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【使命を抱いて生きていく】 │ ヤンデレ猫ちゃんの使命 エピローグ Day49

「いってきまーす……うわ、寒っ」

玄関の扉を開けた娘が、振り返って顔をしかめた。
ダウンにマフラーを着込み、手ぶくろにカイロと完全防備をしても、早朝の徒歩通学は寒いらしい。


▼このお話は『ヤンデレ猫ちゃんの使命』最終話です。過去のお話は目次からどうぞ。なお、物語はここで終わりますが、100日目にこの日を振り返る最後の"あとがき"を2/1に出す予定です。





秋明菊のシードヘッド


ひらひらと手を振って娘を送り出す。
5分ほど玄関を片づけたあと、ゴミ袋を持って玄関を出た。

フカが亡くなるすこし前にはじめた朝1時間のデジタルデトックスは、今もまだ続いていた。


「さむ……」

── 吐く息が白い。
部屋着にカーディガン一枚を羽織っただけのわたしはひどく無防備だった。
全身を突き刺すように寒さが襲ってくる。


庭にあった白い秋明菊に目が留まる。

いつのまにか綿毛になり、今は花びらも落ちて丸坊主のシードヘッドになっていた。

砂利の隙間にはたくさんの赤い落ち葉が挟まっている。

先週きれいにしたつもりなのに、またどっさりと落ちている。
拾うのが大変そうだ。

青々と茂っていたアオダモの木も、いまはすべての葉が落ちてどこか寒々しい。


わたしが立ち止まってもがいていた間にも、時間は確実に流れていたのだ。
胸の奥がきゅうと掴まれるような痛みを覚えた。




時は数日前に、遡る。



 しちしち、しじゅうく

「12月11日が四十九日です。忌明けとなります」

ポストにそんなハガキが届いたのは、冒頭の出来事の3日ほど前だっただろうか。
火葬をお願いした業者さんからだった。


四十九日。
ハガキを受け取るまで、ぜんぜん気づいていなかった。

フカとの別れも供養も、線香をしまい込んだあの日に終わったつもりでいたけれど、どこかぼんやりとした不調を抱えて過ごしてきた。


これを書いている今日は、12月11日。
ちょうど、”四十九日”を迎えた。



「しちご さんじゅうご、
しちろく しじゅうに、
しちしち……しじゅうく?」

小学2年生の娘が、音読の宿題で九九を諳んじている。


「合ってる? 七の段、むずかしい」

それを聞いてはじめて「そうか、四十九日って、1週間が7回来た日なんだ」と気がついた。



祖父母が亡くなった子どものころから、ずっと疑問だったけれど、調べたことはなかった。

仏教では、亡くなった人が”あの世”に行く途中、7日ごとに行いの審判を受け、49日目で最終的な行き先が決まるとされている。

ここまでが喪に服すということのようだ。



「それで? 結局四十九日ってなにするん?」

夫が髪の毛をセットする横で、洗濯ものを振りさばきながら四十九日についてはなした。

「……さあ」

わたしは首をかしげた。

「ネットで見た感じだと、お経をあげてもらうとか、位牌をつくるとかがあるみたい。でも、うちの場合は、……いらんよね」

夫は意外そうにぴくりと片眉を上げた。


線香の供養をしていたからだろう。
夫はずっと、わたしが霊的な概念に洗脳されていると怪しんでいた。


結局、フカの幽霊を見ることは、かなわなかった。

だから、わたしは霊を100%は、信じないまま。
これからもきっと、読みものとしてのオカルトを楽しんでいくのだろう。


──供養は、フカのためでもあったけど、何よりも自分のこころのためにしたことだ。

線香はもう出していない。
お守り代わりの睡眠改善薬も、あれから一度も飲んでいない。



フカの骨は、いまも寝室にある。

家族がみんなが、フカひとりを地面の下に埋めてしまうことを拒絶した。

フカといっしょに入れるお墓を、老後に買う。
それまでは家でいっしょにいる。そういう方向に傾いている気がする。
正しい在り方ではないかもしれないけれど、お墓は今すぐには買えない。


