#STAY HOMEで感じる罪悪感の正体
在宅ワークしながら、1才8カ月の子どもを自宅保育している生活になって、早3週間。
仕事もあるので、子どもに付きっきりで一緒にいるわけにはいかない。
YoutubeでNHKみんなのうたのメドレーをかける。Amazon Prime Videoでおさるのジョージや、しまじろうのアニメを見せる。それに飽きてきたら、お絵かきタイムに入るのが最近のルーティーンだ。
深い海みたいな色のクレヨンを指さして、「これは、あお。あ・お・い・ろ。」と、しっかり発音しながら娘にクレヨンを渡すと、真っ白な画用紙いっぱいに力強くぐるぐると線を書きだした。
そう。昨日までは渡されたクレヨンを気にも留めず、お絵かきをしてたんだ。なのに、今日、娘にクレヨンを渡すと
「あ、うぉ」
えっ!?
つたない発音だったけど、今、絶対に「あお」って言ったよね!?
昨日まではできなかったことが、今日いきなりできるようになっていて、子どもの成長に驚かされる。と同時に、私は「罪悪感」を感じていた。
子どもの成長は嬉しいはずなのに、どうして罪悪感を感じてるんだろう?そう考えたとき、先週、公園に行ったときのことを思い出した。
公園での出来事
公園に行った前日は雨が降っていて、1日も家から外に出られなかったから、その日は近所の公園まで子どもを連れてでかけていた。
その公園には電車と、車、そして飛行機の形をした、前後にゆらゆらとゆれる乗り物が3つあって、娘も毎回行く度にその乗り物にまたがって、楽しそうに体重を前後にかけてゆらゆらさせるのが日課だ。
その日も、公園に着くとその乗り物がある場所に駆け寄っていく娘。その先には、娘よりも1才くらい年齢が上の女の子が、車の形の乗り物に乗っているのが見えた。
車の乗り物に着いた瞬間、おもむろに娘が泣き出した。自分が乗りたいものが別の子が先に遊んでいたのが嫌だったらしい。泣き出した娘を見て、先に遊んでいた女の子とそのお母さんが「こっちの飛行機に乗ろうか」と、乗り物をゆずってくれた。
子ども同士、よくある光景だと思うが、わたしはその一連の出来事に驚きを隠せなかった。
今まで、「これに乗りたい」という意思やこだわりを持つことはなかったのに。なんと、意思を持つだけじゃなく、感情に乗せて気持ちを発信するようになったなんて!
「彼女の成長は嬉しいけれど、今、保育園が登園自粛なので彼女は家でひとりで遊んでいる。そうすると、先生やお友達と触れ合う機会がない。私と旦那さんは家にいるけれど、仕事をしながらなので彼女にかかりっきりになることもできない……。
友達がいる以外にも、保育園だと身体を動かしたり、栄養バランスの取れた食事を出してくれたり、規則正しいリズムで生活させてくれてる。
それが、家にいたら運動不足だし栄養バランスも取れてないし、生活リズムもバラバラだし。何より、子どもにはテレビを見せてばっかりで、こんな育て方で彼女にとっていいはずがない……。」
罪悪感の正体
どうしようもないのはわかっているけど、保育園に登園できてたら得られてたはずの豊かな体験をさせてあげられていない自分に、罪悪感を感じた。
保育園に通ってたらもっと早く、もっとたくさんの色の名前を憶えていたかもしれない。お友達とも、ゆずりあって乗り物に乗ることを学べてたかもしれない。
「かもしれない」っていう答えのない妄想をすればするほど、罪悪感がのしかかってきてつぶされそうになる。
この環境だからこそ得られてることに目を向ける
保育園に通えたら一番いいけど、残念ながらそれは今日時点ではどうにもならないこと。
保育園に行かず、娘が1日中家にいるからこそ、はじめて「あ、うぉ」と言った瞬間に立ち会えた。
仕事も家事育児もすべてが中途半端で、罪悪感を100%消すのは正直難しい。でも、1才8カ月の娘の成長を見守れることを貴重なことだと思って向き合ったら、同じ環境でもマシに感じるようになるかな。
今おかれている環境を、最大限いい風にとらえて行動を起こすことが、今わたしにできる最小で最大のことだ。