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百合姫読切感想・考察集②「ナツコイ」

 日増しに寒さが厳しくなる10月。地球温暖化だとか酷暑だとかが叫ばれて既に久しいが、今年の夏はあっさりと引いてくれたような気がする。個人的に夏よりは冬の方が好きだ。なんといっても夏は汗をかくために不快感が増しやすい。それが今年はマスク必須の夏ときたものだから、口元に玉のような汗がひっきりなしに輝いていた。そんな閉塞した空間で流れる汗が爽やかと言える訳もなく、全く大層苦労した夏だったと思う。

 それでも、あくまで冬の方が好きというだけで、夏にも好きなところは沢山ある。夜更けの窓を開け広げた枕元に聞こえる蛙や虫たちの声。夕べの涼やかな風。大きな入道雲を見ると旅をしたくなるし、一際大きな太陽の光を浴びて流れる川の水は普段の何倍も綺麗に感じる。そして、その全ては大事な人と共に見ればさらに感動が増すに違いない。春が出逢いの季節なら、夏はその出逢いを育む絶好の季節なのだ。

 というわけで(何がというわけなのか分からないが)、今回はコミック百合姫12月号の読切、ひと夏の恋の行方を描いた、篠ヒロフミ『ナツコイ』の感想や考察を書いていきたい。例によってガバガバ感想・考察なので温かい目で見てやってください。誤字脱字もあると思いますがその辺も許してください。

※あらすじ                             浮気が原因で彼氏と別れた大学生・奈々は、勢いからマンションの隣に住むみ、同じ大学に通う雪乃に告白し、付き合うこととなった。奈々と雪乃、二人の恋の顛末やいかに…?

・偶然と勢いから始まる恋

 冒頭、失恋のやけ酒を呷る奈々。開始2ページ目で「うんちにして流してやる」(『コミック百合姫』2020年12月号、422頁)などと百合姫では余り見ないような表現に早速強い衝撃を受けること間違いなし。そこに雪乃が唐揚げのお裾分けを持ってきて、奈々が殆ど勢いで告白するわけなのだが、実はこのシーンでも運命の分岐があるように思える。後に奈々が雪乃の料理の上手さに驚くシーンから、雪乃が奈々にお裾分けをするのは今回が初めてだろうと思われるのだ(さらに言えば、奈々が雪乃のことを友人に説明するシーンでも「優しそうな人」「人文学部」「隣に住んでいる」(同書、427頁)という情報しか提示できていない=料理が上手という認識がまだない、とも言える)。そんな一回目のお裾分けの日に、まさか告白されようとは夢にも思うまいが、その結果として、従来密接な関係では無かった二人が、奈々の失恋と多少のアルコールが生んだ勢いで付き合うことになったのだから、全く偶然とは恐ろしいものである。

 ところで、このお裾分けのシーンだが、雪乃の靴が普段履き用のサンダルみたいなものになっている。後々の展開から、最初から雪乃は奈々に好意を寄せていたことが分かるのだが、きっと家を出る時も「この服装で行こうかな」とか「変に思われないかな」とか、色々考えたうえで「普段履きのサンダル」をチョイスしたのかもしれない。この作品の一つの特徴として、奈々と雪乃の服装や装飾品が場面ごとに変わって、年頃の女子大生感をしっかりと演出出来ている、という部分がある。読者からはこの二人が色々な服やアクセサリー、靴を持っていることが分かるので、その上で「普段履きのサンダル」をチョイスしたということから、(私の予想が正しければ)初めてのお裾分けに臨んだ雪乃の心情が窺い知ることが出来るのである。

・運命の出会いはいつも突然に

 さて、ひと夏の恋という言葉には、私にはひと夏の間だけの恋というイメージがあるが、奈々も試しに告白したという趣旨のセリフがあるし、この段階ではまさに「ひと夏の恋」を楽しむといった部分もあったのかもしれない。しかし付き合って2日目、奈々は雪乃の照れる姿を見て「なんかすごいぎゅーってした」(同書、432頁)程の衝撃を受ける。そしてその衝撃の理由を、相手が雪乃だからだといいな、と思う訳であるが、ここに本作の一つのテーマが見えてくる。

