クラスメイトが人間でないものに思えた話
【文字数:約1,800文字】 お題: #忘れられない先生
※やや残酷な表現がありますので、苦手な方は閲覧をご遠慮ください
放課後の教室に呼び出された私の前に、担任の女性教諭が座っている。
彼女の手元には今日あったことを書く日記帳があり、そこから視線を上げて口を開いた。
「なんで〇〇さんは、こんなことを書いたのですか?」
夕陽の差し込む教室は橙色に染まり、私と担任の足下を焼いていた。
◇
その小学校には、職員室と校庭との間に小さな池があった。
池にはコイが泳ぎ、生物委員がエサを与える。その隣に立つ小屋も彼らの活動場所で、中にはウサギが跳ね回っている。
生き物を飼うことが教育の一環になっていたから、6年生になると教室でも何かを飼うことになっていた。
動物の世話を通じて思いやりの心が育まれる、らしい。
どういった経緯か忘れてしまったけれど、私のクラスではメダカを飼うことになった。その他の候補はハムスターなどの小動物で、いわゆる扱いやすい生き物たちだ。
おとなしい生徒としてクラスの決定を傍観していた私は、きっとメダカは長生きしないだろうと始めから思っていた。
今は変わっているかもしれないけれど、あのとき祭りの縁日には金魚すくいの店が必ずあった。多くの子供がそうであったように、私は渡されたポイ網で1匹も取れなかった。
それでも店主はサービスだよと、赤くて小さな金魚を1匹くれた。
数日後、ろ過装置のついた水槽を父が用意してくれて、「和金」という金魚の名前と値段を知った。
ホームセンターで50円で売られていた和金は、長生きしなかった。
ろ過装置に吸い込まれて息絶えた金魚は死骸となり、ゴミ箱に入れられた。
あまりのあっけなさに悲しさすら湧かず、それ以降、私は金魚すくいをすることはなかった。
◇
「〇〇さん、聞いてますか?」
母親と同じくらいの年齢に思える担任は、怒りではなく憂いを瞳に浮かべて私の答えを待っている。
生徒には動物を飼う以外に、もう1つやることがあった。
その日にあったこと、思ったことを書いて、帰りのホームルームで提出する。担任はそれらを読んで感想を書きこみ、翌朝のホームルームで返却する。
私が数日前に書いた日記には、赤いペンで放課後に残るよう書かれていた。拒んだところで意味はないし、たぶん求められている内容でないこともわかっていた。
それでも担任と面と向かって対峙するのは、子供にとって緊張する場面に違いない。
私は自分を守るように顎を引き、小さな声で言った。
「……クラスのみんな、人間じゃないですよ」
◇
クラスで飼い始めたメダカは長生きしなかった。
もともとが生命力に乏しく、決められた掃除当番はサボられ、泳いでいたプラスチックの容器が倒されれば、さほど全滅まで時間はかからなかった。
動かなくなったメダカをクラスメイトが、悪臭のする水ごとゴミ箱に流しこむ。
「うっわ……くっせぇ」
顔をしかめてつぶやいた言葉が、やけに大きな声で耳に届いた。
◇
「みんな飼っていたのが死んで、せいせいしたみたいな、そんなふうに見えました」
私の説明を聞いていた担任は、困っているかのように両眉をゆがませて、しばしの時間を置いてから口を開く。
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」
「メダカを殺したみたいなのにですか?」
「たしかに当番がうまく回らなくて、教室でボール遊びをするのもよくなかった」
一度そこで言葉を切って、担任が続ける。
「だけどクラスのみんなが全員、人間じゃないなんて思うのは止めたほうがいい。みんなの前で声に出していないだけかもしれないし、お家に帰ってから悲しんでいるのかも。〇〇さんみたいに」
「……そう、かも……しれません」
実際に同じ考えをもつ生徒がいるとは言わなかったけれど、担任の話に私は少なからず納得できた。
声や表情に出していないのかもしれないし、見た目だけで判断してはいけない。
今になって思い返せば当然のことなのだけれども、そのときは感情的になって決めつけていたし、人間の形をした敵だとすら思っていた。
相手の思っていること考えていることが、いつも完全には表に出ないかもしれないと想像力を働かせる。人間は思い通りには動かないし、決められたことを守らない場合もある。
そのことを私は、小学校の女性教諭から教えられたのだった。