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3,566日間続けた”毎日更新”を、今年の大晦日で終える理由

はじまりは、大晦日の夜だった。

あらかじめ書いてあった文章を、何度も何度も読み直した。
ひどい動悸と目眩がした。

呼吸は浅く、紅白の好きな歌手の出番も忘れ、ガキ使を見て笑う夫の横で、わたしはパソコンに向かっていた。


年が明けた。
きゅっと目を瞑り、公開ボタンを押した。

「投稿、できたのかな……」

実感はなかったけれど、こうしてわたしははじめての記事を世界に送り出した。
人生最大の挑戦で、こころを、暮らしを、生き方を変える、大きな分岐点だった。


ブログの名前は「365日のとっておき家事」。
1年で365個の、ちょっとだけ特別な家事に取り組もうとはじめたものだ。

特別というとむずかしそうに聞こえるかもしれない。
でも、実際には”家のこと”だったら何でもよくて。

たとえば
「いつもと違う料理家さんのレシピを試す」
でもいいし、

「”ロールケーキの日”にロールケーキを買ってきて食べる」
だって大丈夫。

「The家事」じゃなくても、家ですること、家にまつわること、家族に関連することなら、なんだって大丈夫。

1年で365個だから、先取りや後追いもOK。そんなゆるいルールではじめた。

ただし、2つの覚悟を決めて、書きはじめた。

▼わたしの経歴はこちら。



書くための覚悟、ひとつめ

上司のパワハラがきっかけで、わたしはそれまで諦めかけていた「本を出してみたい」という夢を再燃させた。

いまの自分に書けるのは、汚部屋を自力で片づけ、整理収納アドバイザーの資格を取り、少しずつ家事を立て直しているという経験だけ。
そして、それこそが自分の書きたいものでもあった。

読んだら、日々の家事を少し進められるようなお役立ち記事。家事の話をできる人が周りにいなくて、情報もなくて……。

「一年経っても、ライターの仕事も、書籍化の話も来なかったら、やめてブログは消そう」

そういう覚悟ではじめた。


──1年後の大晦日。
毎日欠かさず更新できた。でも、結局、仕事の依頼は一切ないままだった。

消さなくちゃ。



でも、わたしはどうしてもブログを消すことができなかった。

毎日がんばってきた記録を消してしまうのがこわかった。また”空っぽ”に戻ってしまうような気がして。

それだけじゃない。
たった1年の間で、たくさんの出会いがあった。ブログを通してさまざまな場所に住む、さまざまな価値観の人と話すことができた。
それを断ち切るのがもったいないと思ったからだ。

「せめて、あと1年だけ……」

それはすがるような思いだった。


1月10日。
辞めると決めていた期限のわずか10日後、コラム連載の依頼をいただいた。

さらに1ヵ月後、書籍化が決まった。

もし、あのときブログを消してしまっていたら…そう考えると、ぞっとする。


それからさまざまなお仕事の機会をいただいた。
国内外で6冊の本を書店に並べてもらうことができた。手帳やカレンダーの監修、イラストの仕事ももらった。雑誌に載せてもらったり、テレビに出演したりもした。

私生活ではほぼワンオペで2人の子どもを育てていたのだけれど、そんな中で、泣き言を漏らしながらも、なんとか一日も欠かさず更新を続けられている。


書くための覚悟、ふたつめ

わたしには、ブログをはじめるときに決めたことが、もう一つあった。

「本を出しても、ブログの毎日更新を続けること」


そもそも、わたしが”ブログ”という場を選んだのには理由がある。

わたしは、汚部屋出身だった。
足の踏み場もない部屋でなにからはじめていいかわからなかったとき、たくさんの人が書く、暮らしのブログに救われていたからだ。

自分でも、だれかにそういうものを届けられたら素敵だと思った。


同じブログを長期間読むことはできなかった。

素敵なブログを書く人はどんどん書籍化していく。
そうして、毎日楽しみにしていたブログの更新通知が、新刊やセミナーのお知らせだけになっていくことがほとんどだった。

すっかりファンになっていたその人の暮らしを垣間見られなくなったことも、好きだった文章を読めなくなってしまうことも、寂しかった。

(今ならわかる。本当に大変だったんだ、と。でも読者目線のこころも捨てきれないので、宣伝をするときにはある仕組みを取り入れている。知りたい人は、ブログのコラム更新お知らせ記事を読んでみてほしい)


仕方がないので、好きな人の更新がなくなるたびに、ブログ村のランキングを上から下までチェックして、新しいブログを発掘する。
そういうふうにして数年過ごしていたのだった。