 本作冒頭、「世の中には星の数ほどの人がいて たくさんの人と付き合ったほうがお得だって」(同書、421頁)という言葉が、奈々が誰かから聞いた話として提示されるが、付き合い立ての奈々の「楽しみ」という感情は、一種この言葉の考え方に沿ったものだろう。しかし、「たくさんの人と付き合った」としても、現代的な倫理観の上では、誰か一人の人を愛することが求められる。この場合、例えば今付き合っている人が「いい人」だったとしても、もしかすれば次に会う人の方が「もっといい人」の可能性だってある。そんな連続性の中から一人だけの人を選ぶということに対して、人は「運命」という言葉を用いて選択という妥協を正当化してきた。だが、その妥協は決して悪いことではない。奈々が自分の感情の原因を雪乃とすることに「そうだといいな」と思ったことは、相手のことをもっと知りたいと思う動機、即ち運命を掘り下げていく原動力になるからである。本作の中盤~終盤において、奈々が「どうして雪乃ちゃんはOKしてくれたんだろう?」(同書、441頁)「雪乃ちゃんはどう思ってる?」(同書、449頁)といった感情に結びついてくるのである。この流れの中で、いつから奈々は雪乃のことを恋愛感情としての「好き」になったのか、次項で考えていきたい。

・実は意味深な「ゾンビになったら」発言?

 付き合い始めて幾日か経ち、奈々の家でハンバーグを作ってお泊りすることになった二人。ハンバーグが出来て手を取り合いながら喜ぶ二人の様子は微笑ましく、小コマながらピュアな百合を感じて大変心が満たされる。その後すぐに、雪乃の持ってきたゾンビ映画に対して、雪乃の出身地広島繋がり?のはだしのゲン風表情で応じる奈々のシーンを持ってくるあたりも緩急自在で、さらにこの後重要なシーンが来ることを考えれば素晴らしい配置という他ない。

 さて、ゾンビ映画のワンシーンを見て、「もし私がゾンビに噛まれたらどうしますか?」(同書、437頁)と奈々に問いかける雪乃。奈々はゾンビ映画に怖がり、殆ど勢い任せのような様子で答えるのだが、このシーンから奈々が雪乃に恋愛感情としての好きを既に持っていることが分かる。それは勿論、奈々が「どうせ死ぬなら最期くらい好きな人と一緒がいいじゃん‼」(同書、438頁)と言った点も一つなのだが、このセリフが何に応じたものかという部分が重要に思える。即ち、雪乃がゾンビに噛まれたら~という問いかけの状況として「死ぬのも時間の問題で、奈々さんにはトムみたいな守ってくれる頼もしい男性がいて」(同書、437頁)という条件を付けている部分である。この問いに対する答えは必然的に雪乃とトム(ひいては第三者の男性)の両名を比較した上に成り立つものになり、この問いに対する答えの「好き」は友達感情からくる「好き」ではなくなるのだ。この状況で無意識的にとはいえ、前述のような答えを出した奈々は、この時点で既に雪乃のことを恋愛感情として好きになっていたといえるのではないか。

 また、この部分をより百合姫らしく考えると、雪乃の問いはある種のカミングアウトにも思える。即ち、自分とトム、即ち女性か男性かどちらを選ぶかという問いを奈々に投げかけることによって、逆転的に自身が女の子を好きな人間であると告白しているという解釈は出来ないだろうか。ハンバーグが出来たシーンでは手を取り合って和気藹々としていたのに、このシーンではゾンビに怖がる奈々をからかいもせず、極めて真剣な表情で件の問いを投げかけた点も、決してこの問いが戯れなどでは無く、本気のものであることが窺える。作中ではお互いがお互いの「性の対象」を話していない以上、雪乃の目から奈々の告白は一種の戯れ、言い換えれば「ひと夏の恋」の可能性も十分にある。そもそも(終盤の展開で分かることだが)雪乃は好意を抱いていた奈々から告白されたことは渡りに船と言っていいはずなのに、このような質問を投げかけるということ自体が、雪乃が奈々をどう思っているかを如実に表しているだろう。このような段階で直接「自分は女の子の方が好き」とカミングアウトするのは大変難しいことであり、それ故にゾンビ映画を引き合いに出した婉曲的な質問を投げかけたのではないか、という説である。まぁ結局私のとりとめもない妄想に過ぎないんですけどね。

