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たった1行の"追伸"で、急に打ち解けた話

「相手と仲良くなるって、仕事でも大事だよ」


それは、新入社員だったわたしに上司が話してくれたこと。

「もし2人の能力が同じだったら、どうする?」

「仕事相手のAさんとBさん。Aさんとあなたは仲が良く、Bさんとはあまり。二人の能力が同じなら、組みたいのはどっち?」

彼女は、わたしの憧れの人だった。
三十代前半にして役職を持っていた直属の上司。仕事はとても丁寧でスピーディー。いつも周りを見ている。苦言を呈するときも、相手を嫌な気持ちにさせない……。

「雑談には意味があるの。
すごく仕事しやすくなるんだ。選ばれる自分になるためにも大切なことだよ」


事務仕事はわたしに向いていた。
ちまちま表を作るのも、マニュアルにまとめるのも、ツールの使い方やExcel関数を学ぶのも大好き!集計のような地味な作業も苦にならない。仕事で意見を言うことや、電話は、苦手だけどできないことはなかった。

極端に苦手だったのが、”仕事以外”の話。

話すのが下手。わたしの話を聞いてもつまらないだろうなと躊躇してしまう。聞き返されるのも怖い。相手に何をどこまで聞いてもいいのだろうと不安になり、結局人となりがわからないまま……。

その職場は”ノリ”のいい人が多くて、人見知りで堅物のわたしは浮いていた。

だから、今考えると、上司なりにやんわりと注意してくれていたのだと思う。

追伸欄が変わったら、仕事がしやすくなった

フリーで仕事をするようになって、10年近くになる。

わたしは実用書の著者なのだけれど、依頼をいただくお仕事はかなり多岐にわたる。
ほとんどは単発の依頼。ほんの数回のやりとりで終わってしまう

"仕事に関係のないこと" を聞くのは躊躇われ、いつからか、やわらかい言い回しには気をつけるけれど、無機質なメールしか書かなくなっていた。

そんな中、長年、継続的に携わらせてもらっているお仕事がある。

コラムの定期連載だ。

さまざまな媒体で書かせてもらってきた。いずれも連載の場合は基本的に決まった担当編集さんがついてくれて、同じ方と年単位で個別にやりとりをしていく。

その中で、ある出来事をきっかけに、今までよりさらにお仕事がスムーズに進むようになった担当編集さんがいる。

追伸、どちらの出身ですか?

たしか、夏休みが近づいてきたころのことだったと思う。

担当編集さんとの付き合いは、すでに数年になっていた。普段からとても丁寧に接してくれる方だ。

その日、わたしは、こんな感じのメールを書いた。

『事前に納品させていただく7・8月分の記事です。いつもお手数をおかけします』

普段、ワンオペで育児と家事をしている。保育園や預かり、学童の利用もしていない。夏休みは確実に納品できるように、例年、前倒しで2ヶ月分を執筆させてもらっている。

ふと思い立って、最後に一文付け加えた。

『追伸、そういえば、◯◯さんはどちらのご出身なんですか?』

前のメールの追伸で、夏休みの帰省の話があったからだ。

でもそれは、時候の挨拶のような世間話的な感じで。だから、少し勇気が必要だった。

プライベートなことを聞いてもいいのだろうかと迷った。
一度消して、もう一度打ち直して、それから、思い切って送信ボタンを押した。

返信を見て、わたしが叫んだ理由


返ってきたメールを見て、わたしは思わず「えー!!!」と叫んだ。

同郷だった。

その後、メールの追伸を通して何度かやりとりをした結果、驚くべきことがわかった。

担当編集さんとわたしは、同じ学校に通っていたのだ

追伸欄に最近の”故郷”ネタが加わった。

追伸、
この間帰青したら、空港の中にイギリストーストの自販機があったんです。娘が大好きで。三つも買ってしまいました。

あるときわたしが書いた追伸欄を思い出しながら。

当時、わたしはふるさとから遠く離れた四国へと引っ越して、とにかく孤独だった。家族以外との会話がない。
コロナ禍でママ友をつくる機会にも恵まれず、本当にびっくりするくらい誰ともしゃべる機会がなかった。