(ちなみに、読み専だった当時からずっと大好きなブロガーさんで、今でも”ほぼ毎日”更新されているcoyukiさんを紹介しておく。写真も文章も、価値観もそのセンスのすべてに憧れている)

そんなわけで、娘を産んだ日も、帝王切開後の痛みに苦しみながらも更新した。熱があっても書いた。
もちろん、本を出したあとも毎日書いた。

でも、子育てをするうえで、当日中の更新に限界を感じた。
もともと「先取りも後追いもOK」というルールのとっておき家事だったので、どんどん予約投稿を重ねていくようになった。


子どもたちが幼稚園に入園した。
6年ぶりに一人の時間を持てたものの、長期休暇になると子どもたちが夜遅くまで起きていて、パソコンに向かえず、どんどんブログのストックがなくなっていく。

仕事をする時間も取れない。
睡眠時間を削りながらなんとか乗り切ったけれど、次の長期休暇から、わたしは方針を変えた。

長期休暇になる前に、すべてを終わらせることだ。

平日の午前中3時間を使って、とっておき家事も、ブログも、どんどん先取りで書いていく。
一日あたり3~4記事程度。残りの時間でコラムなどほかの仕事を進める。

定期的な連載の仕事以外は、単発でぽん、と入ってくるので、それに備えて午後は空けておいた。

とくになにもなければ、物撮りをしたり、ブログをさらに先取りしたりして進めた。

毎日更新を、一生続けるつもりだったけど。

これを書いている今日で、ブログの連続更新は 3,566 日目になった。
つまり、3,566個もの”小さな家事”と向き合ってきたことになる。

わたしは、ほんの少し前まで、毎日更新を一生続けるつもりでいた。そこにほんの一滴も迷いはなかった。

それをやめようと思ったのは、いろいろなことが重なったから。


まず、悲しいできごとがあった。自分の力不足を痛感することだった。
読まれない文章を書いてしまうせいだ、仕方のないことだとわかっていたけれど、自分なりになんとかならないかと努力を重ねてきたことだったので、喪失感がすごかった。

そんなとき、X(Twitter)のおすすめ欄に流れてきたものをなにげなく見て、刺された。

それは一つの記事だったわけではなく、続けて読んでみたいくつもの記事だった。

わたしに向けて書かれたものではない。
だから、書いた相手に落ち度はない。

たまたま落ち込んでいたわたしに刺さってしまっただけ。


異変は数日後に起こった。
頭の中で、記事内にあった文字がぐわんぐわんと揺れるように何度も浮かんでくる。

そしてわたしは、ブログを書いている時間を、時給換算してみた。

たったの40円だった。

8年前とくらべると、100分の1にまで減っていた。

要因はたくさんある。

  • わたしの知名度の低さ

  • わたしの活躍の少なさ

  • 読者さんのライフスタイルが変わったこと。

  • YouTubeやInstagramなど他のサービスのほうが使われていること。

  • お知らせをしたくても、Twitter(X)の仕様が変わってリンクを貼れないこと(ペナルティがあるらしく?貼ったところでほぼ表示されない)

  • ブログ側のシステム変更で人の目に触れる機会がなくなった

ランキングは長年ほぼ変わらないのに(※上位ではない)、PVだけが驚くほど下がっていた。

もともとブログは利益のためにやっているものではなかったから、これまでは「まあ、別にお金にならなくたっていいか」「続けることが大事」と思っていた。


わたしがなぜブログを書いていたのか

ブログは「家事のことを誰にも相談できず悩んでいた新婚当時の自分のような人」に向けて書いたもの。

新婚当時のわたしは、時間もお金も知識もなくて苦しかった。

情報を届けることを優先したくて、表示される広告の量は、選べるなかで一番少ないものにしてきた(最低限の広告設定にしても、年々広告量が多くなってしまい、読みづらさを感じる)。

でも、たまたま目についた記事をきっかけに、1ヵ月で15時間もかけて書いたブログの価値がワンコインにも満たないことを知った。

(単純計算だから、実際にはもっともっと時間がかかってると思う。一応アフィリエイトも参加してみているけれど、やっぱり利益のためじゃなかったので3桁程度)

10年近く前からの読者さんが、今でも何人もコメントをくれるから気づかなかったけれど、よく見てみると、PVのほとんどが調べもののために検索してたどりついたもので、日々更新している記事を読んでくれている人は、1割にも満たない。

また、頭の中に文字が浮かんだ。

「クリックすらされない文章」と。

こんなに長い時間をかけて、だれのために書いているんだろう?

