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ヤンデレ猫ちゃんの使命 ─ 「ペットロス 後追い」と検索したあなたのために書いた7日間の物語 ─

酔芙蓉すいふようという花を知ったのは、今の住まいに引っ越したあとのこと。

裏の庭に植わっているそれは、まるで御伽噺おとぎばなしのような、不思議な花。
朝出かける前に見たのは白い花だった気がするのに、夕方に見るとピンクになっている。

何日か混乱し、自分の記憶能力を疑いながら過ごしたのち、『白からピンクに変わる花』と検索した。そうして、それが朝に咲いてすこしずつ色づき、濃くなっていく花「酔芙蓉すいふよう」だと知ったのだった。

酔芙蓉の「酔」は、花色の変化がお酒に酔っているみたいだからつけられたそうだ。


酔芙蓉は、毎年10月になると咲く。わたしは来年からきっと”今年はじめての酔芙蓉”が咲いた日に泣くのだろうなという、確信があった。

この日、わたしは火葬車を待っていた──。




擦り切れるまで読んだ1ページのこと


小学生のころ、実家の畳に寝そべって、何度もくり返し読んだページがある。
子ども向けの雑誌だったはずだ。

さわられると嫌がる場所と喜ぶ場所。
しっぽの動きから読み取る気持ち。
静かなのが好きだから、子どもよりお年寄りと過ごすのを好む……。

見開き1ページで猫についてのさまざまな情報が書かれていた。



乳幼児期のわたしの写真には、必ずどこかに猫が映り込んでいる。

「トラコはね、凛花のことが大好きだったの。凛花が泣くと飛んでくる。いつもそばにいたんだよ」

トラコはわたしが3歳のときに、家を出たきり戻らなかった。



辛いとき、その雑誌を出してきて眺めた。そして想像した。

いつもそばにいてくれる猫がいたら、どんなに素敵だろう。ふわふわのお腹に顔をうずめて寝てみたい。

わたしはそのころ、学校でうまくいっていなかった。
いつもいっしょにいる女子はいるけれど、彼女たちが自分を好きじゃないことは痛いほどわかっていて、苦しかったのだ。


放課後に遊ぼうと、誘ってくれたのは向こうだった。けれどもいくら待っても彼女たちは来なかった。
わたしは雑木林の木によじ登った。太い枝に腰かけて、開けた空き地の向こう、家々の屋根を赤く染めながら沈んでいく夕日を見ていた。

ああ、わたしはきっと、この瞬間を一生忘れないのだろうな。
そういう確信があった。

ほろりと涙がこぼれた。


だれか、だれか助けてほしい。
わたしのことも、好きになってほしい。

そんなふうに思っていた。


その後両親は、白文鳥と柴犬を迎えた。どちらも可愛くって大好きだったけれど、彼らのいちばんは、母だった。


家族を創っていく


時は流れ、2012年。入籍より少し早く引っ越し、猫を迎えた。
ここでは、「バロ」と呼ぶ。

わたしは『耳をすませば』が好き。金曜ロードショーではじめて観た10歳のとき、エンディングが終わってすぐに、物語を書きはじめたくらいだ。
そう、バロンに由来している。

スマートなバロンとは違い、わが家のバロは、むしろ、『猫の恩返し』に登場する"ムタさん"のような存在だ。

彼について書けるエピソードは数しれない。
本当に猫らしくない、ふしぎな猫なのだ。

バロももちろん大切な家族なのだけれど、この話の主人公は、もう一匹の猫。



バロが2歳のとき、もう1匹の家族を迎えた。

ここでは「フカ」と呼ぶ。名づけ親は夫。よく男の子に間違われるけれど、女の子だ。


「猫ストーカー」という言葉をよく聞く。
バロはまったくストーカー要素がなく、犬のような気質をしている。それが当たり前だと思っていたわたしは、とても驚かされた。

フカは、ヤンデレ猫ストーカーだったのだ。


追記:
フカがまだ消えてしまう前に書いたこの文章は、そんなわけでラノベ風のタイトルになった。正式タイトルは『先住猫の寵愛を夫に奪われた私、ヤンデレ猫ちゃんに溺愛されています……?』だった。
大好きなWeb小説みたいなポップなタイトルにすることで、明るい気分になろうと思っていた。

