた積み重ねであり、私が100万回生きていたら違うかもしれないけれど、今のところ1回目という自覚しかないのだった。
本書のタイトルを見てすぐ、絵本『100万回生きたねこ』を連想して何かしら胸のあたりがザワつくなら、たぶん読んで損はないような気がする。
というのも、誤解を恐れずに書くなら人間版『100万回生きたねこ』としても、あながち間違っていないからだ。
本作の主人公は2人いて、プロローグの冒頭は「安土美桜は、100万回生きている」から始まる。
美桜ともう1人は三善光太であり、2人のなんやかんやが軸になって物語が展開していく、というのは正しくもあり、正しくないともいえる。
生まれ変わりは「転生モノ」などとして、今日ではありふれた題材に思えるかもしれないが、先の作品群は「前世の記憶や経験を引き継いで無双する」というのが基本設定であり、つまり1回しか生まれ変わっていない。
それが本作は100万回である。
自転車やバイクで走り回っている私の経験上、始めて訪れたときの印象が一番強くなって、後は追加されたり上書きされたりするものの、激変するということは基本ない。
それが100万回になったら100歳の老人みたく、あれはいつのことだったかのぅ、などと記憶の引き出しが錆びつくどころではなく、たぶん薄ぼんやりとした記憶しかないと思う。
美桜もまたそうした内面の老化、あるいは枯死の気配があるものの、あることがきっかけとなって光太に惹かれていく。
そこからが長い物語の始まりなのだけど、種を知っては花も咲かないわけで、ぜひ自分の目と手あるいは心で確かめて欲しい。
本作における重要な要素は「歌」であり、それが2人を結びつけ、ひいては作品の世界観を下支えしている。
普通は記憶を持ったまま生まれ変わりなど出来ないし、脳に蓄積された情報を別の体で再現するなんて、そんなの不可能に思える。
しかし日本人が5と7の音による和歌や俳句、もっと根源的なリズムを好むのは、もはや遺伝子レベルと言われており、本作の歌に対する描き方もそれと近いような気がした。
私たちが今こうして書く文字は道具つまり発明品であり、太古の時代においては声そして人々の記憶が頼りだった。
文字によって世界が定義されたことで、保存や共有がしやすくなった。その一方、消えない文字が人を欺き、傷つける事例を多く見る。
かといって文字のない世界に戻れるわけもないので、せめて本作で重要となる「誓い」とまではいかないが、自身の発した文字そして言葉に重みがあることを忘れないでいたい。
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