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第111回/チャールズ・デュヒッグ『習慣の力』〔新版〕


「企業の習慣」を大きく扱った「習慣本」

今回取り上げるのはかなり前に出た本(原著は2012年刊で、紹介する〔新版〕は2019年刊)ですが、私にとってはかねてよりお気に入りの1冊です。

「私たちの生活はすべて、習慣の集まりにすぎない」
――「心理学の父」とも呼ばれるウィリアム・ジェームズ(米国の哲学者・心理学者)は、1892年にそう書きました。

また、米デューク大学の研究者が2006年に発表した論文によると、私たちの日々の行動のうち、じつに40%以上が「その場の決定」ではなく「習慣」なのだそうです。

だからこそ、習慣を変えること(=悪い習慣をやめ、よい習慣を身につける)は、人生を変えることにつながります。
そのことを反映して、「習慣本」――つまり「習慣を変えることで人生を変える」というテーマの本は、ビジネス書や自己啓発書を中心に汗牛充棟です。

本書も、タイトルのとおり「習慣本」の一つ。ピュリッツァー賞も受賞した米国の一流ジャーナリストであるチャールズ・デュヒッグが、綿密な取材をふまえ、「習慣の力」を多面的に探った内容なのです。

ちなみに、当連載では以前、デュヒッグの著書『あなたの生産性を上げる8つのアイディア』(講談社)――文庫版は『生産性が高い人の8つの原則』 (ハヤカワ文庫NF) と改題――を取り上げたことがあります(第2回)。

私はこれまでかなりの数の「習慣本」を読んできましたが、本書はその中で間違いなくダントツの1冊です。

なぜ「経営に役立つ一冊」という連載で「習慣本」を取り上げるかといえば、本書が個人の習慣のみならず、「企業の習慣」も大きく扱っているから。

企業も「習慣」を変えることで改革できる

本書は全3部構成で、第1部は「個人の習慣」、第2部が「成功する企業の習慣」、そして第3部で「社会の習慣」を扱っています。

第1部も第3部も素晴らしいのですが、中小企業経営者で「全部読む時間がない」という場合、第2部「成功する企業の習慣」だけを読んでもよいでしょう。

「企業の習慣」とは耳慣れない言い回しですが、個人と同様に、企業にも長年の間に形成された習慣があり、経営者も社員も無意識のうちにそれに縛られています。

習慣とは、行動が「無意識のルーティン」になること。企業にも、社員たちの行動が「無意識のルーティン」となっている事柄がたくさんあるはずです。いわゆる「企業カルチャー」(=社風)のことと考えてもよいでしょう。

企業を大きく変えるには、「企業の習慣」を変えなくてはなりません。それはたやすいことではありませんが、成功すれば、あとは経営者が逐一指図しなくても、個々の社員が行動を変えることによって企業はおのずと変わっていくのです。

本書の第2部は、「企業の習慣」を変えることでカルチャーを変え、企業を大きく改革した事例を集めた内容なのです。

エビデンスと豊富なエピソードを兼備

本書は、脳科学、心理学などの分野で、科学的に研究されてきた習慣のメカニズム(習慣がどのように形成されるかなど)についても一章を割いています。
つまり、「習慣とは何か?」ということと、それを変えるために何が必要なのかが、エビデンス(科学的証拠)に基づいて詳しく解説されているのです。

ただし、著者はピュリッツァー賞ジャーナリストですから、科学書というよりノンフィクションとしての色合いが強い本です。

つまり「論より具体例」で、習慣が個人や組織を劇的に変えた事例を通して、その力を探ることにウェートが置かれています。

たとえば、アルコール依存症を治すための巨大組織「AA(アルコホーリクス・アノニマス)」がなぜ大きな成果を上げてきたのかを、「習慣の力」に焦点を当てて検証しています。習慣のメカニズムが解明されてきたからこそ、ネガティヴな習慣である依存症から脱出する方途もわかってきたのです。

また、さまざまな組織(大企業、大病院、スポーツチームなど)を「習慣の力」で立て直した事例も、多数登場します。

さらに、本書は“社会の持つ習慣”についても論じています。社会が大きく変わるためにも、「習慣の力」が重要な役割を果たすというのです。
その事例として挙げられているのが、アメリカの公民権運動。1つの章(「第8章 公民権運動の真相――社会運動はどのようにして始まるのか」)を丸ごと割いて論じられています。

