なぜ朝起きれないのか 篇
ニーハオ
今回は、身近な話題を取り上げようと思います。といっても、僕にとっての身近な、なんなら身の話です。
朝起きれない
ら抜き言葉を指摘してくるよくない人の対策として言っておきます。
朝起きられない
これは誰しもが一度は経験したことのある問題ではないでしょうか。
僕も、最近は毎朝一度経験してます。
ついでに親で言う父じゃない方に怒鳴り散らかされたりもします。人間だもの。
間抜けな題だと馬鹿にすることなかれ
人間にとって大きな問題というのは、温暖化や海洋汚染ばかりではありません。
むしろ、人生において何度も考えなきゃならんことの方が意外に大きなものではないでしょうか。
実際、オゾン層がすり減っていくのと、髪の毛がすり減っていくのでどっちが嫌ですかという話です。
現代社会では朝起きる側の人間を良いものとしていますね。
その逆が悪なのも言うまでもないことです。
あまりにも巨大な固定観念
早起きができない人間は、軽蔑され弾劾され駆逐される。
もはやこれは摂理です。
早起きは三文の徳と言います
ですが、これは本当に正しいことなのか
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない。」
アルベルト・アインシュタイン
ちなむと僕は数え年19歳
どうやら、早起きは美徳という偏見から目を覚ます時が来たようですね。
そもそも、なぜ僕は朝起きる必要があるのか。そういうところから見ていきましょう。
それは全て、世界がなんとなく朝型だからというのが今の時代においては言えるでしょう。
昔は蛍の光を当てにして勉強したかもしれませんが、今でもそんな方法で勉強してるやつは狂人です。時代。もはや親は子供の肌の色を選べる時代なのですよ。
さて、もはや大学生となった僕としましては、わざわざ早起きしないことによって生じるデメリットがだらしなく思われるなどしかありません。
そしてそれすらもNot早起き=Bad という方程式から生じる外部要因なのです。
世間一般で見てみましょう。
学校、会社、交通各種etcの大部分が朝から動き出します。しかも、やり過ぎなくらい朝早くからです。
電気のない昔ならともかく今どきとんでもなく早く始業する必要性を感じるものなんて、小学生の登下校だとか、電車だとか結構あったりするのですが、これに関しちゃ全人類夜型になれば解決する問題ではないですか。
危険な犯罪者が夜型になれば、小学生は安全を確保されます。
夜型の会社しか存在しなくなったら電車は深夜営業でしょう。
なお、漁業はどうなんとかそういう質疑、問いかけの一切は受け付けません。
しかし、こういった朝についての問題は要は時間通りに起きる能力についての問題です。
僕は昼に起きるのが得意ですが、もし昼に起きるのが当たり前の世界だったのなら、夕方に起きるのが得意な人間になっていたでしょう。
そして、それについて回る問題こそが母のブチギレです。
何かにつけて半ギレである母ではありますが、世の一般的な母というのはどんなものでしょうか。
そもそも、なぜ早起きしない人間に怒るのか。
僕は、その一つには自分がしているからという優越の心の発生があると思います。
人間は元来マウントの生き物ですよね。
誰より体が大きいとか、価値のあるものを持っているとか
そういう優個性の積み重ねこそがアイデンティティだったりするのかもしれません。
そして早起きが美徳とされているこの世の中で、早起きということに強烈な意識が向いてもなんらおかしくありません。
よその子はちゃんとしているのになぜ、みたいな方向もとい、私は早起きしているのにみたいにです。
しかし、こうは言えないでしょうか。
一人えっぐい寝坊しているやつの方が個性はあるよねと。
AIに取られないのは遅起きの方だよねと。
思い出してください。
ヒーローは遅れてやってくるんですよ。
まあ、そんなこと言っても怒られますけどね。
ありとあらゆる世界線を探ってみましたが、どうやら母には怒られるようです。もはや怒鳴られるために生まれてきたのかもしれない。
僕はこの怒鳴られループを回避するために、朝のないところに行くことにしました。
それではみなさんフィンランドでまた会いましょう。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?