・火花に煌めく思い出は

 雪乃の気持ちを考え悩む奈々。サークルの友人からの指摘で、自分が雪乃との関係に本気で向き合っていることに改めて気づく。そしてクライマックスの花火へ…。という感じの終盤。前述の通り、奈々は「なんかすごいぎゅーってした」(同書、432頁)理由を「相手が女の子だから」「雪乃ちゃんだから」という2択で悩んでいた訳だが、このサークルの友人が図らずも答えを出してくれた。即ち、雪乃の気持ちを悩む奈々に対し、「なんだよ、お姉さんに話してみなー?」(同書、442頁)と頬擦りする先輩であったが、その時の奈々の反応が全てではないだろうか。仮にも女性が恋愛対象であれば、過度な密着に対して恥じらいや遠慮といった特定のアクションを取りそうなものだが、奈々は「うぐっ」と声を上げて、表情もどちらかと言えばマイナスの感情を表しているように見える。奈々視点ではこの後に雪乃への感情を知覚するわけであるが、読者視点からだと「雪乃ちゃんだから」こその感情なのだと、お泊りからこのシーンまでで理解させることで、作品を俯瞰的に見させる効果があるのではないか。端的に言えば、「その気持ちは雪乃ちゃんへの恋なんだよなぁ」とニヤニヤさせたり、「早く己の気持ちに気づかんかなぁ」とヤキモキさせたりするのだ。

 そしてクライマックスの花火。奈々の花火二刀流に対して「昔やったー!私もやる!」とはしゃぐ雪乃さん可愛い。奈々のことをさん付けで読んだり、丁寧語のセリフも多い雪乃であるが、広島弁のシーンの他にふっと砕けた言い方のセリフがあるところがいい。こういうお姉さんっていいよねを地で行くキャラだと思う。

 さて、花火が終わる前に自分の気持ちを伝えたい奈々。雪乃が「綺麗ですね」(同書、447頁)と花火を楽しむ様子を見る奈々は、所謂「花火より雪乃の方が綺麗だよ」状態になっていると思われるが、その演出も古典的ながら奈々の気持ちに最後の一押しをする一助になっており、奈々の心理描写の深堀に一役買っている。

 そして最後の線香花火のシーンがまた素晴らしい。線香花火が儚く火花を散らすその時間で、自分の感情の整理と、今日言いたかった「好き」の一言を言う決心をする奈々。そして火花が小さくなり、火の玉が落ちきる前、即ち花火の時間が終わってしまう前に、とうとう口を開きかけた時、不意に放たれる雪乃の「好きじゃけん」(同書、450頁)。この一連の流れがまぁ尊いこと尊いこと(語彙力消滅)。時間にすればきっと30秒そこそこ。その短い時間の中に、本作の描いてきた百合が凝縮していると言っても過言ではない(個人の感想です)。線香花火の柔らかく温かみのある、けれど不規則に四方八方に飛び出すその火花は、まさに雪乃そのもの、そして雪乃と過ごしてきた日々の思い出そのものではないだろうか。冒頭で奈々が言っていたような、理想の相手。柔らかで、側にいると温かく、けれど時々お茶目な雪乃という女性。奈々は彼女と過ごしてきた日々を線香花火から想起し、「好き」と伝えることを決心したのだ。

 そして雪乃の「好きじゃけん」のシーン。気づいた人も多いだろうが、雪乃の線香花火の火の玉が落ちている最中のシーンなのである。雪乃も奈々と同じように、最後の線香花火が終わってしまう前に、奈々に気持ちを伝える決心をしていたのだ。どちらの線香花火が先に落ちるかで、告白する側が決まるというなんともロマンチックな展開はまさに神様の差配次第というか、こういう展開個人的に結構好きなんですよね。ちなみにもっと言えば告白後の奈々が「ずるいずるい私も好きだよ~~~っ」(本書、453頁)の時の雪乃さんの包容力溢れる表情が大好きです