と、感情が地の底まで落ちていくような気分になった。

時給40円と書いたけれど、書くだけじゃなくて、写真を撮ったり、そのために準備していたり、むしろパッケージを撮るために商品を買い直したりすることもあるので。
実際にはむしろマイナス……だと思う。

これだけの手間をかけても、読んでくれている人はほとんどいないのだ。


そして、わたしはじつは、ブログを書くために仕事をセーブしていた。

お仕事は、確実に納品できる分だけを受けるようにしている。
単発のお仕事のための余裕も残したかったし、以前は睡眠時間すら削って書いていたので、自分時間もつくろうと思っていた。

だから、受けるお仕事を相当減らしていた。
コラムの定期依頼は、新しいものまで手が回らないと、この5年は受けずにいた。

さらに、主催している、オンラインサロンのような「とて家事ラボ」という試みがある。
これは「とっておき家事」を自分でもやってみたいけれど続かない……という相談を受けて作ったもの。

オンラインサロンみたいなものだけど、無償だ。理由はブログと同じで、家事で困っている人がだれでも参加できる場にしたかったから。

じつは、1年目は年間100時間をかけて運営していた。

それでもたとえば毎月送るメッセージを忘れたり、他の人からの投稿がないとコメントしづらいからなんとかしてほしいと言われたり、クレームはたくさんあって、そのたびに企画をして、色々調べたり変えたりして。

途中から、参加している人たちにかんたんな手伝いをお願いした。
(ちなみに、それまでも自主的に手伝いを申し出て裏で手伝ってくれた人も何人もいた)

手伝えないとやめてしまった方々もいる(最初は手伝いをお願いしていなかったので、それはそれで仕方がない話だと思っている)。わたしが主宰者なのだから、ひとりで運営する責任があるとお叱りも受けた。

でも、9年が経った今も残ってくれている方々や、卒業したのに戻ってきてくれた方々のおかげで、なんとか継続できている。

そんなわけで、ブログとラボ運営という、お仕事以外の部分に長い時間を割いてきたわけなのだけれど……。


必要としてくれている人が明確なラボはともかく、仕事を減らしてまで長い時間をかけて書いた文章が、お金にならないどころか、ほとんど誰にも読まれていない。

そう考えると、とてもショックだった。
書く意味がないのではないか。

お役立ち情報は、Instagramにもたくさん溢れている。だれかの焼き直しみたいなものもたくさんある。

それを、すべて実体験やオリジナルアイディアで作り上げていくのは、そろそろ限界な時代なのではないか。


以前のわたしなら、別に時給40円でもかまわなかったのだ。
当時、アクセス解析画面を見てみたら、ブログは、1秒に数人が読んでくれていた。

「読んでくれている人がたくさんいる」

ただそれだけが、原動力になっていたから。


それでもブログをやめてしまうことは考えられなかった。

数は少なくても、いまだに毎日読んでくれている人もいる。温かい感想をくれる。

わたし自身にもいいことはある。
書くことを通して暮らしを改善できるとよくわかっていたからだ。


それじゃあ、どうしよう……。
悩んだ末に思いついたのは、更新頻度を減らしてみるということだった。


11年目から、はじめること。


毎日書いているものを、週1回+αにすること。

そのかわり、これまではできなかったことをする。

たとえば、ブログの見やすさで苦言を呈されることは何度もあった。わたしも把握していた。でも、改善できるだけの時間がなかった。

色や画像、説明。そういったものをきちんと整えていく。


今でもなるべくたくさん情報を盛り込めるように気をつけているけれど、きちんと推敲する時間がないので、フリーライティング形式で書いていた。

コラムを書くように、章立てて、きちんと書いてみる。


更新頻度を減らす分、1ヶ月のまとめのような記事をつくってみるのはどうだろう。

わたしは毎年決まった時期にいろいろなイベントを提案している。

こうしたものを、1日分の記事として毎年くり返し投稿してきた。
少しずつ書き直して、画像をつくりなおしたりして。


そうじゃなくて、月初に「今月のおすすめ家事」という形で要約とリンクを紹介したらどうだろうか…? 
毎日更新しなくていいのなら、イベントカレンダーのようなものをつくることもできる。

