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ある日、兄と弟は 《短編小説+雑記》

【文字数:約2,600文字】

 弟と始めて会ったときの第一印象は最悪だった。

 高校生で家族が増えるなんて予想外だし遠慮したいのに、完全に親の都合だからどうしようもない。
 できれば兄が欲しかったと願っても、まさか自分の歳を追い越して成長するはずもなく。

 なにやら玄関脇のガレージで作業中らしい人間を横目に、家の中へ入ろうとしたところで、

「ちょうどいいや。拓真たくま、そっち持ってくんない?」

 弟から名前で呼び捨てにされ、少しの間を置いてから答える。

「……裕樹ゆうき、またやってるのか」

「また、じゃない。この前のとは別のとこ」

 丁寧に訂正されたけれど、見た目は第一印象のときと変わらない。臭い汚い気味が悪いの三点セットなのに親は何も言わない。

 ガレージの床に座っていた弟が立ち上がり、自分よりも高い位置にある目線が斜め下に向く。
 その先には四足獣の置物と見間違えそうな物体があった。

 人間の頭と同じ幅をした車輪が前後にあって、二つの中間の地面と近い部分、ちょうど腹にあたる場所には黒光りする塊が見えた。

「プラグの交換だよ」

「……なんだそれ?」

 聞き返したら「スパークプラグだよ」と言われたけれど、やっぱりわからない。

「それなりに走ったら交換するんだけど、二輪車だと5000kmくらいが目安かな」

 単語の説明をしてもムダだと判断されたのか、身長に比例して長い腕を差し出した。

「こういうやつ」

NGK CPR6EA-9

 掌の上に棒状の物体があり、くびれのある白と銀の部分が幼虫を連想させた。

「きもっ」

「どこがだよ。お前の眼は腐ってんのか?」

「いや、だってそれ端っこが変に細いし、頭とか尻尾みたいじゃね?」

「……こんな虫がいてたまるか」

 ちょっとだけ想像したらしく、わずかに頬が引きつっている。

「で? きもい虫もどきをどうするんだ?」

 身を引きながら聞くと、はっきりと裕樹は否定する。

「虫じゃない。これはプラグ。エンジンに付ける部品だ」

「そんなのが突き出してたら危ないだろ。お前、まさか暴走族とかいうのになるのか?」

 派手な光を出して存在感マシマシなのを思い出し、それよりかマシだろうとは思いつつ、あまり気乗りしないまま続ける。

「一部に人気だった映画で、『マッドマルクス 怒りの資本論』ってのがあったけどな」

「そんなB級映画、聞いたこともない」

「甘いな。『マッドマルクス』はZ級だ」

「……なにそれ?」

 明らかに困惑している裕樹に向け、これはチャンスと口を開く。

「『マッドマルクス』は資本主義の矛盾に怒ったマルクスが、人間を部品みたいに扱う悪徳企業のトップたちを次々と闇討ちして、資本主義から世界を救うって話なんだ」

 興奮を抑えきれず一気に喋り、ガレージにいる四足獣もどきな二輪車を指差す。

「ほら、そういう感じに突き出してる部分で、こう、グサッと闇討ちを──」

黒光りするエンジンに刺さった状態

 裕樹の手にしているプラグと呼ばれるものが、斜め前方に向かって獲物を求めるように主張していた。

「誰が呼んだかMEGAニードル! MEGAってのはMarx-Engels-Gesamtausgabeの頭文字で──」

 不意に弟の裕樹が吐き捨てるように言った。

「きもっ」

 ◇

 それなりに言い合って互いに落ち着いてから、拓真は聞いた。

「で? そのプラグ交換の間に何をすればいいんだ?」

 武器になりそうな細長い工具を使えば外れるらしく、手伝う必要があるとは思えない。

 するとこちらの意図を察したのか、裕樹がMEGAニードルもどきを軽く叩いた。コンクリートで囲まれたガレージ内に硬質な音が反響する。

「固着してるみたいで動かないんだ。もう一度やってみるけど、その間にバイクが倒れないよう支えて欲しくて」

「整備してくれるところに頼めばいいじゃないか」

「本当にダメそうならね。でも、すぐ諦めるのは嫌なんだ」

 自分がすぐ諦める奴だと言われたような気がしたので、やや棘のある声で言った。

「素人が手を出してダメにするって、けっこう多いんじゃないの?」

「……まぁ、確かに」

 いつもと違って素直な反応に驚き、拓真は慌てて言葉を足す。

「無理やりやるんじゃなくてさ、ちょっと工夫してみるとか」

 言いながらガレージの中を見回し、天井近くの棚に置かれたスプレー缶を見つける。

「パニックホラー映画とかで脱出するのに、ああいうのを錆びた鉄格子に使ってたんだ」

「固着したのを緩めるためだね。よし、試してみよう」

 裕樹はスプレー缶を手に取り、床に落ちていたボロ布を添えてプラグの根本に液体を吹きつける。

「少し待って浸透させるといいらしい」

「わかった」

 頷いた祐樹は真剣な顔つきのまま、危険そうな突起物をじっと見つめている。

「……あのさ」

 少しだけ迷ってから、拓真は自分と一つ違いの弟に向けて言った。

「裕樹は親父さんの再婚に、その……反対、しなかったのか?」

 お互いに片親で共感を受けたらしく、拓真の母親と裕樹の父親とが再婚したのは先月の始めだった。
 ぎこちない握手と貼りつけた笑顔で兄弟になったものの、はいそうですかと簡単に受け入れられるはずもない。

「こっちも反対しにくいのは同じだけど……気になって」

 わずかにそらした視線が、ふたたび裕樹の横顔へと戻る。父親と似た鼻筋は自分にないもので、どうしても弟だとは見られない。それは裕樹からしても同じに思えた。

 聞こえるはずのない液体の浸透していく音が、耳の内側で湧き出してくる。

 じゅわり。じゅわり。

 何かが溶けるような感覚に息を飲むと、裕樹の声が静かに届く。

「……驚いたけど、反対はしなかった」

「どうして」

 すると眼差しが、口元が、ゆっくりと動く。

 

 兄が、欲しかったから。

 

 そう聞こえたような気がしたけれど、

「もういいかな。拓真、そっちよろしく!」

 やけに明るい呼びかけに思考を遮られ、機会を逃したまま最後まで確かめることはできなかった。

 今でもあのとき裕樹が何を言ったのか判然としないけれど、それから互いの名前を呼びあうときの硬さが取れたのだった。


 バイクのプラグ交換をしながら、↑のようなことを考えていました。

 ヘッダー画像の上にある焦げ色のが10,000km使ったもので、下が新品です。

 私が乗っているのはエンジンの気筒が1つしかない単気筒なので、手間と費用もかからず交換しやすくて、作業時間は10分くらいでしょうか。

 それにしても『マッドマルクス 怒りの資本論』が本当にあるなら、ぜひ観てみたいものですね!



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りんどん
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