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ゆるい部活の教え。

華々しい成績を収めたわけでも、辛い練習に涙したわけでもない私の部活動生活。
『熱い青春時代』と言う思い出など一つもない。
それでも私は、部活が楽しかったし好きだった。

中学の入学と同時に強制的に入部し、3年の夏に引退した。
田舎の中学校だったが、それなりに成績を残している部活もあった。
そんな部は朝練もあったし、夏休みも冬休みも毎日熱心に練習していた。

私が入った部活は、間違ってもそんな部ではない。
顧問の先生も40代の男性教員で、夏はプールに花火、冬は雪合戦。
良く言えば季節感を楽しめる部活だった。
他の部の生徒は呆れていた。

こんな部でも、『幽霊部員』は一人もいなかった。
出席率はとても良く、先輩後輩の仲も良い。
放課後になると部室に集まり、仲良くおしゃべりをして時間を過ごす。
試合に行けば、当然すぐに負ける。
現地解散で下校となれば、当時流行始めたばかりのプリクラをみんなで撮りに行く。
強い部はいつまでも試合があるからこんな事はできない。

これでは、一体どんな子供だったのかと思われるかもしれない。
だが、自分で言うのもなんだが『普通』だったと思う。
中学時代は、特別目立つ子供だではなかった。
成績も運動も『真ん中』。
生活態度も『普通』。
どんなに思い返しても『普通』。

だが一つだけ言えることがある。
こんな部活に属していた私に『忍耐力』はない。
今までの人生を振り返っても、もし身に着けるとするならばこの時だったのだろう。
むしろ中学生の部活動の目的はこれを学ぶことなのかもしれない。

だがもし一昔前のドラマのような、熱血顧問と先輩がいる部に入部していたら、とても3年間続いていたとは思えない。

しかし自分で忍耐力がないことは認めているので、これといって困ったこともない。

大人になり社会に出ると、嫌でもきちんとした生活をしなくてはならない。
だが、いくら大人でも『出来ない事は出来ない』し『やりたくない事』もある。

『誰かの期待に答えること』も『目標に向かう努力』も当然大切だ。
だがそれ故に、自分自身が潰れてしまっては意味がない。
『逃げかた』や『手の抜き方』を知らない大人は結構多い。
ギリギリまで我慢した後の代償は、途中で断念するよりも大きかったりする。

だから私は『緩く生きること』を教えてもらったと思っている。
結果ばかりじゃない。
毎日続けること、参加すること。
先輩、後輩との付き合い方。
例え周りに呆れられても、自分の気持ちに素直でいること。

もちろん全校生徒の前で表彰される同級生を羨ましいと思ったこともあった。
泣きながら練習している姿を見て、応援もしたし尊敬もした。

だがもしあの時、私自身や顧問の先生、親たちが『強くなること』『勝つこと』にこだわっていたら、私の部屋にも賞状が飾られていたかもしれない。
だが、結果と周囲を気にする今よりも窮屈な生活になっていたかもしれない。

そうは言っても、
こんな私でもやる時はやる。
結果が必要な事も沢山ある。
大人だもの。

卒業から20年以上経った今。
あの時の部員たちも受験、就職、結婚、出産、離婚…
みんなそれぞれの人生に追われている。
顧問には孫が生まれ、知らない国に海外赴任した先輩もいる。

それでも一昨年まで、先輩が経営している居酒屋で毎年飲み会があった。
何となく思いついた時に『そろそろあつまろうか?』と誰からともなく発信され、行くまで誰が来るのか、何人来るのかも分からない。
そんな緩いメンバーの飲み会。

会話も緩く、とても笑い話に出来ないような出来事が爆笑をさらっていく。
どんな飲み会でも翌日には何かしらの感情が残るものだが、この飲み会は笑い疲れしか残らない。
どんなことでも皆んなで笑って浄化してくれる。
そして次はまた来年の『誰かが気が向いた時』だから、気負うこともない。

それでも去年は、世の中の動きを見て飲み会も自粛となった。
ちゃんと大人になったな、私たち!

#部活の思い出

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