そのほうが、「あ、あのイベントを忘れていた」とあとから焦ることもなさそうだ。

こんなふうに、「毎日更新」にこだわらなくても、できることはきっとあると思うのだ。


3,566日間続けた”毎日更新”を、今年の大晦日で終える理由


毎日更新をやめる理由はたくさんある。

ポジティブな理由は、今日更新のブログで5つ書いた。

それ以外には、こんな理由がある。

1.何のために書いているのか、わからなくなるきっかけがあったから。
2.自分の時間の価値に愕然としたから。
3.ほとんど誰にも読まれない、クリックされない文章を量産していたことがショックだったから

はじめに、流れてきた記事を見て数日経ったときは、心底ショックだった。
何日も悩んだ。

読まれる文章にするべきだ、書き方を変えてみようかと試行錯誤したけれど、……やっぱり自分らしくないと悩んで。


立ち直るきっかけとなるべつの文章に出会えたので、思ったよりも早く気持ちを立て直すことができた。

でも、こんなふうに思ったのが、”今”でよかったのかもしれない。
キリがいい気がした。

まる10年、毎日更新をきちんと完走する。
そして、11年目からは、量じゃなくて「質」を高めていく。

10年育ててきたブログと、こうやって向き合ってみようと思った。


今日の時点で、ブログの総訪問者数は、
628万6946人。

驚くほどたくさんの人が、一度でも、このブログを開いてくれたことがわかる。
挑戦してみてよかった。

11年目からは、たまたま立ち寄った人が、なにか気づきがあったり、これでいいんだと思えたりして、またいつか来てくれるようなブログづくりをしてみたいと思っている。

(#なんのはなしですか)


▼具体的にどんなお仕事をしてきたのか。ポートフォリオはこちら。

▼短時間でたくさん文章を書いてきたわたしが、身につけてよかったと思えるスキル3つの紹介。(※無料公開している1章だけでも濃く実践的に書いているので、たくさん書きたい!という方はよかったらどうぞ!)

追伸、
長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
毎日更新3,566日目の感想は……楽しかった!に尽きます。書くこと自体は本当にいつでもたのしかったんです。
生涯やる気で真剣にいたので、やろうと思えば、続けられるとは思います。
ただ、ラクなことではありませんでした。更新を続けるためには何かしらの”支え”が必要なのだと思いました。たとえば、仕事につながるとか、お金であるとか、読んでくれている人がいるとか、感想をもらえてうれしいとか……。
もしかしたら、「やっぱり毎日書きたい!」ってなるかもしれません。最初はすごく落ち着かない気もします。
たぶん、とて家事のストックが溜まりすぎて困るとも思います。
12年目にしれっと毎日更新を再開するのかもしれません。

でもまずは、11年目。今までよりゆっくり、ていねいに書いてみます。

ちなみにわたしは何事も3日坊主な人間だったので、ここまで続けられたコツについて、最後まで読んでくださったあなただけにお伝えしますね。

あらかじめネタをたくさん用意しておく
書く上で一番大変なのって、ネタの用意だと思うんです。だから、ネタ帳は必須だと思います。どんなネタ帳がいいのかは、有料記事になってしまって恐縮なのですが、下のほうに貼り付けておきますね。
紙ベースじゃなくてもいいです。スマホを使った方法も2つ書きました。

覚悟&マイルールを具体的に決める
わたしのブログでいうと、
覚悟:
「1年経っても仕事につながらなかったらブログをやめる」
「本を出版できても毎日更新を続ける」
マイルール:
「毎日執筆ではなく毎日更新。先取り・後追いOK」
「主婦の方からお金をいただかない」
(例外:書籍にしたくて温めている大ボリュームの内容、文章術や創作論についての記事)
「決めつけるような物言いや否定するようや言い方をしない」 
などなど

③宣言効果を利用する
心理学で「宣言効果」というのがあります。自分のやりたいことや目標を紙に書いて毎日見る場所に置いたり、友だちや家族に「これをやる!」と話したりすることで、その目標が達成しやすくなる心理のことです。SNSへの投稿も効果的だと思ってます。「毎日更新」も宣言効果があると思います。
ただ、期限が必要だなって思いました。まずは「1ヵ月更新」などの短い目標を立てる。1ヶ月後、続いたら、期限を延長するか決める。この方法が負担がなさそうです。

の3つかなあと思っています。

▼ジェスドロって書いていますが、そこは入門編に近いので、より先の「VST」まですすめるのがおすすめです。世界観変わります。

#なんのはなしですか に入れていいのかなと悩みつつ、わたしのブログのことだから、ほとんどの人からしたらどうでもいいか、と入れてみました。
せめて、回収日外にと日曜日更新を選びました。


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三條 凛花 │  "時間が貯まる"ノート本著者
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