父親のほうが子どもに好かれてて、母親としての自信を無くした話
2歳になった娘は、確実に、母親である私よりも父親のことを好きだと思う。
旦那に対する憤りとやるせなさ
おしゃべりが上手になってきた娘。「そろそろ”おかあさん”て言いだすかな?」って期待していたら……仕事から帰ってきた旦那さんに向かってひとこと「おとーしゃん」と言ったときは、夫婦間で競ってることなんてないのに、なんだか負けた気がしたり。
一方、泊りがけの出張から家に帰って久しぶりに娘に会えた!と思いきや、なぜか私の顔を見るなり緊張たのか旦那さんの足をぎゅっと抱きしめて、足の影からもじもじ私の顔を見て近寄ってくれないくて、さみしい思いをしたこともある。
「あんなに痛い思いして生んだのに。そして生まれたあとも、私のほうが子どもと接する時間が長いし、乳児の頃の夜中の授乳をはじめ、お世話のパワーもだんぜん私のほうがかけてきたのに!
今だって、私が食器洗いとかの家事をやってる間に、旦那さんは子どもと遊ぶ楽しく、かつ、楽ちんな育児を担ってる。
その結果、彼のほうが娘に好かれていて、なんか不公平!」
と、憤りとかやりきれなさを抱えたり
「でも、もし私が子どもだったとしても私より旦那さんのことを好きになるなあ。子どもが何かやったことに対して海外の人か!ってくらい感情表現豊かにできたことを認めてあげてる。
あのときの娘のどやっ!っていう嬉しそうな顔、私といるときは見たことないなあ……」
などと考え、母親としての自信を無くす日々を送っていた。
だからこそ、逃げない
休日に家でお酒を飲みながら夕食を食べているとき。いい感じにお酒も回ってきたので、勢いで旦那さんに言ってみた。
「一般的に子どもって母親のほうに懐くと思うけど、うちの場合、娘は私より旦那さんのほうに懐いてるよね。”おかあさん”より”おとうさん”って先にしゃべったし。」
それを聞いた旦那さんは、そうかなー、とモゴモゴしながらもこう続けた。
「たぶん、あのとき距離を詰めて向き合ったからかもしれない。」と。
「あの時って?」私は聞く。
「離乳食後期くらいまでは、今みたいに僕になついてなかったと思うんだよね。僕が離乳食を食べさせようとしても嫌がられて泣いちゃうこともたくさんあったよ。
でも、今嫌がられてるから…って娘から距離を置いたらその距離はそのままずっと広がっちゃうから、嫌がられてもこっちから距離を詰めてったんだよね」
そう言われて思い返してみたら、確かにそんな時があった。
抱っこしても嫌がれて泣かれてた旦那さんを見て私が「代わろうか?」と言うと「いや、今が向き合う時」とかなんとか言って、かたくなに代わろうとしなかった時があったのを思い出した。
あの時があって、今があるのか。
良くも悪くも、結果は自分の行い次第
今目の前にあるものは、過去の自分の行いの結果なんだ。
子どもが懐いていない父親は、「子育ては母親がやること。子どもはどうせ母親に懐く。」といって子育てに参加しないのが続いた結果なのかもしれない。
その法則でいうと「子どもはきっと私より旦那さんのほうを好きなんだ…母親として自信無くすわ。」といって拗ねて距離を置いたら最後。娘は私に懐かない未来が待ってることになる。
「そもそも、母親のほうが子どもと仲がいいもんだ、っていうのも固定概念だし、子どもはどっちに懐いているかなんて、夫婦で競い合うもんじゃないよね。」
「たしかに。今はまだ2歳だけど、長期的に見たら同性の親にしか話せないことも出てくるだろうしね。今この時だけを見てちゃだめだね。」
そんな会話をしてたら、気持ちが軽くなった。