火葬したときは、すぐに庭をきれいにしてお墓をつくると思っていた。

けれども、庭をつくってもらった業者さんに電話をしたら、年明けまでスケジュールが空いていないという。
そこでなんとなく「もういいか」となったような気がする。


こういうものは、なんでもタイミングがあるなあと思った。

ピンク色の光沢のある布に包まれた骨壺は、一時的に置いておくつもりだけだったから、フカの名前も写真も入れておらず、空欄のままになっている。

長く置いておくなら、きちんとしなければ。



四十九日に他にできそうなことが思いつかなかったわたしは、これまでちまちまと書き進めてきた、フカとの決別のエピソードを、1つだけ、世界に送り出すことに決めた。

ハガキをもらった日、50回目の推敲を終えて、すぐにセトさんに連絡をした。


12月11日じゅうに出したいから、当日の22時までに追加した部分を確認してほしいという内容だ。

以前、感想をもらっていて、それに沿って自分なりに足し引きをしていた。


「すぐに読んじゃおう!」

セトさんからはそう返信があった。

期限まであと2、3日あったのだけれど、タイミングが合ったようで、本当にすぐに戻してもらえたのだった。


確認してもらったあとも、さらに50回くらい見直した。セトさんに見てもらったあとも、エピソードを足してしまった。




ブルーライトの海に、言葉の舟を流す


──そして、12月11日の朝。


ゴミ捨て場から戻ったわたしは、先にメイクをはじめた。

強い気持ちでいたかったから、暗い小豆色のリキッドアイライナーで、目尻をいつもより少し上向きに、跳ね上げるようなラインを描いた。
猫の目みたいに。


リップはこっくりと深い赤。

そうして、深呼吸をして、恐る恐る公開ボタンを押したのだった。


ここまで何度も書き直して、緊張して投稿するのは、10年前にブログを開設したとき以来だなと思った。

あのころのフカは、子猫というには大きく、けれども大人でもない、すらりとした、毛が短い猫だった。ソマリでありながら、アビシニアンのような見た目をしていたっけ。


今と違うのは、今よりも楽しい未来だけを想像しながら、書きはじめたということだ。
ブログの毎日更新を続けて、あと数週間で10年になる。


この10年のあいだに家族が増え、作家と名乗れるようになり、遠い地へ引っ越した。

フカだけが、わたしの人生から切り取られてしまった。

思い返すと、心まですごく遠いところまで来てしまったような感覚があった。



この49日間の間に、変わったことも、変わらなかったことも、いろいろある。


たとえば朝ごはん。

フカが亡くなる前のわたしは、朝からがっつり食べるのが好きだった。

実家では、朝から焼き鮭や筋子、漬け物、白ごはん、焼き海苔、前日の残りの副菜に味噌汁と、定食のような朝ごはんが並んでいた。
だから、無意識のうちにそうあるべきだと思っていた。  


ところが、家族の中で朝食をしっかり食べるのはわたしだけ。

作ったところで誰も食べてくれないので、家族の分をきちんとつくるのを去年やめた。
それぞれが食べたいものを、食べられる分だけ取ってもらうセルフ方式に近い。

それでも、わたしは毎朝、わざわざ1人分だけ料理していた。

実家の定食みたいな朝ごはんは無理だったけど、その日の気分と持ち時間に合わせて、ごはんと一品のおかずをつくる。

たとえばお餅入りの和風オムレツ、マヨネーズをかけただし巻きたまご、シンプルな目玉焼き丼、わさびをほんのり効かせた湯葉丼、ぽかぽか温まるキムチ豆乳スープなど。


でも、フカといっしょに食欲も行方不明になった。
朝ごはんはアロエヨーグルトだけになった。

脂肪は5kgほど持っていかれた。



今朝は節目になる日だから、その、変わらなかった習慣を元に戻そうと思った。
久しぶりに朝からキッチンに立った。

きのこをごま油で焼く。じゅわっと汗をかいてきたら、昨夜仕込んでおいた昆布の水出汁を注ぐ。最近、朝寒いから、生姜も入れちゃおう。
豆腐を崩して入れて、鶏がらスープの素と白だしで味つけする。最後に三つ葉を入れて、軽く火を通してできあがり。

やさしい味の、豆腐ときのこと、三つ葉のスープ。

熱々だから、食べるのに時間がかかった。気づくとアラームが鳴っていて贈れるかと思った。
そうか、朝食って、時間がかかるんだなと思い出した。


再構築されたあとの、再構築


フカが亡くなってから1週間の間、わたしは自分がばらばらになって再構築されたような感覚になっていた。

死を理解していない息子以外は、みんな、人格が変わっていた。


わたしはガミガミ怒鳴ったり、イライラしなくなった。
ただ水の底に沈んでいるように凪いでいた。


夫は嫌味を言わなくなった。
普段なにもしてくれないのに、妙に気を遣っている感じがあった。


外でがんばっている分、家で爆発しがちな娘は癇癪を起こさなかった。
わたしの怒りポイントである先延ばしもせず、帰ってすぐに宿題をやっていた。



けれども今、みんな元通りだ。

わたしは今日も、出かける5分前でもまだパジャマのままでいた息子に、雷を落とした。
聞こえにくくなっていた耳も、いつの間にかクリアになっていて、YouTuberの実況がギンギンと耳に痛い。

