「自分の選んだ道は正解だった」っていう実感が100倍高まる方法
大切なのは、どの道を選ぶかより
選んだ道をどう生きるかよ。
これはフランスの大女優 ブリジット・バルドーの言葉だけれど、最近、Web上の記事やTwitterなんかで
「人生の選択肢に正解なんてない。自分が選んだ道を正解にしていこう。」
といった言葉をよく目にするようになった気がする。
ひとこと加えさせて
世の中、正解・不正解がはっきり決まっているものなんて学校のテストくらいで、社会に出たら正解がない問題ばかり。だから、自分にとっての正解は何かを考え、選択した道を正解にしていこうよ。という考えには全く異論はない。
けど。
ひとことだけ言わせてほしい。
「道を選ぶと同時に、「こうなったら正解」という判断軸を決めてみて!そうすると、「選んだ道は正解だった」っていう実感が100倍違うよ!」
わたしの、とある実体験
わたしは、子どもを0歳児クラスで保育園に預けて職場復帰した。
仮に1年後、1歳児クラスで入園するとなると保活の倍率が高まるという事情と、子どもと日中ずっとふたりきりでいる生活が社会と分断されてる気がして孤立無援な気がして辛かった、という精神的な理由が0歳児クラス入園で保活した背景だった。
0歳児クラスで保活することは、自分の中で決定事項だったけれど、「こんなに小さいうちに子どもを預けて働く必要はあるの?子どもがかわいそうなんじゃ?」という呪いの声を振り払うために
「子育て新米の自分が子どもといるより、子育てのプロの保育士さんにかこまれたほうが子どもにとっていい」
「保育園のほうが栄養バランスがとれた食事がとれる」
「家で私と二人で過ごすより保育園で友達と遊ぶほうが娘にとっても楽しいはず」
というように「保育園に行ったほうがいい理由」を挙げて、それをふりかざしながら「私の選んだ道は正しい」と思い込ませていた。
自分が選んだ道は正しかった?
保育園に子どもを預けて3か月が経った頃。
家ではスパウト(※ストロー付きのコップに移行する前の練習として使うコップ)を使ってお水を飲ませていたが、外食先にいつものスパウトを持っていくのを忘れたのでコップでお水を飲ませなきゃいけない場面にでくわした。
「今までコップで飲んだことないから飲めないだろうな……」
と、思ったら・・・上手にコップからお水を飲んでる!!!
想定していなかった光景を、旦那さんと一緒に半ば茫然としながら眺めるという出来事があった。
次の日、保育園の連絡帳にその出来事を書くと担任の先生から「保育園でコップを使って飲む練習をしていた成果が出たんですね。」とコメントが帰ってきた。
その出来事から私は
「娘を保育園に入れるときに「子育てのプロの保育士さんにかこまれたほうが子どもにとっていい」と思っていたけれど、本当にそうだった。もし保育園に通わせないでいたら、今まだこの子はコップでお水を飲めてないはずだ」
と思い、自分の決断は正解だったと確信した。
判断軸が明確だと正解の実感が強く持てる
それから月日が流れた今でも、
・家で聞いたことのない童謡が偶然Youtubeで流れるとふりつきで踊り始める
・ダメよ!と注意すると右手と左手の人差し指をクロスさせてばってんをつくって「ぶっぶー」と言う
・お友達の名前を出しながら今日の出来事をたどたどしく話す
といった子どもの行動や言動を見たり聞いたりして思った。
最初は、0歳児から保育園に行かせることを正当化するための理由が、実は「保育園に通って、私と娘と2人で過ごす以上の経験や学びができたら自分の選択は正しかった」という判断軸にもなってたんだ。
そして、その判断軸が子どもの成長を通じて証明されたことで、今、わたしは「あの時の自分の選択は正解だった」って強く思えてる。
人生の選択肢に正解なんてない。自分が選んだ道を正解にしていこう。
道を選ぶと同時に、「こうなったら正解」という判断軸を決めてみよう。