・終わりに~夏の始まりはピアスを付けて~

 告白が終わり、最後の2ページは大学の構内のシーン。講義の課題が終われば、待ちに待った二人の夏休み。雪乃の両耳につけられたピアスだが、本作を通してここまで雪乃がピアスを付けた形跡がないことから、恐らく告白後に奈々から貰ったのかなーとか、この時奈々も初出のピアスをしていることから、二人で決めて買ったのかなーとか、この辺は妄想のしどころですよね。いつもピアスをしている奈々を見て、雪乃が「私もピアス、してみようかなぁ…」とか言って、奈々が「いーじゃん!ほら、これとか似合うんじゃない?」みたいなやり取りが多分あったんですよ。多分。

 というわけで、ここまで長々と箸にも棒にも掛からぬ文を書いてきたわけですが、少しでもこの「ナツコイ」がいい作品だということが伝われば幸いです。最初は勢いから始まった恋も、二人過ごす時間を重ねていくうちに発展し、苦悩を迎え、そして最後は本当の意味で結ばれる。まさに夏という大胆と繊細さを併せ持った季節にぴったりの作品ではないでしょうか。表紙にある「育てたい、ひと夏の恋」という文句ですが、この二人はひと夏の恋で終わることなく、寧ろこのひと夏をきっかけに末永く甘い百合を見せてくれることでしょう。個人的には雪乃視点での展開も見てみたいところですが、そこは読切なので難しいのかもしれませんね(逆に2か月連続読切で、双方向の視点で物語を描くというのは面白いかもしれませんが)。

 さて、読み返してみて最初と最後で文体違くなってるじゃねぇかとかなるかもしれませんが、書き直すのも面倒なのでこのままでいいことにします。感想・批評・苦情云々残していただければ幸いです。  

        それでは、良い百合ライフを!




・蛇足 ~雪乃さん策士説~

 (以下どうでもいいことしか書いてないので別に読まなくてもいいです)

 さて、この作品、ぱっと見(というか実際)大学生二人のピュアな百合のお話なんですけど、人間不信逆張りマンこと私はどうしても邪推してしまうんですよね。

 例えば、奈々が浮気した彼氏と別れて一人部屋でやけ酒を呷るシーンですが、この時食べているのは多分唐揚げ串。奈々自身料理は余りしないと言っているし、串についているから恐らくスーパーかコンビニで購入したもの。そこに(本稿前半の考察が正しければの話で)初めて奈々にお裾分けを持っていく雪乃が、唐揚げを作っていくという偶然。作中からも元々雪乃が奈々に好意を抱いていたことが分かるシーンがありますが、その際も「油の後処理が大変だから一人暮らしだと余り作らない(大意)」と言っているように、最初は煮物とかカレーとかからお裾分けするもんじゃあないでしょうか(料理をしない者の偏見)。これは出来合いの唐揚げに対して手作りの唐揚げをぶつけることで、奈々の意識を向けようとする巧妙な作戦ではないでしょうか。夏場に揚げ物をするのも大変だしね。

 しかしこの場合、奈々が唐揚げを購入していた、ということを雪乃は何故知っていたのか?という疑問が当然浮かびます。まぁその辺はいったん置いておくことにしましょう。

 こういう思考ばかりしていくと、雪乃は奈々が怖いものが苦手ということを知った上で、ゾンビ映画をチョイスしたのではないか?花火のシーンでは奈々が告白してくることを知っていた上で、自分から告白したのではないか?最後のピアスを付けた理由はなんなのか?とか根拠の無い邪推ばかりが出てきますね。ピアスに関しては、本編通して髪だったりフキダシだったりで雪乃さんの耳を余り見せないような構成になっている所と、二人おそろいのモノではないのに、最後だけピアスを付ける描写がある所が妙に気になってはしまうんですけどね。そこまで気にしてしまうと、もしかすれば最初に奈々が「浮気男」と別れたのも、実は雪乃さんが奈々と誰かがくっつかせないように暗躍して…と、流石にこれはないでしょうが。そういう作品も百合姫は結構ありますからね。『ささやくように恋を唄う』を連載している竹嶋えく先生が2018年7月号に読切掲載した『へんあい』みたいな、そういったパターンの背景があってもおかしくはないんじゃないかなぁ、と。やっぱりこの辺は雪乃さん視点で読みたいなぁ、と再度思う所存です…。

 それでは、ここまで読む人もいないとは思いますが、ガチで長くなってきたのでそろそろ筆を置くことにします。読んでくれた方々、本当にありがとうございました。

 


 

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