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私たちは自由を謳歌できるほど優秀ではない

ラジオから着想

西野亮廣さんのラジオに最近ハマっていて、久しぶりにビビビっときたものをタイトルにさせていただいた。
カフェで聴きながら、首をぶんぶん縦にふりたい気持ちを(実際にふっていたと思うけど)最低限に抑えながら、このノートをとった。

そのとき私がインプットしたお話は、「仕事を自分で作るのはただ与えられる仕事の何倍も大変。もちろん与えられた仕事をこなすことも血を吐くほど大変なことが多いけれど、自分で仕事を作るときはまず何も仕事しなくていいという自由な時間から始まる。コロナ禍でその感覚を味わった人も多いと思う」と。

私もそうだったなと思い出した。

コロナ禍の迷走

慣れとは怖いもので、今はもう忘れかけている迷走期。ちょうど次のライフイベントに向けて舵をきろうとしていた直後、コロナで毎日家にいることを余儀なくされた。憧れのイギリスは目の前のTVの中。パンデミック、ロックダウンという言葉だけが脳裏で一人歩きしながら…。渡英ビザが手元にあるのに、行けないという絶望を1年味わってすっかり疲弊した。

何もしない時間がどんなに欲しくても、タイミングというものがある。
やるべきことがある、義務がある、逃げられない使命があるというのは、最高の喜びと生きがいに繋がるものなんだなと思った。

当時私は冷静でいられなくなって、この自由を謳歌できない自分を認めることができなかった。可能性を潰された、と思っていたけれど、自分で義務を作ることが不十分だった。

積み重ねたもの

不十分、とあえて言いたくなったのは、夢半ばのまま彷徨っていた1年間にもやりたいことはいくつか実現させることができたから。

・英語を使って外国人を支援したい
→オリンピックのために建設されたイベント会場の総合案内所スタッフをやった。数少ない外国人客を英語で案内することももちろん面白かったが、コロナ禍で同じように海外に行けない人、日本行きのチケットが取れてなんとか海外から帰ってこれたという人の話に今思えば救われていた。

・ライティングの仕事をしたい(恋愛、人の心理、お酒について)
→Webライターを3年やった。マッチングアプリの心得や出会い方、血液型x星座という大好きなジャンルの恋愛傾向について、洋酒の美味しい飲み方の記事が好評だった。

・クリエイターをやりたい
→人が操作するスマホ画面などの設計に興味があり、暇を持て余した末、プログラミングスクールに通ってフロントエンドの言語を学んだ。大変そうだけどこのままエンジニアをやってみたいと思い、日本にとどまって転職。UIを設計する部署で約2年経験を積んだ。

そのほかにも、単発でやった仕事は不安定ながら学びの繰り返しだった。

自由を楽しむ練習は「書くこと」

底無しのエネルギーがあったのに解放の仕方がわからない。そう思っていたけど、多分「自由」は苦しかったんだと思う。そこまで優秀ではなかったんだ。それでもよかったんだ。
そこまで必要とされている感覚がなくても、何を生むか考え、何かを始めると決めて、続けなければいけない大変さを学ぶ時期だっただけだ。

だからちょっとだけ素直になって、西野さんが経験から学んだことを参考に自分も少しやり方を変えてみようと思う。

彼が苦しかった時を救ってくれたのは、ただ作業をする時間。つまり毎日noteを書くという習慣だったそうだ。体調がよくても悪くてもこの時間はやってくる。義務が発生することで、気持ちが少なからず安定したらしい。

少しずつ進めている感覚をもてるのは大事。
特に「毎日書く」と決めてしまえば、
「書くことはなんだっていい。自由なんだから。」

スポーツと一緒だ。ルールがあるから面白い。
習慣があるから自由を楽しめる。
もっと普通の人間のままでいい。そんな気がする。

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Okarina*
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