夫は「家が汚いのにカフェに行くな」とチクチク言ってきた。
そして、バロが体調をくずしたのをきっかけに、バロとソファでねむるようになった。

娘は宿題よりYouTubeやゲームを優先する生活に戻った。
イライラしたわたしに怒られると、足を踏み鳴らして癇癪を起こした。


わたしたちそれぞれ、ここは、戻らなくてもよかったのではないかと思う。
お互いのこころの中に30%の遠慮があれば、うまくいくことを知ったのに。あっという間にみんな、元通りだ。

でも、わたしが苛立たないだけでも変わるかもしれない。むずかしいことだけど、定期的に自分で書いたこの物語を読み、泣いて、"いま"の大切さを噛み締めようと思っている。

100%心を傾けて、子どもたちと向き合う日を、1日に10分つくるのを目指してみる。


白鷺のくつ下


カフェで仕事をする習慣は戻ってきた。
いや、正確に言うと、きょう、久しぶりに戻した。


フカが亡くなる前からだから、もう2ヵ月以上やめていた習慣だ。
子どもを送ったらまっすぐ帰って、書斎で仕事をすることが増えていた。

もう冬休みは目前。
貴重なひとりの時間は、あとほんの数時間しか取れないのだろう。



久しぶりに2階にあるそのカフェに向かったわたしは、窓際の席を選んだ。

眼下に広がる池を眺めた。
そのふちをぐるりと囲むように植えられた桜の木も、すっかり丸裸になっている。その枝にたくさんの白鷺しらさぎがとまっていた。

白鷺といっても種類がある。
あれはコサギだ。身体が小さくて、黒いくちばしと、黄色のくつ下を履いたような細い足が特徴。

ああ、よく見かけるけれど、ここに、巣があったのかと知った。


ふと耳たぶを触って違和感に気がつく。

── あ、イヤリング、忘れた。

パソコンケースの中にはいつも持参している3冊のノートもなければ、ペンもなかった。

外に出なくなりすぎて、なんだか出かけるのが下手になったみたいだ。


カフェでハンドメイドのイヤリングが売られていたので、買ってみる。
その場でつける。

しゃらしゃらと揺れる音で、もとの自分が帰ってきたようで、しっくりと来た。

フカは家でもイヤリングをつけっぱなしにしていると、揺れるキラキラに目を奪われて、猫パンチしてきたっけ。


家族それぞれの、時の流れ


娘は、フカが亡くなった翌週から新しい習い事をはじめた。

姉弟それぞれが違う習い事をしているので、平日5日間、毎日送迎に追われることになってしまった。
毎日わたしのほうがぐったりしている。

でも、ひとりでバスに乗ったり、電車に乗ったり、歩いたりする時間に救われたのもまた事実だ。

今までは学校から持ち帰った自由帳にもフカの絵があった。最近は見ていない。


息子は少し背が伸びた。

フカが亡くなったころは、折り紙のステッキ作りに凝っていたけれど、ここ最近は紙ひこうきに夢中だ。紙ひこうきの先に剣を取りつけて攻撃性を高めたり、巨大な紙ひこうきをつくったりもしている。

息子は前よりもべったりバロといっしょにいるようになった。

ソファや床、そして、捨てようと思って1階に下ろしてきたキッズテントの中でふたりで過ごしていたりもする。バロが寝ているのを見つけて触っているうちに、寝落ちしてしまったこともあった。



絵の講座は受講期間が終わってしまった。

すっかり燃え尽きたわたしは、しばらく何をしていいかわからなくて、ハンドメイドに凝りだしたり、家族全員でカラオケにハマって週に3回行くなどした。

観られなくなっていたドラマも再開した。
もう漫画も読める。Web小説も、明るくほんわかしたnoteも。
トムとジェリーも楽しめるように戻った。


『みんな役目を持っている』



「アンパンマンは、赤ちゃんのだからみなーい」

5歳になってからそう言っていた息子だけれど、プライムビデオで観たことのないアンパンマン映画を見つけたのをきっかけに、ブームが再燃している。

8歳の娘は「ちろぴのにして」と怒っていたものの、弟が譲らないので、映画の考察や分析をたのしんでいるようだ。
年齢を重ねることで見え方が変わったりするよね、と、微笑ましく眺めていたら「ほらねー!わかってた、わかってたよ。食パンマンとカレーパンふたりで攻撃したら負けるって」と得意げに言っていた。


