ひとめでわかる ひとめぼれする
【文字数:約1,100文字】
今朝、ラジオを聴いていると駅の時刻表がなくなっているそうで、元ネタの新聞を見たら時計も撤去している駅があるそうな。
全国すべての駅からすれば少ないらしいけれど、たしかにスマートフォンで乗り換える路線や時間、料金、混雑状況まで分かるから、昔より重要ではなくなっている。
とはいえ、ぱっと見で次の電車がいつ来るのか分かるし、時計に関しては緊急時などに必要だ。
ヘッダー画像はIKEAで購入したSTAKIGという時計で、500円玉を2まわりくらい大きくした文字盤と、固定用の吸盤を支える棒で作られている。
残念ながら吸盤は役に立たないけれど、数字のない文字盤が気に入っており、ちょこんとデスクの横に佇んでいるのが愛らしい。
PCを起動していれば必然的に時間が分かるし、そうでなくてもスマートフォンで確認できる。
それなのにアナログな時計を使う意味があるとすれば、「ぱっと見で分かる」というのが大きい。
前に無印良品で同じようなのがあって、それは数字を入れるために文字盤が大きくて、やぼったい印象を拭えなかった。
数字がないと時間の把握もぼんやりする。ただ、しっかり確認したいならデジタルの時計を見ればいいので問題ない。
むしろ「ぼんやり」な把握だからこそ時間に追われる感覚が薄らぐし、たぶん文字盤で時間を見るのが好きなんだと思う。
デジタル時計は24時もしくは60分になると0に戻り、何をやっても毎日リセットされるような感覚になるときが、たまにある。
文字盤の時計だって針が1周すれば元に戻るけれど、長針と短針が動き続けるためか、デジタルより積み重ねている感覚になるというか。
とくに書き物をしているときに見ると、「40分がんばった自分えらい」などと思えてモチベーションが維持しやすい。
TANITAのキッチンタイマーで1セット60分に設定していたときは、休憩を取るタイミングが分かりやすい利点がありつつ、時限爆弾みたく感じていたのもあって本来の用途に戻した。
機能だけで捉えるなら時刻表や時計はもう、この世で絶対に必要というわけではない。
時刻表についてはダイヤ改正のたび経費がかかる事情もあるそうで、古き良き情緒が失われるからと、安易に復活させろとは言えない。
ただ、何でもスマートフォンで代替できるからといって、必ずしも同じ感想を持つわけではない。
最寄り駅にある時刻表を見ながら、そんなことを考えたのだった。
2023/10/4 朝日新聞 朝刊 記事一覧より ↓
2023/09/29 朝日新聞デジタル 執筆者:臼井昭仁 ↓
上記2つのタイトルは異なるけど、書き出しが同じなので内容もそのままかと。