そんな中で、地元の話をできることに感動した。

仲良くなったら、仕事がもっともっとスムーズになった。

心の距離がすこし縮まると、驚くほど仕事は進めやすくなった。

いろいろあるけれど、特に大きな変化は、わたしのレスポンスが速くなったこと。

それまでのわたしは、とにかく「きちんとした丁寧なメールを!」と意気込んでいた。

それには理由がある。


以前、別な方とメールのやりとりをしていたときのことだ。

出先で急いでメールを送ったら「なにかご不快なことがありましたか……?」と聞かれたことがあった。

事務的な内容だけ送ったところ、怒っているように見えてしまったらしい。

ふだん、メールを打ったあとは、何度か見直しをして、言い回しをやわらかく調整しているのだけれど、それをしなかったせいだろう。

出先で返信するのをやめた。


少し仲良くなれたことで、急ぎ返信するハードルはぐんと下がった。

事務的な内容でも、少し砕けた言い回しにしたり、「!」を使ったり、追伸の一部へのお返事を組み込んでみる。

すると、事務的な感じが与える「怖さ」が取れたように見える。

でもこの工夫は、たとえば付き合いの浅い方や、単発のご依頼ではむずかしいことだ。

仲良くなったら、”失敗”と”感情”のバランスが変わる?

さらに、仲良くなると、”失敗”を許せる範囲も少し広がるのではと思っている。

正社員、パート、フリーとさまざまな働き方をしてきた。
その中で、すごくわたしへの当たりが強く、しかも返信も毎回催促するまでもらえない方に出会ったことがある。

言い方があまりにも強く、こちらも多少は厳しい口調にならざるを得なかった。
お互いに関係性がよくなかったと思う。

その方は、わたしの”失敗”にとても厳しかった。

ふだん、わたしが送ったメールへの返信は遅かったり、そもそも何度か連絡しないともらえなかったりしたのだけれど……。

たった一度だけわたしがお返事を失念していたら、とても厳しく叱責された。

もし関係性がよかったとしたら、一度の返信遅れにいくらなんでもあそこまで怒られることはなかったのでは、と考えている。

重要な件や急ぎの話ではまったくなかった。
そもそも向こうからのメールもいつも返ってこないのだから……。

人格否定のような言葉が続き、わたしはこの仕事を辞めるかどうか真剣に考えることになった。

結局、悩んでいるうちにその人が会社から去った。
わたしが辞めることはなく、気持ちよく仕事をできる環境に変わっていった。

その人と仕事をしなくてもいいとわかったとき、ほっとした。でも、これまでお世話になったと感謝は伝えた。

そのメールにも、返信はなかったーー。


わたしが反省していること

一度「嫌だ」という気持ちを持ってしまうと、相手の嫌なところばかりが目についてしまう。

だから、小さなミスだったり、たった一度の失敗が、「とても重要な過失」のように見えてしまうのかもしれない。

それに、昨今はメールや電話だけでのやりとりも多く、相手が”同じ人間だ”ということも見えにくくなっている。

あの人からすると、わたしはパソコンの向こうの、”人工知能のような人間ではない存在”だったのかもしれない。

でもそれは、わたし自身にもいえることだ。”自分を攻撃してくるロボット”のように思っていなかっただろうか。

わたしが少し歩み寄っていたら、もうすこし良い関係性を築けたかもしれないと反省している。



この文章を書いて、はっとした。
いま、いろいろお仕事させてもらっている相手と、わたしは少しでも仲良くできているだろうか?

お仕事を妨げない程度になら、執筆に関係のない質問をしてみてもいいだろうか──。

たとえば、この間の台風のことだとか。そんな当たり障りのない話題を、少し探してみるのもいいかもしれない。



追伸、読んでくださったあなたへ。
あなたの出身地はどこですか? 教えてもらえたらうれしいです。


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三條 凛花 │  "時間が貯まる"ノート本著者
最後までお読みいただき、ありがとうございます♡