……そのように、「習慣の力」がさまざまな角度から検証されていくノンフィクションなのです。
ノンフィクションとしても一級品で、面白いエピソードの連打で読者をグイグイ引き込んでいきます。

それでいて、エビデンス部分もしっかりしており、個人や組織が習慣を変えるための実用書としても非常に有益です。

「キーストーン・ハビット」を変えることが大事

本書でキーワードとなるのが、「キーストーン・ハビット」(要となる習慣)という概念です。1つの習慣を変えることで連鎖反応的に他の行動も変わっていくという、変化のカギを握る習慣を指します。

一度に多くの習慣を変えようとすると、負荷が高すぎてうまくいかないものです。それに対し、キーストーン・ハビットとなる一つの習慣に狙いを定めてそれを変えると、《他の行動もプログラムしなおすことに成功》することが多いそうです。

身近な例として、運動の習慣がなかった人が、ジムに通うなどの運動習慣を身につけると、そのことをきっかけとして、運動とは関係ない他の行動も変わるケースが多々あります。食生活が改善され、職場での生産性も上がり、酒やタバコの量が減り、家族や同僚に対して優しくなるなど...…。その場合、運動習慣がキーストーン・ハビットとなり、連鎖反応を引き起こしたわけです。

《なぜそうなるのかは、はっきりとはわかっていない》そうですが、そうした連鎖反応が起きることについては多くのエビデンスがあります。

《企業でも、ある「キーストーン・ハビット」を変えると組織全体が変わることがある。プロクター&ギャンブル、スターバックス、アルコア、そしてターゲット。これらの企業はこの原理を利用して、仕事の進め方や社員同士のコミュニケーション、そして(消費者に気づかせることなく)買い物の仕方を変化させた》

たった1つの習慣から復活した大企業

本書の第2部で紹介されている、キーストーン・ハビットを変えることで企業全体を大きく改革した事例のうち、私がいちばん感銘を受けたのは「アルコア」(世界的なアルミニウム・メーカー)の事例です。

経営不振に陥ったアルコアを再建するため、1987年にCEOに就任したポール・オニールは、就任あいさつで「アルコアをアメリカ一安全な会社にする」と宣言し、「事故ゼロ」を目標に掲げます。
アルミニウム精錬という事業には危険が伴うため、同社には社員が巻き込まれる事故が多かったのです。《どの工場でも、週に1度は事故があった》ほどでした。

オニールが掲げた目標は、「物言う株主」たちから強い批判を浴びました。業績回復が喫緊の課題なのに、業績には一言も触れず、安全対策にのみ注力すると宣言したことに、関係者は驚いたのでした。

ところが、オニールがCEOに就任後、1年も経たないうちに、アルコアは記録的な利益を上げます。しかも、2000年に彼が引退したころには、同社の年間収益は就任前の5倍に伸びていたのです。

のみならず、社員が怪我をする率は全米平均の20分の1にまで下がり、アルコアは世界でも屈指の安全な会社になっていました。オニールは就任時の宣言を見事に実現し、なおかつ業績も大きく伸ばしたのです。

これこそ、キーストーン・ハビットを変えることで企業全体を大きく改革した典型的事例でした。オニールは「職場の安全を守る」という目標に的を絞り、そのための習慣を作ることに注力しました。

《誰かが怪我をしたら、24時間以内にユニット長がオニールに報告し、二度と起こらないようにするためにどうするか、改善策を示さなければならない》
――オニールはそんなルールを定め、それが全社的な習慣になるまで徹底していきました。この習慣がキーストーン・ハビットになり、連鎖反応を起こして、社員たちの他の行動も改善されていったのです。

なぜなら、安全対策を徹底していくためには、連絡体制、システム設計、故障をすみやかに直す体制など、会社のすべてを改善する必要があったからです。
そのため、安全対策がコスト削減・生産性向上・品質向上にもつながり、業績もV字回復していきました。

この「アルコアの奇跡」が広く知れ渡ったことから、いまでは《アメリカ中の企業や組織が、「キーストーン・ハビットを使って職場をつくり直す」という考えを歓迎している》そうです。しかし、日本の企業にはまだ、この考えがあまり浸透していないように思えます。

もちろん、「キーストーン・ハビットを使って職場をつくり直す」ことは、中小企業にも応用可能です。
「社風を変えたい」「企業改革をしたい」と考えている中小企業経営者は、本書を読んで自社の習慣を変えることに取り組んでみてはいかがでしょう?

チャールズ・デュヒッグ著、渡会圭子訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫/2019年7月刊
文/前原政之

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