数日前、息子はアンパンマンの『夢猫の国のニャニイ』という映画を観ていた。
2歳くらいのときに何度も観たのを覚えていないらしい。新鮮そうだった。


アンパンマンシリーズのなかでも特に子どもたちに人気だった作品で、ストーリーを隅から隅まで知っているわたしは、洗いものをしながらたまに流し見していた。


前はただぼんやりと聞いていたロールパンナちゃんの言葉が、胸にずしりと、重みを持ってのしかかってきた。


この世に生まれてくるものは、みんな何かを役目を持っている。
何をするために生まれてきたかということだ。
私はまだ自分の役目が分からない。

ロールパンナちゃんの台詞


フカが亡くなったあとの数日、わたしはずっと考えていた。

フカはなぜ生まれたのだろう。
わたしも、なぜ生きているのだろう。


そういう哲学的なことを考えたことは、はじめてだった。
 
命がある。
呼吸をしている。

だから、何も考えずにただ生きているだけだった。



それからしばらく、ロールパンナちゃんの言葉の意味を考えていた。そして思ったのだ。

「役目」──わたしの言葉にすると、"使命"というのが近い気がした。
使命がわかるのは、後からなのではないか、と。


わたしには、フカが何をするために生まれてきたのかわからない。

でも、結果的に、フカはわたしに惜しみない愛情を注いで、幸せにしてくれた。

わたしにとっては、フカはわたしをひたすらに甘やかし、生きていていいんだと思わせてくれた温かい存在だ。


もちろん、家族だってそうしてくれているわけなのだけれど、人間同士の親愛というのは、どうしても1%以上の不純物が混ざってしまう。

たとえば「やってくれて当然」というような気持ち。
見栄や見栄えを気にする気持ち。
嫉妬や不安もそうだ。


フカは猫だから、純度の高いフラットな愛情でわたしを満たしてくれたと思う。

(夫に嫉妬してベッドから追い出すなどはしていたけれど)

フカは、わたしがどんな見た目でどんな状態でも、何も持たなくても、きっとはじめから同じようにそばにいてくれた。


たまに思うのだ。
夫は垢抜けないわたしも知っているから、内面で選んでくれたのだとは思う。

でも、もっと前の、たとえばいじめにあっていた時代に出会っていても、わたしたちは恋に落ちたのだろうか、と。

夫の性格を考えたら、もしわたしと仲がよくて非がないと思ったら庇ってくれるだろう。
でも、そもそも仲良くなれただろうか。

フカは、猫だから、わたしが周りに変なあだ名をつけられていても、先生にヒステリックに怒鳴りつけられていても、きっと気にしない。

それが、自分が存在していていいんだという、肯定の気持ちをつくってくれた。フカのそばでは、ありのままの100%の自分で過ごすことができた。

だから、フカの使命は、愛だとおもう。
愛し愛されるために生まれてきたのだと、言いたい。


「使命」はきっと、たくさんあってもいいと思う。

わたしが自分で思うわたしの「使命」は、家族を支えることや、子どもたちに学べる環境を用意すること。猫たちが健康で穏やかに過ごせる環境にすること。

家事ブログを書いていく過程で、わたしに出会ったことで「家事が少し好きになれた」「生活が変わった」と言ってくれる読者さんもちらほらいて。

それももしかしたら、わたしの使命だったのかもしれない、そうだったらいいなと思っている。


腕の内側、薄い傷


自分で決める「使命」もあっていいはずだ。

今朝、メイクをしていて、ふと腕の内側を見た。


長く細い、白い線がぴーっと走っていた。
これは、フカにつけられた傷だ。

間違って深く引っ掻いてしまったフカは、痛がるわたしに、何度も頭をこすりつけていた。
それはごめん、と言っていたみたいで。


前は消えないこの傷がいやだった。
けれども今これは、フカがいた証の一つになっている。


初七日までの1週間で、わたしはフカのいない生活を立て直すことができた。
それから、家族や友だちと過ごしていく中で、少しずつ心も回復していき、涙が出なくなってきた。