猫ストーカー・フカ


フカの一日は、わたしが起きるのを見届けるところからはじまる。


旧居ではこうして
わたしが起きるのを見張っていた。
向こう側がベッド。
わたしが目を覚ますと、すきまから跳ぶ。


夜通しそばで寝ていたフカは、着替えにも、洗顔にもついてくる。


どこにでも滑り込み、
侵入するのでかわすのが大変。


階下に降りるときもとてとて着いてきて、レンジの上に飛び乗る。

レンジの上は、わたしが1階で過ごすときの彼女の定位置だ。

すべてあげていくとキリがないのでざっくりまとめると、わたしの居場所すべてに、フカがいる。


これは100均で買ったものを開封しているとき。


コラム用の物撮りをしている横で。


なんなら、物撮りに映り込む。


フカは、わが家に来たときからずっと、わたしと眠っている。


一方、バロは夫のことが好き。

世話をするのはすべてわたしなのに、夫と寝るものだから、最初はかなり嫉妬した。

だっこしてふとんへ連れて行っても、バロは気づくと夫の横に移動している。
たまにひとりで眠ることもある。

だからだろうか、たまに耳にする、先住猫と新米猫の対立のようなものは見られなかった。
バロは夫、フカはわたしというように、最初から、きっちりと棲み分けがされていた。


2匹の猫たち。


フカは、忠猫だ。
わたしが寝るまで寝ないと決めているらしい。

けれども、わたしは夜行性だ。
(#なんのはなしですか)

最近は朝活の楽しみを知り、早起きすることもあるけれど、とくに、子どもが生まれたばかりのころは、明け方まで仕事をしていることもざらにあった。
多趣味だから夜に色々することも多い。


ねこは"寝子"だというけれど、彼らはほんとうによく寝る。日中も寝ているけれど、夜もぐっすり寝る。

フカは先に休めばいいのに、健気にも待ち続ける。(じゃまをしながら)

紙やパソコンがあれば、座る。


デスク横にバスケットを設置したものの、
うとうとしながら待っている。
※落ちないように向きを変えた


ゲームをしている間は、
テレビ前の台の上から見張る。

待ち続けて明け方になると、フカは、ねむさのせいなのか、壊れる。
家じゅうを走り回るのだ。


猫の大運動会、をよく聞くけれど、わが家では基本的にバロしか開催していない。フカが巻き込まれることがあるが、うざそうな顔をして逃げていく。

じゃれるときもフカが勝つ。


わたしが寝ている間に開催している可能性も考えたけれど、朝起きると、フカはたいてい寝る前と同じ位置にいるので違うのだろう。


早く眠りたいときは、頭を使って攻撃してくる。わたしがいやがる音を立てるのだ。

フカがねらうのはビニール。
ビニール袋を見つけると、そこに猫パンチし、シャカシャカ音を執拗に出してくるのだ。合間にこちらをチラ見することも忘れない。

子どもが起きないよう、わたしが動き出すことを熟知している。


年末年始、久しぶりに帰省したときのこと。
近所の親族が1日1回、猫の世話に来てくれるので、ペットホテルや病院に預けず、ねこたちは自宅にいた。

心配で、ペットカメラを導入した。声をかけて安心させてあげられるという文句に惹かれた。
明日帰るよ、と、何の気なしに声をかけた。

すると、翌朝、変化があった。


フカは、どこから声が聞こえるのかを突き止め、カメラの前でずっと待っていたらしい。

かわいそうなので、それ以来、マイク機能を使っていない。



夜、この椅子で読書をすると
わたしの膝で眠る。


ヤンデレ猫ちゃんのはなし


フカがなぜヤンデレなのかについて、最後に書こうと思う。

フカは家に来たときから毎日わたしと寝ている。だから、他者が一緒に寝るのをゆるさないのだ。

子どもたちが生まれる前は、そうだった。


そのころ、わたしたちは、東京の13.5畳の小さな部屋で暮らしていた。
結婚と引越しで余裕がなく、ベッドはわたしがひとり暮らしで使っていたシングルをそのまま持ち込んだ。

わたしとフカがベッドで、夫とバロはソファか床で寝ていた。


ところが、ある日、母が泊まりに来た。
わたしが悪阻で衰弱していたからだ。妊娠悪阻で入院。そして退院した翌日から、十日ほど、母は滞在した。

母がソファを使うので、大柄な夫といっしょに狭いベッドにぎゅうぎゅうになりながら眠りについた深夜。
わたしはうめき声で目を覚ました。


横にいる夫が苦しそうな声を上げている。

身体を起こして声をかけたのだが、夫は目覚めない。

まさかなにかに憑かれてるとかそんなことは……?と寒気が走った。

非科学的なものはあまり信じないのだけれど、読みものとしてのホラーが好きなわたしは、寝る前まで洒落怖まとめを読み漁っていた。
まさか霊は実在……?と怯えた。


ふと、暗闇になにかが光るのが見えた。

息を飲んで身を硬くしながらも、なんとか瞼を開けて見てみると、
──それは、猫の目だった。


すこしずつ目が慣れてきた。
わたしは、床に、フカがいることに気がついた。


座った体勢で、ほんの少しだけ腰を浮かせている。
そのまま、後脚に重心をかけるようにして、二本足で立った。カンガルーのようなイメージだ。
そこから、おしりを軽く振っている。

