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第6回/ポーリーン・ブラウン『ハーバードの美意識を磨く授業』


経営者が美意識を磨くべき理由

今回取り上げる本のタイトルを見て、「これがなぜ『経営に役立つ一冊』なんだ? 経営に美意識なんて関係ないだろう」と首をかしげる向きもあるかもしれません。

一方、ベストセラーになった山口周氏の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?――経営における「アート」と「サイエンス」』(光文社新書/2017年刊)を読まれた方なら、私の意図がピンとくるでしょう。

同書には、グローバル企業が幹部候補を著名な美術系大学院に送り込むなど、経営者に美意識が求められるようになってきた変化が紹介されていました。

それはなぜか? 一言で言えば、これまで主流だった「分析的経営」(科学的分析を重視する理詰めの経営)が、通用しなくなってきたのです。

一つには、変化が激しく、先行き不透明な「VUCA(ブーカ)」の時代には、理詰めで結果を予測することが困難であるから。
そしてもう一つには、分析的経営の手法が世界に普及し、すっかりコモディティ化してしまったから。他社と同じ手法で経営しても、横並びになるだけで、抜きん出ることはもはや難しいのです(ほかの理由は、ここでは割愛)。

だからこそ、ビジネス・エリートたちがこぞって、これまでに鍛えた論理的・理性的スキルではない、直感的・感性的スキルを習得しようとしている。それが美意識を鍛えることなのだ……というのが山口周氏の見立てでした。

とはいえ、山口氏は分析的経営を否定しているわけではありません。経営に論理や分析も重要であることは、いうまでもないでしょう。
ただ、近年の企業経営は、あまりにもサイエンス側(論理・分析)に偏りすぎていたため、アート側(直感・感性)にリバランスする必要がある、という主張なのです。

以上を前提として踏まえたうえで、本書を紹介していきましょう。

これは、2016年からハーバード・ビジネス・スクールで行われてきた、美意識の重要性を説く学際的な講義の内容を書籍化したもの。世界最高峰の経営大学院HBSでも、未来のビジネス・エリートたちが美意識の磨き方を懸命に学んでいるわけです。

“経営と美意識”を説くのに最適任の著者

著者のポーリーン・ブラウンは、エスティ・ローダー、エイボンなどの美容関連企業の上級管理職を経て、世界最大のラグジュアリーブランド・コングロマリット「LVMH モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン」の北米地域社長を務めた人物。
つまり、洗練された美意識と優れた経営手腕を、世界最高レベルで兼備することを求められてきた女性なのです。

まさに、“経営における美意識の重要性”を説くのに最適任の著者といえます。彼女が、輝かしいキャリアから得た学びを開陳したのが、この本なのです。

そして、山口周氏が本書の監訳を務めています。氏は「監訳者のことば」も寄せていますが、それは『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の的確な要約にもなっています。

未読の方は、本書と『世界のエリートは~』を併読すると、さらに理解が深まるでしょう。また、すでに同書を読んだ方なら、本書は実践編としても読めます。つまり、世界のビジネス・エリートたちが学んでいる美意識の鍛え方を、本書で知ることができるのです。

「美意識がない企業は存続できない」

本書の原題は“Aesthetic Intelligence”(Aestheticはフランス語のEsthétique――エステティックに当たる)。「美的知性」と訳せるでしょう。著者はAI(人工知能)を念頭に置いたうえで、頭文字を取って「第二のAI」と呼んでいます。

今後、AIが進歩すればするほど、人間の仕事はどんどんAIに奪われていくでしょう。最後まで置き換えられずに残るのは、美意識の領域だと言われています。
美意識は数値やデータに還元不可能であり、美意識に基づく判断は人間にしか成し得ません。だからこそ、企業がAIに作り得ない価値を生み出して生き残るためにも、経営者に美意識を磨くことが求められるのでしょう。

本書は全3部構成。第Ⅰ部では、経営になぜ美意識が必要なのかが、豊富な具体例とともに解説されていきます。

著者がいたルイ・ヴィトンのような、ファッション業界の企業に高い美意識が不可欠なのは、あたりまえです。しかし著者は、美意識はあらゆる企業にとって重要だと言います。そして、本書で訴えたいポイントとして、次の4点を挙げています。

《1 美意識を持つことはビジネスにおいて(さらにはそれを超えて)重要だ。
2 美意識は磨くことができる。誰もが美意識を持っているが、十分に発揮されていない。
3 美意識に基づいたビジョンやリーダーシップには、企業、さらにはビジネス全体を大きく変える力がある。
4 美意識の欠如は、困難に直面した時、致命傷になる可能性が高い。つまり、美意識がない企業は存続できない。》

「美意識なんて一部の業界にだけ必要なもの。うちの会社には関係ない」と考えている人にとっては、驚かされる言葉かもしれません。が、本書を読めば、著者の主張に得心がいくと思います。

美意識を磨く要諦とは?

第Ⅱ部では、いよいよ具体的な美意識の磨き方についてのレクチャーがなされます。

著者が推奨するのは、食事や住まい、普段のファッションなど、日々の暮らしそれ自体を、意識的に“美意識を磨くトレーニングの場”に変えていくことです。
というと、生活が息苦しくなってしまいそうですが、著者が言うのは、日々の暮らしを優雅に楽しく、ていねいに生きることこそが、美意識を磨く近道だということなのでしょう。

たとえば、著者は次のように提言しています。

《「食」にもっと意識を向けられるように自分を鍛えることだ。そうすれば、自分がどのように味を感じているのか、そしてそれはなぜなのかがわかり、食体験の幅がもっと広がるだろう。
 食体験に意識を集中させればさせるほど、その体験を良質なものにする、あるいは悪くする決定的な要因に気づくようになる》

食に意識を向けるトレーニングの一つとして、著者はハーバードの学生たちに、《レストランを一つ選び、そこでの食事体験について、そのレストランを全く知らない読み手がまるで実際に体験しているかのような気分になるように描写する》ことを、課題として出すのだそうです。

そして、短い第Ⅲ部では、今後ますますビジネスに美意識が重要になっていくであろうという、世界のメガトレンドを展望しています。

ブランディングを学ぶテキストにもなる

ルイ・ヴィトンという最高峰のブランドを率いてきた人だけに、著者が本書で説く美意識の磨き方は、ブランディングと深く結びついています。

ブランディングは、ファッション・ブランドなどにのみ必要なのではありません。あらゆる業種の企業に――たとえば製造業には製造業の――ブランディングがあります。もちろん、大企業のみならず、中小企業もしかりです。

本書は、企業ブランディングの要諦を学ぶテキストにもなります。そして、正しい方向に企業をブランディングしていくために不可欠なものこそ、経営者の美意識なのです。
著者は次のように言っています。

《どんな困難に直面しても、美意識の力を事業戦略や構想において活用することが、最善の解決策になり得るということだ。長い目で見れば、それが唯一の解決策だろう。
 問題の解決にあたる時に問うべきは「他社の解決策は何か」ではなく「今、自社が直面する問題について、私たちの美意識や価値観を反映した解決方法は何か」である》

この引用部分を見ると、著者の言う美意識が、じつは「パーパス」や企業理念とも重なることがわかります。その意味でも、本書はどの企業にも通ずる普遍的内容なのです。

ポーリーン・ブラウン著、山口周監訳/三笠書房/2021年12月刊
文/前原政之


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