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百合姫読切感想・考察集16『おふろのこ』

※ヘッダー画像は、みんなのフォトギャラリーより、via myroom様の作品を使用させて頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。

 6月末の記録的な暑さが7月も続くものかと覚悟していましたが、蓋を開けてみれば天気の悪さもあってかそこまで厳しいものにはなっていない気がする今日この頃。
 このくらいだと、汗を流すのにシャワーだけで済ますというのもなんとなく憚られるような気がして、41度くらいのお風呂を用意しては、また汗をかく日々が続いています。

 というわけで、もう9月号も出た後ですが、百合姫8月号より紬めめ先生の読切『おふろのこ』の感想なんかを書いていきたいと思います。というか私の住む地域は田舎なので、9月号の入荷は連休明けの19日になるはず。つまりまだ発売されていないのと同義だからセーフということですね()。

 あらすじ:OLの黒木ゆうこが住むアパートの一室は所謂「事故物件」。浴室で殺害されたといわれるユーレイの「ふうこ」と彼女の、少し奇妙で切ない暮らしを描いた物語。


・高い構成力とキャラクター性

 作者の紬めめ先生は、6月号に『鈍感霊感少女』を掲載してから中1号での掲載。前作のコミカルで少し意外性のあるオチから一転、ページが進むにつれて徐々に暗くなっていく雰囲気づくりや、王道ながら読み手の心にしっかりと訴えかけてくるラストシーンと、別の一面というか、引き出しの多さを見せてきたなという印象です。

 特に物語のキーになる「ふうこ」の描き方にしっかりと意図を感じました。まずはキャラデザ。垂れ目・ふんわりとしたウェーブのかかった髪型・巨乳と包容力のある優しいお姉さん、といった印象を受ける要素で、まさにお風呂の擬人化といった感じ。ゆうこから見て、ふうこの存在が大きな助けになっている、という作品の流れによく合ったデザインだと思いました。一方、幽霊ではなく「ユーレイ」という表記を用いることで、ふうこの存在を定義付けることを回避し、ふうこというキャラクターに幅を持たせ、多様な解釈を可能にしているという感じがしました。

 また、お風呂にお湯(水)を張った時だけ会える、という設定も秀逸。本来は見えない存在を、湯気の中にだけ認知できるというのは、まるで蜃気楼の如き幻のような神秘性をふうこに与えているような気がします。ゆうこからすれば、最初は「無害そうだから」という理由で同居していたものが、自身の不安や心細さを癒してくれる存在になり、最後には「一緒にいたい」という純粋な想いになるという心境の変化の中で、蛇口をひねるという動作の意味も同様に変化していくというのが面白いと感じました。

 親しみという意味では、中盤でふうこが一瞬豹変するシーンでも、コマ割りを大きくせず、淡々と流すことで必要以上に怖さを感じさせない作りになっていると感じました。また、ゆうこから見て「様子がおかしくなる」程度の出来事であり、コマを大きくしないことでゆうこが感じている衝撃の小ささを表しているとも捉えられます。あとはシチュエーション上どうしても裸のシーンが多いので、大ゴマにして裸を強調するよりも淡々と流した方が作品の持つ暗めの雰囲気に合っている、という意図もあるのかもしれませんね。

 と、色々適当に書いてきましたが、お風呂場に出現するユーレイという設定上、装身具など外見的な部分で特徴を与えられないというハンデがありながら、しっかりと「ふうこ」という1人のキャラクターを創りきっている点がまず上手さを感じる点だと思います。

・生前のふうこについて

 作中において、ふうこは「ストーカーに襲われて浴室で死んだ」ということになっています。しかし、中盤で見せた豹変ぶりや、「わたしだけのものだった」とゆうこの首を絞める想像のシーン。それが「ふうこ」の生前の本性だと考えると、むしろ「ふうこ」こそがストーカーで、この部屋に住んでいた人物をストーキングし、浴室でその人物を「わたしだけのもの」にするべく殺害を試みて、逆に首を絞められて殺害されたのではないでしょうか。そう思えば、首を絞められて亡くなったふうこが「こうしてゆうこちゃんを抱きしめるためにユーレイになったの」というセリフを言うのがなんとも印象的ですね。

 自身がストーカーに殺されたのではなく、寧ろその逆だった、ということは、ふうこも気づいていたのでしょう。ゆうこがふうこに対して「確かにいつか別れはくるかもしれない。でもそんなの生きてる人間同士だって同じだよ」と言うシーンでは、その生きてる人間同士の時に、別れを意図的に起こしてしまった、そしてまた「別れ」を自分の手で生み出してしまうかもしれない、という恐れがあったのだろうと思います。そういう意味では、ゆうこの存在だけでなく、言葉一つひとつが刺さってくるようで、ふうこの苦しみが伝わってきますね。

 度々作中でふうこが話す「おかえり」という言葉。それは生前のふうこが望んでいた「2人」の関係の形とも思えますし、死んでユーレイになったことで、真実の愛に出会えたとも言えるのかもしれません。だからこそ、自分自身でお風呂の蛇口を壊してお湯を出なくさせるというラストの選択が殊更悲しい。ゆうことの関係を自分から断ち切るという選択は、生前のストーカーとしての自分と正反対の行為であり、生前・死後に真逆の選択をして同じような苦しみを得なければならないというふうこの「運命」に涙を禁じ得ません。

 これからのふうこは、人から見えないだけで、ずっと浴槽の中で漂って「生きて」いくことになるのでしょうか。本作のラストシーン、ゆうこが涙を流してふうこに感謝の言葉を話すシーンでも、我々の目から見えていないだけで、ふうこはゆうこのことを抱きしめているのでしょうか。個人的には、ラストシーンの瞬間にふうこは成仏して、再び生を受けることになったのではないかと思っています。ゆうこに出会い、彼女の助けになり、自分でも真実の愛を知ることが出来たことこそを贖罪とするのであれば、ずっと「ユーレイ」としてこの世に止まる必要はないのではないかと思うからです。
 ふうこが作中で、人魚姫の例を出したり、ゆうこと別れた後のことを「ひとりぼっちに戻るだけ」と言っていますが、人魚姫だって泡になった後風の精霊となり、将来的に再び魂を得ると示唆されていますし、もう充分お風呂場という「牢獄」でひとりぼっちで「生きて」来たのですから、これ以上苦しむ必要もないでしょう。
 そう思えば、本作はビターエンドに見せつつも、そこまで悲観することもないのかもしれません。救いもありますし、将来的な希望もあるのですから...、まぁ、全部私の妄想なんですけどね。

・おわりに

 とにかくレベルの高い作品でした。ゆうこの職場のキャラクターを詳しく描いているのも、現実世界の住人であるゆうことユーレイであるふうことの対比に繋がっているように思えますし、ローズバスをした際にふうこが手に取った黒薔薇(赤薔薇かもしれんけどね)も花言葉的に意味深な感じがしたり...細部まで拘った作品だなぁと思います。

 表紙の2人はアパートではないお風呂に入っていますが、作中でふうこが余り好感を持たなかった泡風呂であったり、調髪用品が多く並んでいたり、ゆうこが作中で使っていないヘアバンドを使っていたり、ポジションも逆だったり、これは違う世界線の2人なのでしょうか。
 もしも2人が普通に出会っていれば、それこそ職場の同僚みたいな形であれば、こんな光景を見ることも出来たのかもしれません。どうしてこうならなかった。

 というわけで、イマイチ纏めきれませんでしたがこんなところで終わりにしたいと思います。毎回感想とかいいながら個人の妄想を垂れ流してるだけで申し訳ない。

 それでは、駄文失礼しました。


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