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メイクが溶けて消えたから、毛布を洗った。


その日は、いつもよりすこしメイクがうまくいった。

眉毛は眉尻をきりりと描いて、目の形はひし形になるように、少しずつ慎重に、ブラウンを足した。

いまだに半袖を着ているけれど、少しでも秋めいた感じを出したくて選んだのはブラウンのリップ。もともと薄いくちびるは持ち合わせていないけれど、下くちびるを、もともとの輪郭からはみ出すようにして、好きな女優のそれに近づけた。

鏡を見ると、いつもより大人らしい顔立ちになった自分が映っていた。

けれども、時間をかけて丁寧にほどこしたメイクは、診察室の中で、溶けて、消えてしまった。





▼このお話は、『先住猫の寵愛を夫に奪われた私、ヤンデレ猫ちゃんに溺愛されています(?)』の、続きです。






今まで入ったことはなかった、診察室のドアの向こう側に、わたしたち夫婦はいつものようにお邪魔した。
ゆったりした広めのケージの中で、フカはこちらに背中を向けてぐったりと寝ころんでいた。

「フカ」

呼びかけると、耳がピンと立った。

けだるげにこちらに向き直り、なんとか立ち上がるが、ふらふらしている。キラキラしたオレンジ色の目は濡れていた。

そうしてわたしの近くまで来ると、フカは、力尽きたように座り込んだ。手にはピンクの包帯が巻かれている。ずっと、点滴をしているのだ。

どんどん視界が曇っていく。




じつは、診察室で説明を聞いていたときから、涙腺が崩壊していた。

手術をしないとむりだけど、しても治るかはわからない。自分で食事をとらず、弱りきっているから、手術に耐えられるかも、わからない。


わたしは病院に来るだけだからと財布とスマホ以外家においてきたのをひどく後悔した。

夫も先生もいるのに、目頭が熱くなって、幾筋も幾すじも、勝手に涙が落ちてくる。

なるべく自然に見えるように指でぬぐって、熱く痛くなってきた喉のひりつく感じに耐えていた。

フカの背中を撫でると、手を引っ込めたくなった。すっかりやせ細ったせいか、骨のぼこぼことした感触が目立っており、わたしの知っているフカの背中ではなかった。

でも、これが最後になるかもしれない。
そう思って背中をなでつづけた。

てのひらにグレーの毛が何本も何本もまとわりついた。
また涙が止まらなくなってきて、わたしは、手に毛がついているのをすっかり忘れて、そのまま右手で目をこすってしまった。

コンタクトレンズを入れた瞳に、猫毛。
フカが家を離れて1週間、すっかり忘れていた痛みを思い出し悶絶した。( #なんのはなしですか




帰りの車の中で、夫に「ペット葬儀について調べたほうがいいかな」と言おうと思った。それくらい、危うい感じがしていた。
今日を乗り切れるかさえわからなかった。

いざその時をむかえたときに、わたしに調べられる気力があるのかが未知数すぎて、事前に調べるしかないと思った。

でも、口に出したら現実になりそうだし、また涙腺が崩壊するのはわかっていたので、結局、言えないまま家に帰った。
また自分で調べることも怖くてしなかった。

鏡を見ると、朝見た顔とは似てもつかない、真っ赤になった目に、パンパンにむくんだまぶたの、やけに薄い顔の女がそこにいた。




そのままぼんやりと仕事をして過ごした。そして、ふと思い立つ。

「毛布、洗わないと」

わたしは、すがるような気持ちで寝室に向かった。
ユニクロの、黒と白のチェックの、ショールにもなるブランケットを手に取り、洗濯機へ入れる。



猫のフカがはじめて家にやってきたとき、ブリーダーさんは、キャリーの中にピンク色のブランケットを入れてくれていた。


このブランケットを、わたしたち夫婦は"フカの毛布"と呼んでいた。

フカは、いつもその毛布を前脚でこねるように揉んで、ちゅぱちゅぱと吸っていた。

それは子猫のときだけじゃなくて、ピンクの毛布が無視しきれないくらいボロボロになって処分した五年後も、新たなお気に入り毛布を見つけた十年後も、まだ続いていた。

「フカはおばあちゃんになっても変わらんね」

夫とそう言って、フカを見守っていた。





この十年はきっと、わたしの人生で最良の時期だった。
いつもそう考え、怯えてきた。

猫たちを迎えた。子どもが生まれた。両家の両親も元気で……。
稀有で得がたい "完全な家族のかたち" がそこにはあった。誰も伏せっていない。誰も欠けていない。

同い年どころか、もっともっと早い段階で同居する家族を失った人もいる。
わたしたちのこの状態が、どんなに幸運で、自力では掴めないことなのか。
そうわかるからこそ苦しかった。