これは、──跳ぶ時の動き。

次の瞬間、フカは勢いよく、高く跳び上がった。
そして、床から一気にベッドの上の夫に着地した


「ううっ」

夫が呻き声を上げる。


フカは首をかしげた。


それから夫の上を顔の近くまでゆっくり、重い足取りで進んでいく。夫の腹にフカのしなやかな脚がめりこむのをはらはらして見つめた。そのたびに夫が呻いた。

やがて、夫の鎖骨あたりまで歩いてきたフカは、じいっと夫の顔をのぞきこんだ。


フカが夫に近づくのをほとんど見たことがなかったわたしは、驚いて、なにもできずにいた。

フカはふたたび首をかしげたかと思うと、音も立てずに軽やかに床へと降りた。


それで終わらなかった。
一連の流れをくり返した。何度も、何度も執拗に。


もちろん、やめさせようとした。

ところが、フカを抱っこして離しても、わたしの横のすきまに置いてもダメだった。
夫を排除しようと、攻撃を続ける。


夫はいくら揺すっても起きない。
数度にわたる攻撃によって、夫はついにベッドから排除された。

床に横たわった夫を、フカは広々としたベッドの上から高らかに見下ろしたのだった。

(「暑い」と自発的に床で寝ることもよくある夫自身は覚えてもいなかった……)


一日ごとに好きになっていく


そんなフカだけれど、面倒見はとてもいい。

子どもが生まれてからは、泣き声が聞こえるとすぐに走ってくるようになった。乱暴に触られても、わたしが添い寝しても決して怒らずに、子どもたちを見守ってきた。

トラコもそうだったのかな、と、母のはなしを思い出した。


仕事で家に人がくると、愛想良く出迎えるのもフカだった。


子どもとの添い寝がなくなると、フカは、今まで以上にわたしにひっつくようになった。

おなかの毛づくろいをする様子は
まるで、ソフトクリームを
食べているみたい。


眠るとき、わたしはフカを抱きしめて寝ている。

朝起きたときも、まだその体勢のままの日も多い。ゴロゴロと喉を鳴らす音と、ふわふわのお腹に顔をうずめて眠りに落ちる。

顔が毛まみれになるけれど、本当に幸せで。



子猫のときも愛らしかったけれど、フカも、バロも、去年より今年、昨日より今日。
もっともっと大切になっていく。


フカの定位置のひとつ。


今夜、わたしの腕の中に、フカはいない。

ここ数日、家族全員が体調を崩して起き上がれずにいたのだけれど、そういえば、何日前からだったのだろう。

フカがとなりにいないのは。

フカはなぜか、かつて何度も執拗に排除した夫の横で、小さくなって寝ていたのだ。


たまにわたしのところに来ても、なぜか足元にいるだけ。
40度の熱にうかされていたから、不審には思わなかった。咳き込む音が嫌なのだろう、と。


先に罹患し回復していた夫が、39度台の熱で起き上がれないわたしを呼んだ。

「フカが、緑の液体を吐いた」

フカは、急きょ入院することになった。


もう高齢だから、色々あるだろうとは思っていた。
いつもと違う症状もあったけれど、でも、あまりにもわたしのところに来ないのが異常だった。

勘違いであってほしいと思いながら受診して。




まだまだ一緒にいられるかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。

こわくて、ずっと考えてしまうから。

だからこそ、今のうちにフカのくすっと笑える話を書きとめておこうと思った。
書けなくなってしまう前に。


猫がいる生活が当たり前になりすぎて、以前のように、たくさん猫写真を撮らなくなった。
フカが帰ってきたら、たくさん、なにげないシーンを撮ると決めている。

(2024年10月上旬)


