知ったかぶり 篇
ちゃお
前回からの続きで、今回は知ったかぶりについて書いていこうと思います。
無知の知の観点から言えば、ソクラテスに一段劣ると考えられる知ったかぶりですが、果たして知ったかぶることは悪いことなのでしょうか。
知ったかぶりという行為は日本では蛇蝎の如く嫌われていますね。一発で悪陣営になるような単語であります。
ですがネットを軽く見れば、ミイラ取りがミイラ、揚げ足取りが揚げ足ともいうべき状況の数々。
知ったかぶり同士の殺し合いといった様相を醸し出しているわけです。
嫌われる行為であるのに、見ず知らずの相手に確かでない情報を与えることの繰り返しは確かにあります。
そんなネットの大海に同じ塩水を一粒垂らしたってしょうがないので僕は知ったかぶりを肯定していこうと思います。生まれてきたカウンターの気持ち!
さて、知ったかぶりをする・されるにおいて悪い点てのは何があるでしょうか。
一つには知らないことを知っているということによって生じる優越の心が原因かもしれません。
人間誰しも負けたくない、舐められたくない、逆に舐めてかかれる相手と思っている人がいるかもしれません。赤ちゃんとか。
そんな相手に想定外に自分の知らない知識を披露された時、人は必死になりますよね。
自分が上だぞと、あるいは私は下ではないよと、取り繕えられればいいですが失敗すると悲惨です。あいつは知ったかぶりだという烙印を押されます。
さらに言えば、知ったかぶり成功によって正しくない知識を持つ人間が発生しますよね。その人たちも知ったかぶりとして扱われることになるかもしれません。
これは負のループですね。
では特にそういう状況が多い場、つまりインターネットの中で知ったかぶることには何の原因があるのでしょうか。
僕は自己の過大評価が最大の原因だと思います。
初対面の人に対して慎重に接さないことは、意味どうこうを言う以前に正気ではありません。ですがそれはリアルの話です。ネットではそうではありません。
このモラル感のなさはどこからやってきたのか。
これは多くの人がネット上では、他の人を多数のモブ・顔のない人として扱っていることに関連していると考えます。
もちろんネットという他人の顔が見えない性質故です。
つまり、いちいちコンビニでなにか買う時に店員の人生に思いを馳せる人間がおそらくいないのと同様に、相手を無意識下で尊重すべき個人ではなく環境として扱うことで、自分という存在が他の人より大きく見えることが原因だと思います。
現代の人間は、アイデンティティがどうこうとやたら自己性についての追求をしたり、海外に行ってみたり、自己啓発してみたりしますよね。そういうステレオタイプを僕は持っています。これは知ったかぶりではありません。
ここまでアイデンティティと声高に叫ばれるようになったのは、近代以降に人間の扱いが上がったからというよりも、現代の人間が自分自身を主人公と過信し過ぎているきらいがあると思うのです。
要は自分が上がったのではなく、他が下がったのではないかという話です。
ネットの怖さといえば炎上という、知らない人から悪口言われるみたいなのがありますよね。
例えば
誰かが何かをぺろぺろして、名前が出て炎上
この過程には顔の映る映像があり、名前があってそれを見た圧倒的な多数から一人に向けてメッセージが届くと。
つまり何かぺろぺろする人もある意味で主人公なわけです。
炎上商法はそういった自己性の爆発のようにも思われます。
ネットの炎上って今まで、眺めていた風景が急に襲いかかってるみたいなことのように感じませんか?
コンビニ店員が急に五万人くらい来て悪口言われたら怖いように
環境から人の集合に見え方が変わると怖いんですね。
やはり現代は、媒体が人の集合体であることを疎かにしているというか忘れています。少なくともさっきまでの僕はそうでした。
気づけてよかったー!危なかったー!!!
いいねの数だけ見て、誰がそれを押したか気にしないとか
逆に押してない人を気にしないとか
そういうふうに変わっていっていると思うのです。
だからもう知ったかぶりとか言っても、主体(自分)が大きく見える病気に罹った感染者なのですから仕方ないじゃないか…
(ここにきてこのテーマを擁護する難しさに苦しんでいます。)
話戻しまして、
自分を見つめ直して、周りを見ない。
そういう一辺倒なアイデンティティを僕は認めたくない!
生まれてきたカウンターの気持ち2
ここまで来ても知ったかぶりを完全肯定することができないこと
とっくのとうに悟っていました。
知ったかぶって適当にいった言葉が完璧にあっていたらどうでしょう。それはもはや知ったかぶりではないのではないでしょうか。
なんて詭弁も浮かびましたが、どう考えても無理だ!
おしまいだー!
本来の予定では、今の文字数の頃には
”ネットがあるから知識を持つことに意味はあるのか”等々かっこいいオチになる予定でしたが
カウンターの気持ちを二つ生み出して終わってしまいました。
でもそういう日もあるよね。
ここで安易に”人間だもの”と言わないのが僕のアイデンティティ
あざました
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