わたしには、月に二回ほど、明け方まで寝つけない夜がある。そういうとき、ざわざわと胸の奥底から不安が吹き出してくるのだ。

"この日々には、いつか、終わりがあるのだ"と。


そして、フカの体調について説明を受けたとき、わたしには、幸せな日々の底が、見えてしまった。
まだ大丈夫かもしれない。でも、大丈夫じゃないかもしれない。



いま、この瞬間にも、手術ははじまっているのだろう。

そう思うともうダメだった。わたしは、何も考えないようにするためにSwitchの電源を入れた。
溢れ出す涙をほっときながらオンライン対戦をして、無の心をつくりだした。合間に、いつものように家事をする。

洗濯していた毛布が洗いあがった。
わたしは外に干した。秋の高い空が腫れた瞳にまぶしかった。



小学生の娘が家に帰ってきたころ、夫から連絡があった。

手術が無事に終わったこと。そして、面会に来る?という先生からの伝言。二つ返事で行くと答えた。

子どもたちを習い事に連れていった。
いつもはその場に残って見学するのだけれど、ふたりの準備を手伝った後、わたしは自転車に飛び乗って動物病院へ向かった。

顔はもう修復できないし、どうせフカに会えたらむりだとわかっていたので、細いフレームの、仕事用に使っているブルーライトカット眼鏡をつけて出かけた。バッグの中にはぶ厚いタオルハンカチと、たくさんのポケットティッシュ。

「さっき麻酔から覚めたのでね、ぐったりしてますよ」

先生が言った。
いつものように診察室の奥へ進む。フカは、ぱたりとケージの中に倒れていた。顔を上げることすらできずに、うつろな瞳をしていた。

「フカ」

わたしが言うと、フカは、ぱたんと一度しっぽをゆらした。これは、フカが近づくのは面倒だなというときにする返事だった。




そして数日がたった。
フカは、家に帰ってきた。


術後の経過はあまりよくなかった。しばらくはそのまま病院にいたけれど、劇的な回復は見込めないので、わたしたちは、家に連れて帰り、通院することを選んだ。

フカは、自力で食べることができない。トイレも自分でコントロールできない状態になっていた。


食事は、管に注射器を使って入れなければいけない。赤ちゃんの粉ミルクをつくるよりやや多い工程で、薬をつくる準備が必要になる。

フカは、固形のフードを食べようとしない。注射器を使ってどろどろの食事を注入しながら、わたしは、フカに生きる気力がないのではないかと思い、悲しくなる。

猫のトイレを置いている2畳もないくらいの部屋は、ふだんは食事からトイレまでそこで済ませられるようにしているのだけれど、猫たちが病気のとき、1匹ずつに隔離してあげるための部屋としても使っている。

バロ用にトイレと食事のセットを小部屋から出した。床をすべてペットシーツで覆って、フカのお気に入りのクッションもごみ袋をかぶせた状態で設置した。



フカの性格的に、こうして閉じ込めると暴れたり脱走したりしそうで心配だったけれど、小部屋の中で何度か場所を変えながら、静かに過ごしている。

今はおむつをつけてみたけれど、これはこれで、毛に汚れがついて大変だと思う。

どれくらいの期間かはわからないけれど、少なくとも当面は、毎日通院して、点滴もしなければいけない。
これを書いているいまも、さっきまで2時間ほど病院にいた。

食事は1日に4回、3時間おきくらいに作ってあげなければいけないので、今日も、子どもを迎えに行く前につくり、急いで行って帰ってくる必要がある。

思っていた以上に大変で……。
でも、それでも、帰ってきてくれてよかった。


わたしは今回のフカの不在で、決意したことがある。

それは、日常のなにげないシーンの写真を撮ること。猫たちが家に来てから5年ほどは、いつでも猫の写真を撮っていた。でも、一人目が生まれて、二人目が生まれて……。

写真はあまり撮らなくなった。子どもの写真でさえ、外に出かけたときしか撮っていない。

それを後悔したのだ。だから、背景がごちゃごちゃしていても、可愛い顔をした瞬間じゃなくても、気にせずに、たくさんの思い出をカメラにおさめていく。そう決めた。







今日2回目のごはんを注入し終えたわたしは、驚いた。

猫の小部屋から出ようと、両手が塞がった状態で扉を開くと、フカがひらり、とすべりだしたのだ。

しばらく走ったあと転んでしまったけれど、フカらしい姿を十日ぶりくらいに見られて。
また、目頭が熱くなった。



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三條 凛花 │  "時間が貯まる"ノート本著者
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