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わたしが”黒いノート”をつくる理由

そうか、そうだったのか──。
驚きと納得のあまり、先生の声が遠くなっていった。

あれはたしか、高校の英語の授業だったのだと思う。"シナスタジア"と呼ばれる人たちについて書かれた文章だった。それを読んだわたしは、なぜ自分が"黒いノート"をつくるのか、ようやく腑に落ちたのだった。

わたしが「黒いノート」をつくる理由

わたしは、ノート術についての本を書いている。
わたしがつくるのは、すべてのページを1本のボールペンで書いて、最低限の色をつけるだけの、あまり映えないノートだ。


これは、種まきノートと呼んでいる、困ったことを解決するためのノート。

一番の理由は、書くハードルを下げるため。
あれこれ道具を用意しなくても、すぐに取りかかれるというのは、多趣味でやりたいことがコロコロ変わるわたしにとって、とても大事なことだった。

でも、それだけじゃない。
黒一色でつくりあげるノートは、わたしを安心させてくれた。書いた内容が短時間でじゅわりと浸透するような、わかりやすさがあった。


もし、可愛くしたいときは、黒いまま可愛くする。


アクセントとして色を使うのは大丈夫。

最後まで解けた問題集

わたしのノートの原点は、小学校の勉強のためにつくっていたもの。これは参考書や問題集を見ながらまとめていったものだ。

だから、まずは参考書と問題集の話をしようと思う。

父は教師だった。勉強にはうるさいほうで、さまざまな参考書や問題集を買い与えてくれた。

ところが、最後まで解き切れるものと、最初の数ページで挫折してしまうものとがあったのである。単に飽きっぽい性格のせいだろうと思っていたけれど、今考えると、理由があった。

最後まで解き切れるのは、安い、とにかくシンプルなものだった。問題は黒。そこに、ごくたまに赤字でポイントが書き込まれるくらいの、簡易的なものだ。

参考書も、黒字の本文を見て、自分で読み込みながら、蛍光ペンでマーキングしていくことを好んだ。

すると、どんどん頭の中で情報が整理されていく。わたしはそれを、矢印やら四角やらの記号を使いながら、自分のノートにまとめていった。

逆に最初の数ページで挫折したのは、カラフルなものだった。
あらかじめ大切な部分が赤字や青字になっていたり、蛍光マーカーのようにハイライトがついていたり、図版がすべてカラーだったりした。

とても綺麗な本で、わかりやすくまとめられている。

それなのに、まったく頭に情報が入ってこない。結局、開くだけで気疲れしまって、進めることができなかった。

今ならわかる。それは、"わたしに見えている色"と違って、混乱し、情報過多になっていたのだ。

シナスタジアとは、なにか

シナスタジアは"共感覚"のことをいう。生まれつき、文字や音などに、特定の"感覚"を感じる性質を持った人たち。

「東」という文字を見ると自然とオレンジ色の印象を覚える、サックスの音を聴くと群青色でところどころ棘のある帯状の形のイメージが思い浮かぶ、1年の月は1月から12月までが時計回りに楕円状に並んでいるように感じる・・・これらは「共感覚」と呼ばれる現象の例です。
共感覚とは、ある情報 (文字、音、月日の概念など) を頭の中で処理しているときに、その情報が一般的な形で処理される (例:文字が文字として認識される) ことに加えて、一般的にはそれと無関係と考えられるような種類の感覚や認知処理まで引き起こされる (例:文字を見た時に色の印象を覚える) というもので、人口の数%程度の人しか持たないと考えられている認知特性 (情報処理の特性) です。
※東京大学のページより抜粋

https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/H_00038.html

感じ方は人によって違うらしい。
わたしの場合は、特定の文字(数字やアルファベットも含む)に「この文字はこれだ!」という色があるような、不思議な確信がある。

たとえば、ペンネームである"三條凛花"という名前は、こんな色の並びに感じられて、それが綺麗だからそう決めた。(#なんのはなしですか)

わたしがこの漢字の組み合わせから感じた色のイメージ

占い師をしている知人には、"花"という漢字が良くないと理由も添えて説明されて、そして概ねその通りになってしまった。占いを信じるほうではないというのもあるけれど、すすめられた漢字"華"に変えようとは思わない。

おすすめされた漢字だと、こんなイメージになってしまい、どうしても受け入れられなかった。#どうかしているとしか 

音にも色がある。
この話は、昔ブログで書いているのでリンクを載せておく。

すべての文字に色を感じる訳ではない。1つひとつの文字として見たとき、あるいは言葉として見たときに、この色で書いたら心地よいなという雰囲気である。

はじめは思い込みなのだろうかと思い、参考になるサイトをいくつか見てみた。

調べてみたところ、わたしが「これは」と思っている感覚は、共感覚の中でも「色字共感覚」というもので、割合が多いようだ。

一方、共感覚にはほかのタイプもあることを知った。それには確実に当てはまらないという確信がある。そして同時に、「そんなことあるの!?」と驚くような不思議さを覚えた。