そうしたら急に、怖くなった。

フカの記憶がどんどん薄れていた。
死を受け入れたわたしは、そもそもフカがはじめから存在しなかったかのように、ふわっとした記憶しか引き出せなくなっていたのだ。

フカの不透明度は、気がついたら3%近くまで、薄くなっていた。



フカは、本当にいたのだろうか。

写真に写っている。
記憶もある。

でも、もう実感することができない。

そこには、これまでとはまた違った苦しさがあった。




回復したあとも、時おり、苦しさはわたしのもとを訪れた。

──仕事をしなくちゃいけない。
そう思うのに、抜け殻のようになって、ただ書斎でぼんやり座っていた日もあった。

とりあえず整理をしようと棚を開ける。
7年前に出版した著書が出てきた。


表紙には、フカの姿。
ほかの著書にもフカの写真やイラストがある。

この本が、誰かの家の本棚にあったら。
それは、フカが確かに存在した証拠だといえるのではないだろうか。


使命を抱えて、生きていく


『凛花さんは、フカちゃんのエッセイを書くことでどうなりたいですか?』

はじめて顔を合わせた日、パーソナル編集者のセトさんが訊いた。
緊張してがちがちに固まっていたけれど、この質問には、内省を重ねた結果すぐに答えが出た。

「わたし、……はじめはnoteの記事で連載するだけでいいと思ってたんです。自分にとっては癒やしになって、似た状況の誰かにとっては、気づきや助けになるものが書けたらって。
でも、変わってきました」

『どんなふうに?』

「フカの話を、本にしたいんです」


わたしはセトさんに、だれかの本棚に、フカの写真がひっそり眠っていてほしいというはなしをした。

本にしたい理由は、それだけじゃない。


フカが亡くなった夜、絶望のなかで、わたしは自分と同じトーンの物語を求めていた。
noteで読んだペットロスのはなしもどれも心に響いた。ひたすら泣くことで回復が早まった気もする。


そして、ペットロスと検索して、予測変換に出てきた「ペットロス 後追い」というキーワード。
わたしは怖くてタップできなかったけれど、それをもし、興味本位じゃなくって、絶望してタップした人がいたとき。

この物語が、検索結果の最初に出てきたらいいなと思った。
わたしの経験がすこしでも役立てばいい、と。


だから、フカが生きていたころに書いた1話を、大幅に加筆修正した。

そして最後にはこう付け加えた。

もしあなたが眠れなくて、思考がどんどん苦しいほうにいっているのなら、ぜひ、わたしとフカと、そして家族の物語に付き合ってほしい。

暇つぶし感覚でいい。
10万字ある。書籍1冊分のボリュームだ。

だから、読んでいるうちに間違いなくねむれると思う。



そして願わくば、わたしが試行錯誤して気持ちを立て直した方法のなかに、あなたのこころに触れるものが一つでもありますように。

https://note.com/rincasanjo/n/n0de362f74b46#b113c16f-e570-4104-9cdb-3760dce8555d


でも、それを「本」というかたちにしたいと思ったのは、また違う理由だ。
かつてのわたしのような"まだ大切な存在と暮らしている人"に届けたいからだ。

大切な家族といっしょに過ごしている人は、「ペットロス 後追い」と検索することはないだろう。

でも、書店なら。
立ち並ぶ本の中からもし手に取ってもらえたら──。


はじめての喪失が、自分の大切な存在だった経験は、わたしのこころを打ち砕いた。
生きているあいだにできなかったことばかりにも目が向き、後悔した。


でも、まだ間に合うときにこれを読んでもらえたら、変えられるかもしれない。
100%こころを傾けて相手と過ごす時間が増えたらいいなと思った。声も匂いも、表情もしぐさも。時が経つにつれて、どんどん淡くなっている。

たくさんの記録──とくに動画を撮ることで、後悔を減らすことができるかもしれない。


そして、わたしに重ねて物語を追体験することで、いざ"そのとき"を迎えたとき、記憶の欠片から癒しの手法を引き出して、動けるかもしれない。


フカが確かに存在したことを証明するために。
「ペットロス 後追い」と検索した人が少しでも前を向けるように。
今この瞬間を大事にすることで、だれかの、家族を亡くしてからの後悔を1%でも減らすために。

わたしは、この物語を世に出すことを自分の”使命”にしたい。

フカが亡くなってから50日近い日々、猫とわたしと家族に本気で向き合って、そうおもった。

それは、これまでほかの本を出してきたときのわくわくした気持ちとはまったく異なる感情だった。
静かで、重い。







ここまで書いたところで、まぶたが重くなってきた。


まだ、日付は変わっていない。
ここしばらく、睡魔は真夜中あるいは明け方にしかやってこなかったのに。


ひとりきりになった広い寝室で、ずっと電気をつけたまま眠っていた。


ふらふら立ち上がり、わたしは電気を消した。

明日が来ることが、今はもう、怖くはなかった。








『ヤンデレ猫ちゃんの使命』  完 

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三條 凛花 │  作家
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡

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