あとがき


2025年になってから、この話に大きく加筆修正をした。


「ヤンデレ猫ストーカーフカ」。
そのタイトルは、長い間noteの下書きにねむっていた。わたしは、フカのちょっとかわいくて面白いところを書こうと思っていたのだ。

今度こそ書こう。
そう決めて、普段よりも写真を多く撮った。

そんな折に、息子が熱を出したのを皮切りに、夫も寝込んだ。

布団から起き上がることができずに、寝転んだままオンライン受診できたときには20時を過ぎていて、もう近場の薬局が開いていなかった。


その日わたしは、子どもたちに薬局に行ってくること、早く寝るように言い含めると、自転車のうしろに点滅するLEDライトをつけ、真っ暗な街へと漕ぎ出した。

心が折れそうなくらい遠かった。
漕いでも漕いでもたどり着かずに、暗い道をひたすら走った。


薬を受け取れたのは22時過ぎだった。

ほとんど息つく間もなく、帰路についた。
ただでさえ車社会だというのに、この時間にママチャリを走らせている人なんかどこにもいなくて、ひどく目立っていた。

何度か、こわいな、と思うシーンもあった。


日づけ前にようやく家に戻ってきた。
煌々と明るいリビングの床にはあちこちにおもちゃがばらまかれていた。窓際の床で息子がねむっていた。そのそばに、フカがいた、──と思う。

というのも、疲れすぎて記憶が曖昧だからだ。
その日は幼稚園や習い事の送迎で、朝からすでに4往復、1時間以上も走っていた。

自転車屋さんでほかに選択肢のなかったチャイルドシートは、息子が乗らなくても15kgもある。

電動自転車ではないふつうのママチャリで、往復2時間以上も走ったわたしは、足の感覚がないくらい疲れていたし、ひどく息切れしていた。


わたしは息子を抱き上げて2階に運んだあと、隔離していた夫のもとに行った。なにも食べられないというので、バニラアイス味の豆乳を飲ませた。
それから薬を渡した。中身を確認し、ひとつずつプチプチと取り出して、夫の大きなてのひらに乗せた。

赤い顔をした夫がすべて飲み終えたのを見届けて、やり遂げたことにほっとする。

シャワーを浴び、髪を乾かしていたら、違和感があった。


妙に寒い。


もしやと思ったわたしは、子どもたちのいる寝室ではなく、夫を隔離した部屋のふとんにもぐり込んだ。厚着をしてふとんも引きずってきたのに、ガタガタと震えが止まらない。

熱を測ると39.5度あった。

ああ、よかった。道端で倒れなくて。

そんなことを思いながら、吸い込まれるようにねむりに落ちた。


今思えば、この日が、フカと触れ合える最後の日だったのだ──。
わずか2週間後に、フカは、世界から、消えた。



「ペットロス 後追い」と検索した、あなたへ


2025年になって、この話に大きな加筆修正をしたのには理由がある。

はじめはフカとの日々を記録するためだけに書いていたはなしの、目的が変わったからだ。

この物語では、フカがいなくなってしまうまでと、フカが消えた世界での7日間の物語を、これまで本当は人に話したくなかったことまで含めて、正直に綴っていく。
わたしがどんなふうにして生活を立て直したかを伝えたかったからだ。

「ペットロス 後追い」と、検索した、あなたに。


わたしは字づらの綺麗な文章が好きだ。
タイトルもなるべくそうしたいと思っている。

でも、そういう自分の信念を曲げてまで、あえてこのサブタイトルを入れたのは、このキーワードで検索したとき、この記事が一番上に来てほしいと思ったからだ。


あなたはどんな人で、どうしてそのワードを検索したのだろう。

でも、「ペットロス」と打ち込むと、すぐに予測変換に出てくるのだから、多くの人が検索しているのだと思う。


わたしは、その予測変換を見たとき、眠れそうだった頭が一気に冴え渡った。──こわくて、タップすることはできなかった。でも、その文字を見ただけでも、思考がどんどんマイナスの方向に引きずられていく感覚があった。見なければよかったと思った。


もしあなたが眠れなくて、思考がどんどん苦しいほうにいっているのなら、ぜひ、わたしとフカと、そして家族の物語に付き合ってほしい。

暇つぶし感覚でいい。
10万字ある。書籍1冊分のボリュームだ。

だから、読んでいるうちに間違いなくねむれると思う。


そして願わくば、わたしが試行錯誤して気持ちを立て直した方法のなかに、あなたのこころに触れるものが一つでもありますように。


2015年1月
三條 凛花


▼続きはこちら。

『マスカラ滲む』

フカの手術が決まった。面会に行くと、じっとしていられない性格のはずのフカはケージの中でぐったりと横たわっていた。そして、手術がはじまった──。


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三條 凛花 │  作家
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