文字に味がある。音ににおいがある。それは、わたしには決して持ち得ない感覚だと思った。だから、ほかの人から見たら、わたしもそういうふうに見えると思う。

「思い込みだ」そう言われても、違うとする証拠もないので、人にはこの感覚を言わずに生きてきた。

正直、この記事を書くのもちょっと怖いと思っている。
でも、わたしが本当に色字共感覚を持っていたとして、そのおかげで役立ったこともあれば、困ったこともあった。それを、誰か(今困っている人や、子どもがその感覚を持っているのかもと疑っている人)に伝えてみたくて、この文章を書いている。

また、たとえばAという文字があったとして、わたしはこれは林檎みたいな赤色がふさわしいと感じる。

もしこのAが、緑で書かれていたとしたら、もちろん読むことはできるけれど、一瞬、ほんの1秒にも満たないごくごく短い時間の混乱が起こる。

真っ黒な文字で埋め尽くされたノートなら、自分の思う"ふさわしい色"を点つなぎするように早く読める。そこに一部のキーワードだけハイライトがあっても大丈夫。
でも、全体に色が溢れていたら、判断にとても時間がかかってしまうのだ。

また、「真っ黒な文字」であれば、この”共感覚めいたもの”のオン・オフを切り替えることができる。自分が色をつけたい部分だけをピックアップすることが可能になる。

シナスタジア(仮定)で良かったと思うこと3つ

1.人の名前や誕生日を覚えやすい

人の名前を覚えるのが得意だ。ただし、「文字として見た名前」に限る。
わたしの中には色のイメージが強く残る。

人の誕生日を覚えるのも得意。
小学校のクラスメートの誕生日のほか、幼稚園時代の友だちの誕生日もたくさん覚えている。たとえば、直近は誕生日ラッシュだった。

11日は小学校の入学式でとなりになったMちゃんの誕生日。
12日は高校時代留学先で出会ったS。
16日も大学のときに海外で出会ったK。
20日は曾祖母。
27日はいっしょにバレエを習っていたMちゃん。
29日は小・中学の同級生K。

色が見え(というと語弊があるかも、この色が似合うみたいな感じ)ますか?
わたしが色をつけるなら、こう。6は金色、10は銀色です。

夫の携帯番号も打てるし、クレジットカードの16桁の番号も、いつも何も見ずに打ち込むことができている。数字自体は好きではない、超文系なので、数字関連の暗記に挑戦してみたことはない。

2.速読が超得意(ただし、黒or白文字に限る)

本を読むスピードには自信がある。

上で書いたように、文字の一部が色つきで浮び上がってくるようなイメージだ。とくに「これは大事だ」と思うキーワードを設定したときに効果を発揮する。黒字の文字の中から、キーワードをピックアップすることで、どんどん読み進めることができる。


黒字なら、共感覚のオンオフができる。一部の、特に印象に残りやすい文字だけ色を見るイメージで読んでいくので、速く、記憶に残りやすい。

漫画も含めるが、過去には仕事をしながら1年で600冊以上の本を読んでいた時期もあった。

学校のテストも、問題文や課題の文章が早く頭に入ってくるので、意味を理解するのは速い。

※ただし、速く読めるというだけなので、暗記していない問題はもちろん解けないし、数学は、壊滅的。英単語はカラフルになってしまうので覚えづらい……。

3.アイディアが湧き出す

これは創作に限った話ではあるけれど、アイディアを出すのがかんたんだった。

小説を書こうと思い、そのキャラクターの名前を決める。
すると、その色味からどんどんアイディアが湧いてきて、キャラクターの性格や好みにつながっていく。

シナスタジア(仮定)で困ったこと

もしわたしが、本当に色字共感覚だとして、困ったことは”情報過多による混乱”だと思う。

最初に挙げた、参考書問題もそうだ。
おとなになってから、とある資格を取ろうと思って参考書を買った。まったく頭に入ってこない。シンプルなつくりのテキストが見つからず、結局、1文ずつ読んで、ノートにまとめていくしかなかった。

そして、日常生活でも、色に押し流されそうな感覚を覚える。
これについては、わたしが持っている”ほかの感覚”にも大きく関連してくるので、いつか書けたらと思っている。


もし、あなた自身が「共感覚かも?」と思ったとして、わたしは、あなたの中にあるきらめきを掬い取っていくのがいいと考えている。

本当に共感覚なのかを調べるのではなく(調べてもいいけれど)、仮にそうじゃなかったとしても、そこには素敵な効果があるかもしれない。そこを伸ばしていったら、きっと生きやすくなるし、人とは違った方向性で、自分の能力を伸ばすこともできるのではと思っている。



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三條 凛花 │  "時間が貯まる"ノート本著者
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